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げんちゃんの発達障害プロジェクト

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げんちゃんの枕草子

 げんちゃんは、ダイヤモンド・・・・削りだすのに、ものすごくエネルギーがいる。研磨工具も、何個も何個もすり減らして磨いているのに、まだまだまわりのごみさえ取れない。

新しいステージにいったものの、先が見えない混とんぶりに、Sさんがこうはげましてくれました。

は~・・・・ダイヤモンドね~。

でも、このぱっとしなさすぎる息子を前に、私はどこかダイヤモンドと思っている節がある・・確かに、考えてみると私は、げんちゃんのことを周りに対して、低いものと思ったことがないようなところがあります。

 小学校からずっといっしょのクラスメートは、げんちゃんのことを、ものの数にも数えていないようです。支援クラスに所属しているし、”自分の所属する世界の外にいる子”の感覚なんでしょうね。
 まあ、当たり前と言えばあたりまえです。小学校の頃は、クラスに行くと、
「あ、げんちゃんのおばちゃん。」
と声をかけてくれてましたが、中学になったら、そういうこともなくなり、自分の住んでいる世界に没頭している様子。

 どの子も、げんちゃんより、ほーんとにできがいい!その子たちよりげんちゃんは、超見劣りするとこだらけなんだけど、私はどこか、そもそも彼らとは、種(しゅ)が違う、みたいな感覚があります。

醜いアヒルの子 という感じ。種が違うんだから、違っててあたりまえじゃん。 だからカミングアウトだって、別になんということもない。笑

 そもそも、普通の子とげんちゃんはすべてが違うんだから、比べてもしかたない。だからといって、周りの子が当たり前にできることができなくてどうする、とは思っていて、そこの能力がつかなければ、君の才能だって湖の下に沈んだまま、人生もかなり制約されるぞ! という危機感はある。

げんちゃんがご乱行の数々をしまくっているときでも、げんちゃんからごくたま~にこぼれてくる、とってもおもしろいものを、ちょっとわくわくして見ている自分がいるのに気づきます。確かに、このとんでもないヤツの中に、とんでもない光がある、勝手に確信しているから、発達育児が苦楽しいと思えるのかもしれません。

さて、日々苦労している私に、時々ちらっと神様の励ましか、げんちゃんの光がぽろっと漏れるときがあります。

今日は、支援の先生からげんちゃんの詩のコピーをいただきました。今学校でやっている枕草紙の、げんちゃんバージョンを書いたそうです。それがイケていたというのでわざわざ持たせてくれました。汚い字で一気に書いたというそれは、ほんとに、私のどこかにいつもあるけれど、普段は、すっかり忘れている ”わくわく” を、ひさびさに思い出させてくれました。(改行は私が適当にしました。ばばばっと書きなぐっていたので。)

げんちゃんの枕草子

春はお花見
下から見上げる桜が、
日に当たりますます美しくなる様子

夏はセミの声
聞こえてくると夏の合図だ

秋は紅葉
山がオレンジ色になってくる様子と
日が落ちる様子は
あわれなり。

冬は雪
草木が雪の下で寝て
次の日を待っている


すげ~・・・

んで、げんちゃんを家族でべた褒めしてしまった翌日、げんちゃんは、またどかんと落ちてました。立ち位置をぐんと高いところに持ってきた様子。やれやれ。ほんとほめるのは要注意でした~。でもね~、意識を入れたら、ちゃんとこんなにつなげられるのに、なんで、普段はしようとしないか~! (/・ω・)/

by glow-gen | 2019-06-04 14:08 | コーヒーブレーク | Comments(4)

げんちゃんの朝・・向上心

連休明け、げんちゃんは、変わったな~と思いました。6年生のころから、突き抜けないげんちゃんに業を煮やしていた私は、あの手この手で頑張ってきました。

結局、自己意識が出て、表面上何かをがんばってやっているように見えても、根底でげんちゃんの負のオーラは相当強く渦巻いていた。

 まあ、ステップアップしても、結局、マイナス10がマイナス9になり、まいなす8になる。そんな感じでしょうか。海の底でひとつづつ階段を上がっていても、陸地からは、ぜんぜん見えてこない。そういうイメージです。
 でも、GW終盤から、いろんなことが安定しだして、学校が始まっても、それがめちゃくちゃ崩れ落ちることが少なくなっています。あ~、やっと、げんちゃんが、初めて水面に現れた!

  私がこんなブログを書くのは、めずらしいかもです。げんちゃんのマイナスの気持ち、やりたくないとか、どうでもいい、とか、逃げたい、とか、そんなものは、どうも完全に底を打ったようです。
やっとプラスの気持ちの量が、マイナスの量を凌駕した瞬間です。今までげんちゃんのマイナスの気持ちは大きすぎて、少々のプラスじゃ埋めきれなかったのでしょう。

 4月からこっち、私の方もいろいろありました。なんせ、PTAが動き出し、4月は、全部の先生と新旧PTAメンバーの晩餐会みたいなのがありました。先生方の雰囲気は結構よくて、この学校は、先生方も、仲が良いんだな~と思いました。それって大事です。担任も含めて、いろんな先生とお話しさせていただいて、最後に、ひな壇に上がり、自己紹介をしました。

この際だから、げんちゃんのことをみんなに知ってもらおうと思って、言いました。

「中2にいるげんちゃんは、発達障害で、それがわかってから、改善のためにいろいろ取り組んできました。息子は学習障害があるので、小学校は先生方の協力で、週に1~2回学校を休ませていただいて、ホームスクールをさせてもらってました。私が勉強を教えてきました。学校とホームスクールのコラボでけっこう伸びてくれて、今は、数学と国語を支援クラスで教えてもらってますが、なんとか普通クラスで勉強しています。中学でも、小学校同様先生方に大変お世話になっていて、ほんとに感謝しております。その感謝もこめて、今年はPTAに挑戦することになりました。みなさん、いろいろご指導お願いします。」

まあこんな感じで挨拶したので、PTAのメンバーも、先生方も、周知徹底(笑)。教育ママと、発達障害の息子、かな? がんばっとるな~、とは思ってくださったことでしょう。おかげで今年は、1学期の導入はスムーズです。家庭訪問の前に、担任の社会の先生ともたくさんおしゃべりできました。ゆったりとした話がわかる先生。安心しました。どの先生も、好意的に応対してくださるのを感じます。
PTAは大変だけど、目に見えない恩恵も受けますね。
しかし、PTAの会合は、夜始まって、10時まであるので、げんちゃんほったらかしの日も月に1~2度出てきます。それでなくても、かかわれる日は少ないです。げんちゃんのために空けている日にPTA。ちょっとつらいです。

しかし、PTAもやってみるものですね~。前向きな方が多くて、すっかり打ち解けて、ママ友が少し増えました。それに、10時に会合が終わっても、先生方の数人はいつも残っているのでびっくり。大変なんだな~と思います。PTAの任期は2年。果たしてどうなることやら、という感じですが、げんちゃんが、やっと少し突き抜けてくれた感があるので救われます。

