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げんちゃんの発達障害プロジェクト

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絶対的な立ち位置と、相対的な立ち位置を教えたい

  発達障害が発覚してから、私のげんちゃんに対する一つの一貫した態度がありました。
それは、げんちゃんに、自分の今の立ち位置を正確に伝える、ということです。
自分は、世の中では発達障害と呼ばれ、あらゆる点で、お友達から成長ポイントが遅れているのだ、ということは、会話にどんどん出してました。

上学年になって、彼がすねているときは、それは克服できて、素晴らしい未来につながるよ、と励ましもしました。

最初から事実そのままを、それより下でも上でもなく把握してほしい、という感じです。
人間の尊厳は、げんちゃんの能力が他の人より劣っていようが、まさってようが、変わることはありません。
げんちゃんも、神様に創られて、愛されている尊い存在です。

そして、人間の目にどう映ろうとも、神様から、自分だけの人生のミッションを与えられています。今のげんちゃんも、目的があってそうなってるわけで、他の人より劣ることはありません。
その事実はどんなことがあろうとも揺らぎません。その絶対的な立ち位置も、伝えてきました。
(私より、やさしい教会の方々が、よく伝えてくれたかも~。感謝)

でも、母は人間なので、「げんちゃんなんて、生きてる価値ないよ。」
なんて、その場の勢いで言ったりすることもありました。どんなに、私が血迷って、そんなことを言ったとしても、絶対的なげんちゃんの立ち位置は揺らがない。

それに対して、現実のげんちゃんの、いわゆる”世間での立ち位置”は、生きていく上で、たんなる駅のようなものです。だから、ゴールへ向かう上で、今どこの駅にいるのか、ということは、大切なポイントだと考えます。

先日、げんちゃんは、普通クラスにこだわり、唯一行くことになってる、支援クラスの校外活動を拒否しました。その時、私は、

「あなたは、まだ、普通クラスの能力は満たしてないよ。今は、ただ、先生やクラスメートが、あなたをサポートしてくれているから、普通クラスでやっていけてるのよ。」

という事実を、つきつけました。

中学校で支援クラスが用意されていると聞いて、怒ったときも
「何言ってるの? 宿題をメモしたり、一日中、先生の言うことを聞きのがさないようにすることできる?宿題も、一人でできる?
 誰からもサポートされないで、そういうことを、きっちりできるようになれば、すぐにでも、支援クラスはやめれるよ~。」

と言いました。げんちゃんの希望は希望として、現実をしっかり把握させる。

 今、げんちゃんは、意識が出てきて、学習も、昔に比べれば、かなり理解力が上がってます。しかし、算数のアレルギーも強く、まだまだ意識を入れにくいし、学習自体もあわよくば逃げたい。でも、そこでなんとか踏みとどまっているのは、自分の立ち位置をある程度把握しているからだと思います。

 「ぼくは、普通クラスでやっていきたい。支援クラスははずしてもらいたい。」

意識をつかんできたげんちゃんの思いです。そういう思いを現実にするには、どうすればいいのか。やはり、自分は、すべてを投げ出してはいけない。それをわかっているげんちゃんです。

彼は、今、勉強も逃げてはいけない、とわかっているけれど、やるのは面倒くさい、という二つの思いの中で揺れて苦しんでいます。
 昔、トレーニングを逃げ出したりしていた時は、衝動でした。でも今は、自分のわがまま、自我がその行動をとらせます。

 そして、 自分のなりたい自分になるためには、逃げることはできない。
ならば、意識を入れて、さっさと終わらせよう。というのは、正しい結論です。

でも、なかなかそこに行くことができません。まだまだ、時間だけ浪費するような意識を入れない学習を展開してます。できる期待感があるゆえに、教える方も疲弊します。

 このジレンマは、自分にある程度枠があるからおこっているとも言えます。正しい枠、というのを、与えてやることは、この子たちにはとても大事だと感じます。正しい枠も、少しはわかる。でも、その中には入りたくない。でも、出れば、自分の理想の未来が遠のく・・・ 

 げんちゃんが、どこを目標にして、今どこの駅にいるのか、把握させたことは、この時期乗り越えるのに、大きな力になる、と感じます。以前、Sさんが、コンプレックスが歯止めになるよ。ということを言ったのを覚えています。
 マイナスへ向かうベクトルを、なんとか踏みとどまっているのは、今まで与えられてきた枠と、コンプレックスと言えるかも知れません。