何が突き抜けたか。やはり、向上心でしょう。昔からなくはないけれど、げんちゃんの障害をはねのけるほどのモチベーションはなく、ひたすら、なんとなくやらされているだけのげんちゃんでした。ほんとに、向上したい、という思いが、逃げる気持ちに少しだけ勝ってきたようです。自己葛藤が少しずつ終焉に近づいたと考えてもいいのでしょうか。まだまだ油断は禁物ですが、彼の中のマイナスは、勢いを弱めているように思います。いつもかつもいいというのではありませんが、GW前は、そういう瞬間はほんとにレアでした。

1年生の3学期、自己意識をずいぶん出してきたげんちゃんは、それが初めての経験で、混乱と混とんの中にいました。ほんと、それに収集をつけることが、最優先で、勉強にエネルギーなんてまわす余裕がありませんでした。自分がどう感じる、どう思う、ということを経験しただけで、ものすごい消耗。もともと自己意識が封じ込められていたげんちゃんにとって、自分の思いを感じるということは、まるで、幼子のように、すべてが新世界だったのではないかと思います。その思いが、どういうことなのか、どんな言葉と結びつけたらいいのか。まるで、”レナードの朝”をほうふつとさせる感じだったのだと思います。(レナードの朝は、長年昏睡状態だった主人公が、一時、目覚める、感動の映画なんですが)

 そして、ここんところ、少しずつ、げんちゃんの感情を表す言葉は増えていき、GW明けは、たどたどしい、すべてが初体験のような初々しい質問がぽろっと飛び出している。
「S先生が、人を助けるために、ガラスを割って飛び込んでいって、大けがをした話をしてたでしょ。僕も、覚悟を決めて突き破りたいんだ!」
(これは、Sさんが若い時、暴行をうけている人を助けた時の逸話です。すごいですね~)
「このままの自分はいやだから変えたい。どうすればいいの?」

げんちゃん語録は、日を追うごとに、増えて行ってます。
もちろん、抜けるときは抜けます。ひどい時もある。しかし、私が追い詰めたりすると、
「ちょっと待って、向こうにいって立て直してくる。」
「意識を入れるって、どうやればいいの?」

今まで聞いたこともないような会話が成り立っているではありませんか。

良い出力だけをつなげれば、お~!と思いますよね。ま、実際は、そんなに極端に一気にというわけではありませんが、私への反抗はとてもゆるやかになり、私を身方と感じているのがわかります。それに、なんといっても、あれだけ朝起きれないのが起きれるようになっている。

Sさんが、朝起きれるようになったらかわる。僕にたいして、好意的な気持ちが出てきたら変わるサインだね。
と前々から言っていたことを思い出します。以前は、Sさんに対しても反抗していましたが、Sさんを尊敬するような発言も飛び出します。

さあ、学習がひとまず二の次、と言っていたのはもう終わり、GW明けからは、ほんとに、新しいモードでしっかり学習に取り組ませ始めました。まさに、げんちゃんの朝。そんな感じです。

by glow-gen | 2019-05-12 01:47 | 思春期自主性 | Comments(8)

意識ー心とはなんなんだろう。やっと心にアプローチ・・・

 げんちゃんを必死で改善してきて、やっとげんちゃんの心というものが、現れてきたように思います。
そうなると、げんちゃんが、Sさんが言うように、たぐいまれな重症患者だったと今更気づく私です。おとなしくにこにこしていた赤ちゃんだったげんちゃんは、私はそんなに重症な発達障害とは思っていなかったふしがあります。
 
 昨日、私は研修だったので、げんちゃんは、パパと過ごしていました。たぶん、人生初じゃないのかな~・・・パパは、まったく育児放棄だったから・・・笑
私が帰って様子を聞くと、パパが言いました。

「今日、お昼は、ショッピングモールのフードコートに行ったんだけど、げんちゃんすごいよ。ぼくが、肉食べようってどんぶり屋さんに誘ったら、げんちゃんは、”いや、ぼくは、うどんが食べたいから”、と言ったんだよ。それで、お金をやったら、自分で買いに行ったんだ。」

はははは・・・・ほとんどの人は、これのどこがすごいのかわからないだろうと思いますが・・・

こっちの意見をおして、自分はうどんを食べたい、と主張するところがすごいのです。もし、昔のげんちゃんなら、なんとなく流されて、ぼ~っとどんぶり屋さんに行ったことでしょう。
なんせ、自分というものが捉えられていないげんちゃんです。パパには賛成できない、ぼくは、うどんだ! なんてことがありえないわけですよ。

こんなげんちゃんだから、ただなんとなく、勉強しろと言えば、机にいたし、こっちの言うことにも、そこそこ従って、さまざまなトレーニングをやってきたのかもしれません。
ただぼ~っとなんとなく・・・

だから、いろんな発達障害のお子さんを見るたび、たとえ、言葉があまりしゃべれない自閉症のお子さんでも、行動の原動力になる意志、心ってものがあるので、いつも、すごい! と感じることが多かったです。

支援学校に行っている、げんちゃんよりIQが低いというお友達でも、人としての人格、ってものが感じられる。それなのに、げんちゃんには、それがない。

時々主張しているように思えるときは、動物的な快不快などによって、脊髄反射的に主張しているような感じです。または、自分の世界観に入っているときは、意識、心というより、なんか、つきものに突き動かされて主張しているようで、そんなときでさえ、げんちゃんの人格を感じられなかった。

この日も、私が帰って、外食をしたときも、げんちゃんは、ただ、こっちの言うことに、ただ「うん。」と適当に返事をするだけで、意見なんてもんを言うことはありません。

この子の心は、どこまで、深いところに封じ込められていたのだろうか。

私は、とにかく、何もできないげんちゃんに、なんとか、つまめるところをつまんで引っ張り上げてきました。心は、ずっとつまめなかったから、体幹を鍛えるとか、絵が描けるようにトレーニングする、とか、安曇野方式も少しかじって、数を教えるだとか、できることの最大限をしてきたわけだけれど、ほんとに、何をしても、この子の心をのばすためのきっかけは、今まで存在しなかったように思います。

何を言ってもひびかない。何を教えても捨て去る。げんちゃんの心はほんとに鉄のようにかたい甲羅で覆われていた。

今となってはそれがよくわかります。何が伸びても、何ができるようになっても、げんちゃんが人間になったような気がしない。

しかし、それが、やっと、心をつまめるようになったんだと思います。爪の先にちょっとだけやっとこさつまめるだけのゆるみが出てきた。それと同時に、とにかく、幼児のような精神年齢のまま、おいてけぼりになっていたその部分が、はじめて表面に出てきて、アプローチの対象になった。

なんと、この子の問題は深刻だったのだろう!