良いコンプレックスは、自分の駅を把握して、それに対する、正常なマイナス感、そう言い換えることもできるかもしれません。

絶対的な人間の価値と、相対的な今の立ち位置、そして、将来への展望を教えることなしに、このステージは乗り越えられない、そう思います。やがて、乗り越えていったときには、コンプレックスはバネとなり、プラスアルファに変わっていると思います。

 支援クラスの子は、ほめられる教育にかたよったり、ゴールの設定をあいまいにされたり、立ち位置を教えられず、その駒の進め方も、目標ポイントも教えられることが少ないです。それは、この子たちの駅が止まっている、と考えられてしまっているからかも知れません。

  でも、その子たちが、伸びてきて、あるステージに来たときに、それはほんとにマイナスになるのではないか、と思うようになりました。

 さて、話しかわって、今日は、野球の合宿に行きました。家を出る直前に過敏性大腸炎?? え?まさか?という症状がおこったげんちゃんです。
休む! と言い張ったのを、先生と説得して行かせました。どうなることやら・・・

しかし、人並みのストレスか~?? なんせ、小さい子のクラスのリーダーやるんだよ。とさんざん言ってきたので、びびったか・・・意識はいっとるやんけ~。すごいすごい!

今までにないことなので、さらに期待します。がんばれ~・・・生みの苦しみ・・・(だと思う)


算数の学習障害について、おまけ記事です

以下記事はコメント欄で質問があった、算数の感覚つけのお話です。計算は得意、という子も、ためしてみるとおもしろいかもです。その子の感覚があぶりだせます。

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コメント欄で、質問があった、ドッツの足し算の話しを貼り付けます。
げんちゃんは、6年になって、なんとなく、算数が前よりできるようになっても、なんか、根のないその場限りの算数といったありさまでした。7月にくもんに入り、くもんは、計算しかやらないので、今げんちゃんがとりくめる能力からの計算プリントをはじめました。でも、それに並行して、幼児のドッツ足し算をやらせるようにしました。(それくらいしか、くもんには、具体物算数はありません。残念ですが。この記事を見て、くもんが実態物に強い、とならないようにご注意!)
6は5と1,7は5と2、8は5と3、9は5と4
どうも、この感覚がまだついてないんじゃないかな、と思ったのです。初めは、「僕をばかにするのか。」と言ってたげんちゃんなのですが、何ヶ月もやらせていたら。「ぼく、いやじゃなくなった。」と発言しました。先生は、その時、「あ、簡単そうで、反発しただけじゃなく、感覚無かったんだ、まじに。」と思ったそうです。(くもんは、プリントは何枚やってもいいそうで、数百枚やりました。)
 んで、ある時、6たす2みたいな足し算を、8と書くのを間違えて、13、と書いたとき、2を見て、7を連想できた、ということで、あ、この子、6以上の数が、5といくつ、みたいな分解で、感覚的にとらえられたんだな、と判断できたのです。

 たぶん、それまでは、5といくつではなく、ただのばらばらドッツの感覚ではなかったか、と思います。
げんちゃんみたいな子は、意識を入れず、算数をやりたい、というところが大きく、なかなか算数はすすめにくいです。具体物で、どこまで感覚があるか、常にあぶりだし、埋めていかねばならないと思います。たしかに、ドッツは、数分で終わるので、負担がなくて、でも、感覚を確実に埋める。こういう学習アイテムを算数学習に5分くらい、いれていくのが良いように思います。今は、積み木をつんで、スケッチというのをやってます。(5分以内でやめる、はまると時間くうので・・・)

 普通のプリント学習をしながら、5分から10分に限定して、日々何かを入れるのはいいように思います。毎日はできてませんけど・・・




by glow-gen | 2018-03-24 17:41 | 意識のこと | Comments(47)

意識が芽生えると自我も芽生える・・・

  今週になって、げんちゃんは少しかわりつつあるような気がするけれど、やはり、新しいステージでもがき苦しんでいるように見えます。

 そして私は、今げんちゃんがどこのステージにいて、どこを目指すべきなのか、昔は、どういうところにいて、何が問題だったのか・・・そういうことが、だんだんクリアにわかってきたような気がします。敵が本当に理解できれば、まだ戦略がたってなくても、勝利が自分の手にある。そうだったらいいな、と願います。