だから、今は、もう、学習はどうでもいいとは言わないけれど、あまりに手付かずの心の成長の方を優先しなければ、アンバランスきわまりないし、のちに大変なことになる。そう感じているんだと思います。

このことをやっと自分で言葉にできたことはとても大きい。今は、何をやるべきで、何をやるべきではないのか、が、やっとクリアにわかるようになりました。


Sさんがいなかったら、まだ、このげんちゃんの心の部分は、固く閉ざされて、出てこなかったのかもしれません。Sさんは、小学校低学年の時、げんちゃんを見て、相当重症なお子さんだ、と思ったそうです。それなのに、私があまりそういう理解をしていないので、大丈夫かな、と思って見守っていた、と言われました。先ほど書いた、支援学校のお友達など、Sさんに言わせれば、”げんちゃんより、改善はしやすいよ。ママがしないのはもったいない限りだよ。”なんて言う。

ほんとに、今更ながらなるほどと思います。何をやっても感じてくれない、捨て去る。自分がどうであるかさえ感じることを捨て去る。そんなげんちゃんが、やっと、自分を感じることができ始めた。まさに、ここからが、ほんとの改善なのかもしれません。

しかし、この部分は、意識障害である発達障害の本質部分でもあります。一つ一つバカみたいに段階をおってしか改善しないげんちゃんのレポートをすることで、少しは本質の改善が解明されるかもしれないな~。

大変さと同時に、とても興味深く感じる部分がある今日この頃です。
人の心とは何なんでしょう。意識とは何?人格とは何? 神様は、この子を通して、いろんなことを教えようとしているのかな~・・
 とにかく、忍耐強く、一つ一つやっていくしかない、と思います。

by glow-gen | 2019-04-15 19:47 | 意識のこと | Comments(8)

感情に振り回されず、心の深いところでとらえる

げんちゃんは、成長(自分自身というものが、初めて出てきた)と同時に一気にやってきた、3歳児と思春期の反抗期みたいなのが噴出して、ほんとに苦しい日々を送っていました。(6年生から?)
でも、そのピークは去り、落ち着き始めていました。そのため、私は、ぐっと新しいステージに行くかな~と期待するのですが、ちょっとしたことで、また再燃し、なんとか、マイナスからまたゼロ点にもどす、という感じのことを繰り返していました。もどかしく、長丁場を覚悟する日々でした。

 では、次のステージとは何なのか。
私なりに思うに、げんちゃん自信が、生活にしても、学習にしても、自ら努力していきたい、闇へ向かうのではなく、光に向かいたい、と明確な意思を持てることだと感じました。自分の意志というものを、ぼんやりでも持てるようになってきたのに、感情だけに振り回されているげんちゃんが、感情に振り回されず、正しい価値観を握ろうとすることだと言えるかもしれません。

 普通の子は、そこまで明確なプラスの意志を持たずとも、なんとなくでも、周りに合わせ、能力の数十パーセントも上手に使えば、そこそこ周りと足並みをそろえて紛れて生きていけるのかもしれませんが、この子たちが突き抜けるには、徹底したプラスの意識を持たねばならない、と私は確信しています。そもそも適当に上手になんていう言葉がもっとも合わない子です。プラスかマイナスか、明暗がはっきりしている。雑念なく、ひたすら目標に向かってピュアに努力していく、という本人の意識なくしては、決して障害を克服することはできないし、突き抜けて、彼がもらった豊かな才能(必ずあると信じています。)は花開くことは難しい。

 げんちゃんは真摯に、生活でも学習でもなんでも、当たり前のことをこつこつ努力してこなせるようがんばる必要があるのです。でも、そのために心をしっかり動かすためには、なかなかきついことだし、疲れるし、というので、逃げてしまうげんちゃんなのです。昔から、ちょっとでもめんどくさい、と思えることはことごとく、気持ちが抜け出してしまうげんちゃんです。そして抜け出してしまえば、記憶さえもあやうい・・・プラスへむかうどころか、自分が落ちて行ってることさえ認識できないでいる。

 でも、マインドマップが旬と感じて、勉強そっちのけで、毎日取り組み続け、その中でげんちゃんが、登って行っている感触が出てきました。
 げんちゃんが、マインドマップから、手伝ってもらいながら書いた作文は、日々、どんどん前向きなエネルギーが加わってきました。

げんちゃんが、学校の一日をふり帰った作文

社会、英語、体育では、ちゃんとしないと、と思った。だから、振り返った時、すっと言葉が出た。よく思い出すことができた。授業の風景が浮かんだ。国語と数学はいまいちわからなかった。
わからないときは、ふーってぬけていく感じがする。
だから勉強をすることができない。振り返りをしても、授業の風景が浮かんでこない。学校の先生の話も内容まではわからない。
振り返りがきちんとできた時は、 「きちんとする。」と思った時だ。
この気持ちを持てばできる。失敗もしなくなるし、できることも増えて、自信がつく。

そしてまた二日後 マインドマップで、少しずつたどたどしく、こちらでつなげながら・・・

朝は残念だった。おきれなかったから。
原因は昨夜ゆっくりしすぎたことだと思う。
やるべきことをさっさとやればよかった。
僕は、今日、学校で、問題を読むということを心掛けた。(実は、英語のドリルは、読まずに、適当に答えを書いていたことが発覚し、前日指導!)
いつもより授業がわかったように思う。
家庭科の時間、刺し子を作ろうとしたけれど、わからず、黒板の説明を読んでなんとかしようとした。しかし難しく、困っていたらR君が教えてくれた。わからなかったけれどうれしかった。頑張ろうとすると誰かが見ていてくれる。がんばることは大事だと思う。
ほかの授業でも気持ちが入ってきている。気持ちがはいればできる。

また今日、げんちゃんは、今までにない前向きな目をして、前向きな発言をして、K先生を感動させたのだとか。私が夜家に帰った時も、一人で、苦手なリコーダーの練習をしていてびっくりしました。


 げんちゃんは、今自分の心を見つめるときなんでしょうね。そして、やっと手を貸すと見つめられるようになってきたようです。ただぼ~っと目の前におこる事象を見るともなしにたたずむ、というのではなく、心でつかもうとして見る。そういう心の働きが動き始めているのでしょうか。・・・逃げ込むところを封鎖して、コツコツと下から支え続け・・・あともうひとふんばり!
光明が見えてきたのでしょうか・・・・

そうだったらいいな~と思います。


 

by glow-gen | 2019-03-20 00:45 | 思春期 | Comments(8)

発達障害、本丸決戦か・・・

 さて、いろんな能力があがっているだけに、げんちゃんの本質的な問題があぶりだされてくるようです。

げんちゃんの朝は、ほんとに戦いです。夜10時に寝ているのに、7時に起こすことはほんとに大変です。7時前から起こし始めて、7時30分に起きればましな方で、毎朝、私はくたくたぼろぼろです。

なんとか起きてきたげんちゃんに、
「ねえ、げんちゃん、靴下そこにおいてあるのを使ってね。」
と言いました。
うん、と返事したのに、しばらく見ていたら、げんちゃんは、引き出しから新しい靴下を出して持ってきました。

 やれやれ、また、聞いていない・・・・そうです。げんちゃんは、いまだにこういうことが日常茶飯事。どんなことにしても、聞いて理解したと思ったらとんでもない、そんなことのオンパレードです。なまじ、しっかり聞いているように見えるだけに、深刻です。