 S先生に、「げんちゃんの障害の本質は、意識障害だよ。」
という言葉をもらってから、げんちゃんへの見方がかわりました。

 8月に、今考えれば、圧倒的な対象物を前に、感じている自分を自覚する、ということだったように思いますが、イルカを使った合宿をしていただきました。
 それだけがきっかけではないと思うけれど、動物のように人格を持ってなかったげんちゃんは、人格を持った6年生の男の子になってきたようです。
 もちろん、卒業式で感じるはずの普通の感情を、まだ持てなかったり、普通の6年生と比べると、まだ遠くにいるけれど、げんちゃんは、自分がどう感じるか、どうしたいのか、そういうことをつかんでくるようになりました。

 昔、動物のようだ、と感じていた頃は、たとえ、彼が何かしたい、と訴えたとしても、それは、理性ではなく、衝動であり本能であり、せいぜいひとにぎりの意識のかけらが、偏ってちょこっと出ているだけのものだったと思います。自分の好きなことだけに出る、きわめて閉鎖的な意識。

 でも、それが、殻を突き破って、やっと私にわかるところに出てきた、という感じでしょうか。

具体的に言えば、
「僕は算数は苦手だな。」
とか、「ぼくも気持ちわかる。」(算数が苦手な子のコメントを読んで)
こんな、ごく当たり前の、自己を意識したつぶやきが出てくるようになっているのです。

 しかし、意識が出てきたけれど、どこへ向かうべきかがわからない。

たとえば、普通の子は、物心つく3歳くらいから、反抗期のようなものがありますね。
自我が初めて出てくる。
 2歳と同じように、いやいやをして泣いても、3歳くらいからは、はっきりとした意思や意識が働いている。親の出方次第で、してやったり、ということもあるし、矯められて、次からは、しっかり行動を修正したりもします。

今までは、行動のすべてが、反射であり、本能的な反応からおこることだったのが、その子らしい意思や理解が加わってくるのです。



しかし、げんちゃんは、意識がある程度表に出始めたのは、ほんとにここんとこなのではないでしょうか。だとすると、3歳児のように矯めるのは大変です。自分の自我が初めて芽生えて、自分がやりたいと願うことは、親が願うことと対立する。

 意識レベルは3歳児なら、親は大変です。

だから、多くの親は、そこで、つい、放置してしまうのではないか、と思います。私もまた、そうしようかという気持ちにもなります。でも、ことの意味がわかると、そうではない、ということがわかります。


私が、これは危険だ、と感じていたことは、そういうことだったのだ、と、やっと私は理解しました。


3歳から意識が芽生えてきた普通のお子さんは、それからの成長の中で、まわりに意識をめぐらせ、その中で、たくさんのことを学習し、時に矯められたり、ほめられたりして、12歳という年齢に達しています。でもげんちゃんは、今、意識がほんとに覚せいしてきたばかり。その時間のギャップを埋めるのは大変です。

 好き勝手な方向に行ってしまえば、修正は大変なことになってしまうのではないかと思います。

 今は、まだゼロ点、どうにかしてプラスに持っていかなければならない。そう思います。

 だから、ただ、普通に反抗期が来たというだけのお子さんとは、話が違う訳なのです。


 発達障害のとくにグレーゾーンの子は、げんちゃんと同じようなステージの子がたくさんいるような気がします。意識がある程度でてきてるけれど、それが、自分勝手な方向性に向けてどんどん走り出してしまっている子。もはや、親のコントロールが難しく、親は、しかたなく、ある程度好きなようにさせるしかない。

 ハッピーな子は、そこから、色んなことにぶち当たり、なんとか修正し、社会適応していくかもしれません。でも、一部の子は、マイナスな方向に行って、さらに、2次被害とかが加わってしまって、深刻な状態になってしまう。


 そうならないように、ほんとに、今、しっかりと方向性をつけなければいけない、と気が引き締まる思いです。


 

by glow-gen | 2018-03-23 20:21 | 意識のこと | Comments(6)

悪魔と天使? 人格の破綻??