げんちゃんは、学生服を着始めます。先にズボンをはいて、きっちりベルトを締めます。それから、おもむろに、トップスを着ます。見ていると、トップスの下をズボンに入れるため、きっちりしめたベルトをまた外し始めます。

なんてこった!  これはもう4月から同じことが続いています。

先にトップスを着れば、ズボンのチャックもベルトも、一回でうまいことセッティングできるというのに、何度言っても、げんちゃんはこの手順に何の疑問も持たないようです。

「何やってんの。一度締めたベルトをまた外すの? 着る順番を考えたら、ベルトをしめるのは一回ですむでしょう。」

私はうんざりします。

 さらに、パジャマをたたんでチェストに入れる、という行為をいやいやながらします。これはもう何度も何度も繰り返しさせてきたので、言えばとりあえずやります。しかし、やりたくないという意思表示をしながら、めちゃくちゃにやって、私が見ていなければ、チェストに押し込むだけ、ということになります。

「きちんと始末しないと、部屋にまき散らしたら、みんな迷惑だよ。」
「また着るんだから別にいいじゃん。」

横柄な態度で開き直る。

 つまり何が言いたいか、って、げんちゃんは、何事もできないわけではなく、そこに価値感をおかなければ、「また着るんだから、別にいいじゃん!」
というふてぶてしさで、まったくやろうとしないわけです。自分が価値をそこにおかなければ、気持ちを入れることを完全放棄する、ということなのです。

寝巻のことはほんの一部で、たいしたことじゃないかもしれませんが、この発想法が、すべてにわたって支配するのです。

 ”必要ない”、なんて、とんでもない! 普通の社会で必要なたくさんのことも、げんちゃんは、独自の世界観で必要ない、と決める。

普通のお子さんなら、やりたくないな~。自分的には価値が薄いな~と思うことでも、まわりを見て、必要なことだと気づけば、しぶしぶでも、それなりの行動に出ることでしょう。
しかし、発達障害で、しかも、鈍感力が半端ないげんちゃんの場合、”必要ない”、”いやだ”、”めんどくさい”、というフィルターがかかってしまったことは、どこまでいっても、気持ちなど入れない。
 気持ちを入れないから、驚くような低いパフォーマンスでいってしまうのです。

 英語だって、数学だって、学習という名のものなら、昔からフィルターかけっぱなしなので、脳の回路はめったに開きません。

 でも、価値を認識した、または、好きだと思った絵画やピアノは、当然のごとく、さっさと開花させる。能力が一気にのびたわけではなくて、フィルターをはずしただけ、なんだと思います。別に開花したわけでもなくて、そこに価値をおいたから、当然出てくる・・・・そういうことなんだと思います。


逆に、逃げ場を作って、
「こんなもん、する必要ないさ。」とか、「無理だよ。」
とか、勝手に決めてしまったものは、なかなかフィルターはとれません。いくら、テストで必要だから、とか、いろいろ理由付けしてみても、わがままなげんちゃんの脳の回路はシャットアウトしたままです。普通の子だってそういう部分はあるものの、げんちゃんは、自分で気づいてない深いところでそれをやってしまう。


げんちゃんが、独自の世界観でフィルター掛けがなされたものは、ほんとに手ごわいです。

 昨日2年生の七田の算数をさせてみたら、え? というできなさでびっくりしました。これがこの子の実力?、とつい思ってしまいますが、能力とは別のところの原因だと思っています。

 彼が作ったわがままなフィルターををはずすことができれば、絵画のような出力がなされると信じます。たくさんの、血のにじむような取り組みのもと、もうほとんどの能力はある程度スタンバイできたのです。

 げんちゃんの障害を、知能指数で表すのは違うように感じます。フィルターをかけていたので、すっかりさびついている能力もあるものの、心のフィルターをとることができれば、IQさえうそのように伸びる。

絵画がいい証拠・・・・

 しかし、おいそれと、フィルターがとれるわけでもなくて、本人のずるがしこさだけ、成長させているようです。Sさんのクライアントの中でも、群を抜いて、動かない心・・・・そんな感じなんじゃないかな、と思います。Sさんが、重症の意識障害という意味がよくわかる・・・

 先日、支援学校に行っているT君が家に来た時に、げんちゃんとは本質が違うと感じました。彼は、何事も気持ちは入れている。学習にしても、生活のことにしても、それらが必要なことも、素直に受け入れているし、努力することが当たり前と思っています。でも、いろんな脳力がそなわっていないので、なかなかできないのです。

 T君は、今まで私がげんちゃんにしてきた多くのトレーニングさえすれば、伸びていく。そう感じました。げんちゃんより、彼を伸ばす方がきっと建設的でストレスが少ないだろうな、と思いました。

 気持ちを入れればできるようになるのに、一切シャットアウトして、ずるく逃げる心の状態、あるいは意識の状態。これぞまさに、げんちゃんの本質的な問題で、大きな壁となって私たちの前に立ちはだかっています。
 げんちゃんは、知的障害ではなく、精神障害だということが、ひしひしと感じられる日々です。

 げんちゃんが、ひどく心を動かさない、と決めてしまった日は、げんちゃんの目は、まるで、精神疾患者が、薬でぼ~っとしているような目に見えます。たとえば、自分のまわりに蚊が飛び交っていて、足や手をかまれそうなのに、目の前の小さな視野に、蚊が飛び込んできた時だけ、突然げんちゃんは目がさめてぱちんとたたく。でも、蚊がまた視野から消えれば、蚊などまったくいないかのごとく心に幕をおろす。

げんちゃんは、そういう感じです。

 蚊を追えないのではなく、認識しようとしない・・・・げんちゃんのトラブルの本質は、なんとも恐ろしいな~と思います。そしてこの部分さえ、改善できれば、げんちゃんは、真っ黒いカードがドミノ式に全部ひっくりかえって白にかわるように、大きな成長を遂げるのではないか、と感じます。

Sさんによると、げんちゃんの根底にある、”逃げ”の心が、マイナスに流れる心が、わがままなスイッチを作っているそうです。




by glow-gen | 2019-03-14 17:47 | 意識のこと | Comments(4)

発達障害、やみくもにほめる育児は危ないこともある。

ほめる育児・・・というのは、推奨される育児のもっとも代表格だと思います。
がしかし、発達障害のわが子げんちゃんの場合、今は、それが恐ろしい結果を生みます。

いや、たぶん、発達障害のお子さんの場合、やみくもに褒める育児はほんとに危険だな、と、発達育児をやってきてつくづく思うようになりました。

最近げんちゃんは、いろんなことに気持ちを入れることができるようになっています。だから、良いパフォーマンスも出て、ときに目を見張る成長を見せるときがあります。
その顕著な例はお絵かき教室、ピアノ教室です。

この二つは、彼の中では二大好きなことになってきたようで、さかな君ほどの食いつき方はできないものの、それなりの気持ちの入れ方ができるようで、先生方にとっては、レッスンの中で、一度くらいはほめることが出現するようです。

お絵かき教室では、
「色の使い方がいいね。」
まあ、そんな感じでほめてくださるのかもしれません。今日は、ピアノレッスンに数十分つきあったのですが、符を見て、リズムを打つ宿題がみごとにこなせて、
「お~、すごいじゃん。お母さん、すごくないですか。メトロノームにもあってる!」
先生が嬉しそうに言いました。

なんせ、今までは、なんでこんなにできないの?というくらい、どんくさいリズムうちだったので、私も、思わずほめてしまいました。
ピアノの前にあった体操でも、げんちゃんは、ほめられた。

ところが、こういうことがあったあとは、ほんとにがらがらと落ちます。
家に帰って、学習をしたのですが、たいしてやってもないのに、完全抜きまくり、しかも、荷物をぐちゃぐちゃにぶちまけていたり、CDをがんがんかけたままおばあちゃんのところに出かけていたり、まあなんというか、ここまで抜くか、というご乱行でした。

「げんちゃん、こういうのおかしいよね・・K先生に写真撮って送りますね。」
私は、がみがみ言いたくないので、実力行使。

私がそういうと、怒って、スマホを取り上げて投げました。
「うるさい!やめろ!べつにいいじゃん!」
「あ、そう。いいことなら、先生に送っても別にはずかしいことじゃないからいいでしょ。」
そう平然と言うと、私は、顔色一つかえず、さっさとまたスマホをとって送ります。
げんちゃんは、普通の分別のある子のように、やたらいっちょまえです。
「わかったよ!」
そう、たんかを切ると、あろうことか、夜自転車でプチ家出しました。やれやれ。あほか・・・
 しばらくして帰ってきても、ふてぶてしい。
「なにやっとんの。」
私は、家の外でほっとこうかと思ったけど、とりあえず入れて、しらっとした顔で、さらにたたみかけて、その日やらかしている、相当あほなとんちんかんな行動を、静かに一つ一つ説明しました。まあ、いちいち書きませんが、普通のお子さんなら絶対にしないような、ずれた行動がこの日もてんこもり。(そっち行ったついでにいっしょにやってくれば、一回で終わるのに、・・・とか、まあそういう、整合性のない行動のたぐいです。)

自分は、できてるんだ、くらいに思いあがっているげんちゃんには、たんたんと自分の現実をつきつけてあげなくては、上ったまんまになります。l
まあ、こういう格闘を続けて、げんちゃんは、少し勢いが減退し、自分のわがままベクトルが通用しないということを、しぶしぶ認めるところに追い込まれたようです。

まったくもう、反抗期が少し落ち着いたと思ったら、ほめられるとぶりかえす、そんな感じです。

どうも、100ちゃんとできないことがあって、そのうちの一つがちょっとよくなったよ、と褒めてるだけなのに、げんちゃんは、自分のすべてが肯定された・・・そんな風に感じるようです。
絵の先生、ピアノの先生、体操の先生、みんなおれを認めてくれるだろう。おかしいのはお母さんだぜ・・・

どうもこういうメンタルに、すぐに陥ってしまうようです。コツコツと、彼のずれた行動を修正し、自分の立ち位置をしっかりつかむように指導してきているのに、肯定感むき出しで褒められたりすると、すぐに昇り詰める。そのたびに、また一からこつこつ、それを引き下ろす・・・・ほんと、今は、お願いだからほめないで・・・そんな感じです。

そういえば、実家に帰った時、私が、コツコツと指導している横で、母が、
「げんちゃん、大丈夫だよ~。お母さんはそんなこと言うけど、げんちゃんは、よくがんばってるよ~・・・。お母さんの言うことは気にしなくていいから。」

と無責任に声をかけ、そのあと、高慢のきわみに駆け上りましたもんね~・・・

普通の子なら、そこまで勘違いしないのに、世間は俺を認めてくれてる・・・なんか、そこまで行くか、って感じです。

ピアノの先生は、もともと厳しいので、しっかり電話でわけを説明し、協力してもらうようにお願いしました。でも、絵画の先生は、そこまでの連帯感は結んでないし、無理かな、と思ったので、
先週は休ませました。今、それをされると、あともうちょっとというとこで、がらがらとくずれそうな感じです。

げんちゃんと日々長く接している私たち家族、姑、支援の先生をはじめ、K先生やS先生は、実感として、なんとなくわかるのですが、週一くらいの接し方だと、げんちゃん特有のあやうさがわからず、どうしても、伸びてるところ一点を見て、ごく普通にほめて、げんちゃんをのぼせさせてしまう。

たぶん、障害児という目で、つい見ている先生も同じことをしてしまいがちなんでしょうね~。この子たちを指導するには、ほんとに、高い指導力がいる、ほんとにそう思います。とりあえず、何かが教えられるから、という理由だけで、安易に先生を選べないところがありますよね~。

もちろん、その子その子で、合う先生のタイプも違います。げんちゃんは、”どんな時でもほめて伸ばす・・的先生”は、はタブーです。もちろん、ぜんぜんオーケーの子もいますけどね~・・・

メンタルがほとほと鈍感で強いげんちゃんは、もうしばらくは、できたことがあっても、軽く流してほしい。
突き抜けたら、メタ認知できるようになったら、ほめられても、けなされても、黙々とがんばれる子になることを期待してます。

追記
 子供さんがまだ幼く、とにかく、ほめてのせて、いろんな能力を伸ばす時期は、ほめることはそう危険じゃないと思いますし、自信がなくて、引きこもるようなお子さんも、できたとこをしっかりほめるのはいいと思います。
 タイプの見極め、これは大切です。

次の記事に続く・・・


by glow-gen | 2019-03-03 01:33 | ほめるということ | Comments(7)

気持ちを入れたら、IQさえも上がっていくんだろうな~。

 
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初めて描いた複雑なスケッチ。「とても調子よく出来ています。すごい成長だと思います。」絵の先生は、こうメールくださいました。確かに、春に入門した時は、単純な静物さえ、上手く描けるのかどうか、心配でした。こんな複雑なものを描こうと思えるほど、げんちゃんの意識レベルは、絵画の際は上がるようですね~。

げんちゃんは、いろんな能力が上がっています。といっても、意識がばちっと入っているときに、それはクリアになりますが、気持ちが入らず、どんよりモードの時は、できていることもできなくなるので、はなはだ情けなくなります。

 期末試験が帰ってきました。5教科は、英語だけ、48点、数学10点。あとは、全部、20点台前半という結果でした。まあ、20点とれたらよしとしましょう・・・と思っていたけれど、まあ、想像どおりでした。
内容ができた、できない、というのもありますが、今回は、とにかく、最後まで解けていない、というのが目立ちました。理科などはテスト自体がでたらめだな~と思いました。光の進み方、レンズ、圧力、浮力、火山・・・まあ、最後に、全部詰め込めるだけつめこんで、大問が13問、優秀な子でも、絶対最後まで解けるはずがない、というめちゃくちゃな量です。
 友人のお子さんも、50点も取れなかったようです。国語も、毎回のように、漢字のところまでいかず、タイムアップだったし、数学も、半分いったかな~という感じ。