 ある日、私は、外に出ていて、留守番をするげんちゃんに電話しました。
「ねえ、げんちゃん。おうちを出るときに、食べた食器洗っておいてね。」
「うん。わかった。」
「それから、エアコンと電気は、ちゃんと消して。」
「わかってる。」
「あ、それと、お母さんのポーチ持ってきてくれる?忘れたから。」
「え?どれ?」
「いつも鞄に入れている丸いやつだよ。テーブルの上にあるでしょ。」
「あ、これね。」
「わかった。自分のバックもってくるのはわかってるよね。で、全部で、何して出てくるか、言ってごらん。」
「え?あー・・・ポーチ持ってくる。食器洗って、電気とか消す。」
「自分の鞄忘れないでよ。」
「わかった。」

彼は、そのあと、一人、家の鍵をしめて、私のいる場所に来ました。

「食器洗ってくれた?」
「うん。」
「電気は?」
「消したよ。はいポーチ持ってきた。」
「ありがと。すごい。ちゃんとできたね。」

げんちゃんは、全部こなしてきたということでした。私は、ほんと、進歩したな、と思いました。半年前じゃ、これはなかったんじゃないだろうか・・・・
 
さて、家に帰ってみると、食器はまったく洗われていませんでした。流しに運んでいたので、それを、洗ったと解釈したのでしょうか。そして、通路の電気は、付けっぱなし・・・本人は消したつもりなのか、見過ごしてしまったのか。でも、私のポーチは確かに持ってきてくれた・・・

 なんで、食器を洗ったと言ったのか・・・適当に、その場をつくろったのか、それとも、別の理由があるのか・・・

 げんちゃんは、確かにどんどん進化しているけれど、なんだか、彼の魔物も外に飛び出してきているようないやな手触りのこの頃。よくわからないけれど、私は、この頃、げんちゃんの進化の喜びを、打ち消してくる新しい魔物を感じています。
 
 チャレンジタッチをやらせていたら、英語の綴りの問題がありました.
soccer, pencil,tennis,・・・・
ローマ字読みしたんじゃ書けない特殊な綴り。げんちゃんは、なんとなくではあるけれど、英語教室で英語にふれてきたし、公文でも、何度も書いてます。でも、ことごとく、できません。初めて英語をする子向けに、選択になっていて、パーツを選ぶだけ。げんちゃんにとっては、決して初めてのものでもなく、幾度となく読んで書いているのです。

 私は、解説を入れようとします。
「うるさいな~。そのうちわかる!」
え? くもんの先生がそう言うのでしょうか。確かに、普通の子なら、大量に、同じパターンをこなせば、法則が見えてきます。でも、もうあなたはすでに、何度も書いている・・

 げんちゃんは、学習をするとき、頭を空っぽにして、運動神経でこなすようにやっている。意識がまるで入らずにやっているから、法則も考えないし、つながりも見いださない。この問題のあとでさえ、間違えたことから何もフィードバックすることもない。
 確かに、ある時代までは、ぽかんと口を開けたげんちゃんに、必死で食物を運ぶように、いたれりつくせりして、勉強入力していく、というような状態が続いたけれど、まだ、それを続けようとしているのか。ここへ来ても・・・。

 げんちゃんが、どこまで理解しているか、とか、そういうことは、ほんとに見えにくいです。とくに算数などは、意識が入らなければ、すべては無になり、学習したことの一端さえも、見えてこなくなる。それは、わかってないのではなく、どの扉も開けようとしないだけ。

 もはや、車のエンジンに故障はなく、ガソリンも満タンなのに、破壊された車と同等の機能しかない状態。だから、周りの人は、げんちゃんの機能不全をなんとかしなくちゃ、と思うのだけど、実は、まったく違う。

 そして、機能不全を治していく方が、もしかしたら簡単なのかも知れません。故障がないのに(もちろん、ゼロではないけど・・・)動かない車って、どこか、精神を病んだ人のようでもあります。どこにも病気がないのに、動けず寝たきりになってる。

 色んな機能が改善しているゆえに、なんだか、げんちゃんが、狂人のように感じる時があります。
何なんだろうな~。最近の私のこの行き詰まり感。(まあ、いつも行き詰まっているのかもしれませんが・・・)

意識を入れられる時というものを、経験したので、逆に、入ってない状態が、恐ろしく感じるのかな~。ブログ書いていて、自分でも、よく分析できません。私の期待感が大きくなってきたから、そう感じるだけなのか・・・
 そういえば、今日は、K先生のところに行って、聞かれても、日にちも答えられず、卒業式と書き入れたカレンダーを見ても、わからず。まるで、幽霊のよう・・今までだって、そういう日は、たくさんあったけれど・・・・まだそこに居続けるの?