 2学期は、とりあえず、理科と社会も、最後までなんとかやって、わかるとこを埋めていたので、今回は、げんちゃんのやる気はとても低かったのかもしれません。なんせ、今回は、トップダウン方式で詰め込んだりしなかったので、実力と言えば実力でしょう。
 でも、テストなんて、そもそもほかの子と肩をならべて受け始めてから、せいぜい2年程度の歴史しかないことを考えれば、どんどんレベルアップしてくる中学のテスト、なんとか、あきらめず、少しでも、点数があったのは、すごいことかもしれません。

 お友達の同級生のゆうすけ君は、支援クラスで、小学校4~5年生の単元あたりをやっているらしいので、げんちゃんも、のんびりやっていたら、たぶん、似たようなことになっていると思います。

 意識が入っているときは、なかなか進歩していて、圧力の計算も、言葉かけしながら、たどたどしくはあるけれど、クリアしたりします。

400グラムの積み木がおいてあります。底面は、20センチ×10センチの長方形
この圧力はいくらでしょう・・・・なんて、問題をやっています。

まず、400グラムをN(ニュートン)にかえなくてはなりません。100グラム=1N
つまり 4N(ニュートン)がわかることも必要です。

低面積は、20㎝×10㎝ とやりたいとこですが、圧力の定義は、1㎡あたりです。
20センチは、0.2mというのがわかっていなくてはなりません。
0.2m×0.1m=0.02㎡ 
つぎに、4Nを0.02㎡で割ると、圧力200㎩(単位は㎩ パスカル) が求められます。

まあ、読んでるだけでも、なんかめんどくさいでしょう・・・こんな問題解けるわけない、とあきらめようかと思っていたけれど、げんちゃんはまあまあやれています。20センチが0.2メートルと即答した時は驚きました。学習は、気持ちが入っているときは、えっちらおっちら、滞りながらも、普通に理解していくような感じになってきています。

こういう変化を見るにつけ、意識が入る、ということが、記憶にしても、理解にしても、アップするための大前提なんだな、ということを感じます。

たとえば、水に浮く、ということを考えても、浮こうと思わなければ、浮けないです。浮こうと思わなければ、体の筋肉が使えない・・・勉強もそういうことのようです。
小学校の時、何十回やっても、はじめてやるような具合だった学習。あれは、脳の障害ではなく、そもそもは気持ちの障害だったんだろうな~と思います。

集中できる時間も、長くなってきました。調子のよい時なら、自分の体の調整さえ、自分でしたりすることがあります。水を飲むとか、伸びをしたりする、とか。

がしかし、げんちゃんがスイッチを切ってしまうときも多く、その時は、底なし沼に落ちていくような恐ろしさがあります。

あのモードが出てくると、発達障害とは、知能の障害というより、げんちゃんに関して言えば、意識障害で、精神のトラブルと称した方が的確なんだろうな~・・・とつくづく思います。いろんなことができてきているのを見るにつけて、そのギャップははなはだしく、かえって、末恐ろしい気分になっていきます。

げんちゃんは、自学ノートを集める係になったようです。すると、誰に命令されるわけでもないのに、皆の席順を表にしてノートに書き込んでいました。エクセルのような表を、定規で書いて、そこに、全員の名前を書く。

ノートを正しく配るために、げんちゃんは、そこに価値をおいて、気持ちのスイッチを入れたのでしょうね。

こんなことができるんなら、これもできるでしょ。そう言いたい時が山ほどあります。でも実際は、体操服を、立て続けに3回も持っていかない、とか、すさまじい失敗も続けています。

ここが、プラスの方へ収束していくには、げんちゃんが、一つ一つの事象に、価値観をおいて、よくとらえるようにならなくてはなりません。まだまだ突き抜けるには遠い道のりかな~と思います。



 



by glow-gen | 2019-02-28 15:51 | 脳への考察 | Comments(4)

上はどんどん進化しているのに、落ちれば底なし沼。

う~ん。なかなかに手ごわい!
1月にSさんと行った合宿以降、一つ上がったげんちゃんではあったものの、そこからまた、激しい逃げの中に入って、今日にいたります。
一言でいうと、意識を入れた状態、つまり、やる気を出した時は、いろんなことが、ずいぶん、段階的にあがってきていますが、抜いてしまった時は、まったく状態が同じ。幽霊のように、うつろで、やれたことの多くがまったくできない、ということになってしまいます。

 幽体離脱です。。
 もちろん、時々入って、良いパフォーマンスを見せるけれど、それは、梅雨の際の晴れのようなもので、総じて、どんよりうつうつとした日々が続いています。

 とうとう昨日から期末テストが始まっていますが、今までにないほど準備も何もしていなくて突入しました。

 ”逃げる” げんちゃんのそれは、ほんとにすさまじいものがあります。

「あ~疲れた、疲れた・・・やりゃあいいんだろう・・・」

そんな言葉も出ます。やりゃあいいんだろう、というのは、できる人のセリフ。お前は、できていないことも理解せず、できるくらいに思っている。とんでもねえんだよ!

K先生は、今日何時間もテスト勉強をさせてくださったようですが、もうぐったりしてました。
「は~、私なんでこんなに疲れてんだろう。そんな感じです。ふと台車を引っ張ってて、後ろ見たら、荷台が外れて、遠くにおいてきてた・・・げんちゃんの今日の勉強はそんな感じでした。何時間もかかわって、後半少ししか、意識が働いていませんでした~。」

やれやれ、ご苦労様・・・ため息が出ます。

げんちゃんは、なんというか、アクセルとブレーキをいっしょに踏んでいるような感じです。

でも、意識が入る、いわゆる梅雨の晴れ間は、ブレーキをゆるめて、新しい快挙も出てきます。前より、ずっと学習の理解が早かったり、
「僕は、土曜授業に出ていないから、日課を書いてきていない。やばい・・・」
なんて、しごく当たり前のことがつながっていたりします。ちょっとしたことですが、今までつながっていない点が少しずつつながってきています。

しか~し、とにかく、性格的なものなのか、楽したい、逃げたい・・・・これが、はなはだ強い。相当しつこいです。

捉えられるようになっているのに、捉えない。自分ができていないということを捉えない。自分を見つめられるようになっているのに、さける。ここは、ほかのお子さんより、相当にしぶとく、心にふたをする。だから、総じて横柄さが表に現れます。

逆に、良いステージが出れば、どんどん上がっていっているのに、落ちるときはまるで、底なし沼に沈んでいくようです。これは、Sさんがたとえてくれた表現ですが、なるほどな、と思います。
底なし沼だから、私たちは、必死で、落ちるのを食い止める。綱を使ってなんとか引き上げる。

今やっていることはそういうことです。だから、厳しい。押さえつけるきびしさではなく、できていないことを、徹底してつきつける。目をさまさせるような方向性のきびしさです。

まだまだ、しばらくかかりそうです。
SさんのクライアントのH君なら、同じことをすれば、もうとっくに突き抜けているでしょう。と、Sさんは言いました。

ほんと、彼が、正しく謙虚に、自分の立ち位置をしっかりつかんで、自分の心を自分でコントロールできるようになるまで、あともう少しこの格闘は続くのでしょう。
なんかもう、定期試験どころではない。心がまともな人間になれるかどうかの、今は瀬戸際です。

なんか、抽象的な記事になってしまってすみません。

 

by glow-gen | 2019-02-15 01:00 | 自己中心 | Comments(12)

新年そうそうのげんちゃん。不思議な通知表

  あけましておめでとうございます。楽しいお休みはあっというまに終わってしまい、今日から仕事です。

げんちゃんは、大晦日から、正月二日まで、ゼロ勉(な~んにも勉強してません。)。普通の子ならよくあることでも、げんちゃんの発達育児の中に、追い立てられることもなく、ひたすら野放しで3日もすごすことはまれなので、げんちゃんも、のびのびしているようでした。

げんちゃんは、野放しにすると、どんなことをするのかな~・・・実家で見てると、母の、スマホをとりあげて、ずっとゲームをしていました。実家は、いとこたちのテリトリー。あそこに行くと、ゲームと思いこんでいるのかも知れません。
 ちなみに、おいっこは、高校受験をひかえてますが、自分専用のゲーム用パソコンを、実家において、おばあちゃんとこに来たら、ゲームをする、と決めているようです。
彼の母親である、私の妹いわく、
「ほんとに勉強しないのよ。こまったもの!」

らしいですが、市内でも最も難しい進学校を受験するらしいから、地頭の良さが忍ばれます。中3ともなると、口数も少なく、お年玉のお礼くらいしか、声を聞いてないかも・・・
中1の同級生の女の子もいますが、みんなばらばら。小さい頃のように、つるんで遊ぶこともないようです。

 げんちゃんは、ひがな一日母のスマホでゲームを楽しんでいましたが、実家の近くの親友の家に、私が遊びに行くことになって、いっしょにつきあわせました。なんたって、色んな場面で、たくさんの人に会わせ、色んなところに連れて行く。げんちゃん教育は、どんな体験も見逃せません。

 親友は、久しぶりにげんちゃんに会います。

「え~。なんか、しっかりなったね~。もう変なとこないじゃない! 前会ったときは、ねえ、ねえ、おばちゃんの言うこと聞いて、なんて、注意喚起していたような気がしていたけど、・・・」

親友はうれしいことを言ってくれます。たしかに、げんちゃんの受け答えは、自然で、感じいいくらい。まだまだ、親友のところで、素直におとなしくしてくれてる幼さがかわいい。
甥っ子や姪っ子なら、
「行かない!」
で終わりでしょうからね。

私の気持ちが、どこかあきらめているので、のんびりしているお正月です。げんちゃんを、無理矢理、中1のレベルに乗せようとか、学習をばりばりにしようとか、一足飛びに、もっていこうとしなければ、私たち親子の生活は平和なのかもしれません。げんちゃんは、穏やかな方だし・・・

さて、また実家にもどると、げんちゃんは、ゲームに飽きたのか、実家にあるピアノでトルコ行進曲を弾いていました。そのあと、退屈したのか、母が、老人会のクラフト用に、大量に集めていた、ラップの芯をもらって、階段のかべにつなげてはりつけて遊んでいました。ビー玉トンネルというか、ただつなげただけ。上からビー玉を転がして喜んでいました。次は、私が、100均で買って用意していたペーパークラフトを始めました。くいつかないだろうな、と思って与えてみたら、そこそこ食いつきました。


 まあ、総括してみたら、げんちゃんは、ほっておいたら、どんどん下に落ちていく、という感じでもなくて、ゲームはしてたけど、それなりにバリエーション作って、時間を使っているんだな、と思いました。

 家に帰ってきて、
「げんちゃん、たくさん遊んだね。そろそろ宿題した方がいいんじゃない? たくさん出てるから。」
とそれとなく言ってみたら、

げんちゃんは、反発することもなく、案外素直に、うなづきます。実際、宿題は大量です。昨日一日、ぼちぼち取り組んでみました。年末に幽体離脱がひどくて、辟易していた時とは違って、まあまあまじめに、意識を入れています。

くれぐれも、やりすぎない!

Sさんの命令を頭のかたすみにおきつつ、げんちゃんペースです。

夜になったら、二人で寝ころんで、チャレンジのタブレットで借りた「怪人20面相」を読んで寝ました。

げんちゃんは、それなりに進化しているようです。ただ、げんちゃんは、3~4年生くらいのステージにいるわけで、そのステージにあったペースでやっていくとうまくいく。そんな気がします。

それでも、中学1年生をこなさねばならない。そのギャップのとりかたこそ、今年の課題なのかな~と思います。


そうだ! 書き忘れていましたが、げんちゃんの2学期の通知表ときたら、音楽と体育の2以外、すべて3がついているではありませんか、!

ほんとに、どうなっているのでしょう。数学なんて、普通クラスの基準でつけるので、今学期は下がってもがっかりしないで、と、支援の先生に言われていたのですが・・・・ほんとに意味わかりません。

少なくとも、数学は中間期末の平均点は、20点もないだろうし、・・・どの教科も、平均は40点すらないと思う。英語だけ、平均点だったから、英語が3はわかるんですが・・・


狐につままれたような感じです。まあでも、くれるものはもらっておきましょうね~。
実力は、1~2がせいぜい。中学の評価って、どういう基準なのかさっぱりわかりません。ある私立の発達のお子さんは、試験40点切ったら2,だそうなので、学校によっても評価は違うようです。
 げんちゃんが、通知表オール1を取っても、そりゃそうだろな~、と思うと思います。ほんとに不思議な通知表でした。細かい評価基準のところを見たら、
「やる気、意欲的・・・」

みたいなところで、Aをもらっているところがいくつかありました。なんか、先生の応援したい気持ちが反映されているのでしょうか~~。う~ん、それにしても、粉飾決算だよ~。

推理小説みたいに、謎に満ちている!



by glow-gen | 2019-01-04 17:51 | 中学の成績 | Comments(2)

中学1年生の発達障害児の育児・・・中学の定期試験に振り回されない

  期末試験が近づいてきました。今度は、実技科目も入るので、やれやれ、またしんどいな~と、私の方が憂鬱になってきます。
中間テストを境に、なんだか、少し突き抜けたと思ったげんちゃんですが、やはり、げんちゃんのおかしなところが目立ちます。
げんちゃんは、また日課表を書いてこない日が出てきました。それに、4月からずっと言い続けているのに、普通なら書き込む日にちを、日課表をうつしてくるノートをはじめ、学科のノートすべてに書いてきません。毎日毎日言い続けているのに、げんちゃんにとって、時間や日にちは、いまだに何の価値もないもののようです。その日暮らしのげんちゃん、いえ、その時間暮らしのげんちゃんなのでしょう。

 中間テストで、時間を意識した、と思ったのは何だったのでしょう。・・・朝遅れそうになりながら、ばたばたと出ていくげんちゃんをしり目に、帰ってきてから
「今日は、間に合ったの?学校に何時についたの?」

と質問しても、間に合った、と言うだけで、具体的な時刻は、把握されていないようです。徒歩で何分かかるから、何時には家を出なければ、なんていうしごく当たり前のことが、げんちゃんの体の中にはないようでがっくりします。

 あいかわらず、台所に、お箸をとりに行って、テーブルにもどって、次に、しょうゆを取りに行く。一ぺんに合理的に動くことはない。・・・・こんなバカげた行動を、何とも思わないのでしょうか。
今日は、K先生のところで、4年生のお友達とはちあって、彼も、K先生の小2の娘さんも、今日の日にちを即答できたのに、げんちゃんだけできなかったそうです。しかも、その後も、何度も聞かれるたびに、カレンダーを見ていたというので驚きです。彼は、その日、日時について意識したのは、放課後K先生のところで、聞かれた時が初めて・・・・なんでしょう。

「普通の人は、日にちや時間を意識して生活しているんだよ。ほら、2年生の子だってわかっているでしょ。げんちゃんは、ずれているよ。」
K先生が言うと、
「え? そうなの? 」
と、いつもの調子できょとんとしていたようです。
報告を聞くと、その有様が、手に取るようにわかります。ほんとに、きょとんとして、彼の並外れた”ずれ”が、開き直ってこっちにせまってきます。ほんとに崩れ落ちそうになります。

発達の子の育児をしていると、こういう”ずれ”に、こちらの心身を脅かされる感触があります。

でも、今日は、先生の演出もあって、低学年の子の前で、おもいっきり恥ずかしい目にあわされたげんちゃん。時間を意識することの大切さを、図説やたくさんのたとえを使って、こんこんと言われ、やっと少し、そこに価値を見出したような感じだった。とK先生は言いました。

「そういえば、6年生の時も、同じような指導をしたけれど、まったく意識にひっかからなかったですが、今回は、少しひっかかったようです。」

中学にもなって、時間のない世界に生きているげんちゃん、同じ空間に存在していても、彼が感じている空間と、こちらのそれとは、まったく異次元なんでしょう。

なんかな~・・・定期試験がどうのこの、そういうことにこだわるのも大事だけど、げんちゃんは、もっともっとやらなければならない訓練があり、体験があり、指導があるよね~・・・そう思われてしかたありません。

あげればきりがない、”ずれ”
学習への取り組み方や集中・・・確かに昔より良いけれど、彼の意識の照準合わせは、いい時でも3割くらいは、まだまだぶれています。そう3割は、向こうの世界に行ってしまっている。完全に幽体離脱はしていないけれど、意識はまだまだばらけています。つまり、目的意識をしっかり持てない。たとえ、多少目的意識を持ったとしても、そこに向かって直線で行くことができません。
あっちに行ったり、こっちに行ったりしながら、なんとか、ふらふらそこに合わせる感覚です。

そこを、こっちが、膨大なエネルギーを使って、げんちゃんの照準合わせを、あの手この手で補い、全力でげんちゃんに入力していく。そうやって、なんとか中間では、50点越えを2教科果たした。でも、それって、ママのエネルギーを吸い尽くした結果でしょ・・・こっちは、憔悴しきっています!

なんだかね。違うんじゃないかな~・・

私は、明日は学校を休ませることにしました。たまたまS先生も時間が取れるというので、明日は1日、S先生に連れまわしてもらって、心の勉強をさせることにしました。

あくまでも、試験も勉強も、げんちゃんをちゃんとした大人に成長させるための糧。それが目的にすりかわってしまって、本質が治らないまま中学を卒業すれば、さらに、やっかいなことになってしまいます。卒業までに、なんとか、もう一歩二歩・・・精神的に成長して、目的意識を自分で握って行動できなければ、やばい。

自分の心と感情。感情と意識。自分でも、まったくどれがどれで、どっちの声を聴くのか・・・まだまだ混乱の中にいるげんちゃんのようです。基準が自分の中にない。プラスマイナスの計算式も、まだまだ、不正確なことしかできないのは、自分自身の立ち位置、つまりゼロ点が、まったく存在しないからだ・・・と、S先生が哲学的なことを言います。自分がどう感じる、自分がどうしたい。感情に引っ張られて、本当の自分のすべきこと、したいこと、が見えなくなってしまう。目的のない自分の世界観に、まだまだ半分は落ち込んだまま。

点数を取るノウハウに、汲々としていると、大事なことを忘れてしまう。げんちゃんの心を成長させることができなければ、ほんとに大変なことになる。危機感を感じる私です。

ときに、中学校のカリキュラムが邪魔して、発達育児の本質がぶれてしまいそうになります。あくまでも、中学に合わせるのが、発達育児の目的ではありません。げんちゃんが、正しい生き方ができる大人になるために、今最も必要なことは何なのか・・・見極めないといけない。そう思う私です。

by glow-gen | 2018-10-26 01:01 | 定期試験 | Comments(16)



中学2年生の息子。5歳の時に、発達障害とわかり、ママの格闘と改善の記録。
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げんちゃんママの紹介
中学2年になる息子げんちゃん。5歳の秋に、発達障害が発覚。最初はショックだったけれど、脳はまだまだ未知数。ママがなんとか素敵な子供に育ててみせるぞ~。最初はIQ60、・・コミュニケーションも微妙。身体もふらふら、はさみもにぎれず・・・もちろん絵もまったく描けず、5歳なのに、ほとんど2歳児みたいでした。いや、それ以下の機能もたくさんありました。
 「子供の脳に良いこと」を書かれた鈴木昭平先生が主催する、エジソンアインシュタインメソッドに出会って、ママが改善をさせることを学びました。そこを皮切りに、日々研究を積み重ね色々取り組み、相当改善してきました。、たまたま支援クラスができなくて、普通クラスの1年生に入学しました。2年の2学期から、支援クラスができて入ってます。算数の学習障害は、ひどく、相当苦労してますが、毎月毎月、必ず進化しています。日々はらはらどきどき。 天才ぼうやに育てるべく、奮闘中。パパと一人暮らしをしている大学2年生の娘と、医療関係に働くワーキングママ。
 近くに住む、お姑さんに手伝ってもらいつつ、がんばっています。
1年生の2学期から週に1.5日学校を休ませて、ママがおうちでホームスクールをやりました。4年からは週二日になりました。さらに、5年の9月からは、2.5日に増え、3学期からまた、週2日にもどし、6年の後半からは、週に1日に減らしました。
近くに住む、主婦のK先生のおうちで、ママが仕事でできない日は、ホーム学習のお手伝いをしてもらっています。
 5年生からは、算数以外、試験的に普通クラスにシフトという快挙です。6年生は、すべて、普通クラスですごすようになりました。発達の改善に取り組みはじめて8年の歳月は、子どもをどんどん改善していきました。
 6年になって、不思議なセラピストのS先生に出会い、発達障害は意識の障害だ、ということを認識しました。意識が抜けたような状態のげんちゃん。その部分が改善されれば、発達障害のコアな改善につながると、がんばっています。中学は、地元の公立中学へ入学。国語と算数だけ、支援クラスで、マンツー指導を受けています。ホームスクールは中学からは中止しています。
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