 SさんにSOSを出すと、

彼も、なんと、同じような感触をもっているようでした。
「今は、まだ大きくマイナスに行ってないからいいけど、今後マイナスに行けば、大変なことになるよね。プラスかマイナスか、どっちかに向かっていく。絶対にマイナスに向かって行かないようにしなくてはね。」

 上手に言えないけれど、動物のようだった彼が、やっと人格を持ち出して、顔を出してきた。悪魔と天使どちらも持つ人格。その悪魔の部分が、天使を駆逐してしまうかもしれない。天使が悪魔を凌駕すればいいけれど・・・

 すみません。うまくまだ言葉にできません。ただ、新しいステージを迎えていることは確かなんだよね・・・

 なんか、彼に学習をどう教えようか・・・と、いつも考えていたけれど、なんか、そういうことではないことが立ちはだかっている。そこが解決すれば、学習を教えることは、しごくスムーズにいくように思うのです。学習の教え方なんて、そう大きな問題ではなくなる・・・ちょっとの工夫でいいようになる、そんな気がしてる私です。

 精神を病んだ人を改善させるのに相通じるものを感じている私です・・・
変でしょうかね~・・・


 

 


by glow-gen | 2018-03-19 21:07 | 意識のこと | Comments(12)

まわりのことを自分のこととしてとらえる。卒業式その2

  ここ2週間は、ホームスクールは中止。毎日学校に通いました。毎日卒業式の練習をこなしたのでしょう。げんちゃんの卒業式のセレモニーの様子は、非のうちどころがありませんでした。証書を壇上で渡されて、見事なお辞儀をし、決められた方法で席にもどっていきました。全員壇上に上がり、歌ったりメッセージを言ったり、げんちゃんを含め、どの子も、小学校の入学時からは、遠い遠いところにきています。
 
 前の日に
「げんちゃん、明日は卒業式だけど、寂しい?」と聞きました。
「べつに~。」
発達障害に気づいた幼児の時から感じていたけれど、げんちゃんの心が、どこか、ロボットのように硬く冷たく感じます。

クラスにもどって、一人ずつ、前でコメントを発表します。
「僕は、このクラスで、色んなことを経験したけれど、終わってみて、このクラスになれてほんとによかったと思います。みんなが、ほかの人のことも思えたし、楽しかったです。中学に行っても、よろしくお願いします。」

「僕は、違う中学に行くけれど、またどこかで会ったら声かけてください。よろしくお願いします。」

次々に発せられるクラスメートからのコメントは、ハートの通った大人の味がしました。もちろん、色んな子がいるので、一言、恥ずかし気に言って終わりの子もいます。みんなが同じ成長スピードではないと思うけれど、げんちゃんの課題を見せつけられるようでもありました。

「あ、・・・おめでとうございます・・・」
げんちゃんは、前に出ると、おもむろにそういうと、止まってしまいました。

なぜ言葉が続かないのか、・・・
私にはわかります。卒業式に、クラス全員が共有している気持ちを共有してないのだな、と思います。卒業式というイベントに向けて、何週間も練習したり備えて来たので、それなりに卒業式の重みを感じてはいるげんちゃん、しかし、他の子ほどの思い入れもありません。先生に促されて、
「ありがとうございました。」
と締めくくりましたが、私は感じます。何がありがとう、なのかもつかんでいないのだろうな・・・と。


先生の最後の送る言葉は、ほんとに示唆に富んでいました。げんちゃんが、どうして、気持ちを共有できないのか、言葉にしてもらったかのようでした。

「このクラスは、ほんとに素晴らしかったと思う。それはね、このクラスの子たちは、こういう子が多かったからだと思うよ。」
そう言うと、先生は、黒板に、ある文字を書きました。

他人事(ひとごと)と、自分事(じぶんごと)

「みんな、自分のことは、だれでも考えると思うけど、人のことは、考えない人もいるよね。でも、このクラスは、人のことを自分事、って考えてくれた人が多かったように思います。だから、この一年間を通じて、とてもいいクラスになったと思う。・・・・」

先生は、それから、クラスのみなでもりあげた、いくつかのエピソードを話してくれました。

若い先生なのに、とても素敵な話をされるな~と、思いつつ、私は、ふと気づきました。そうか~。げんちゃんに全く欠落しているのは、自分事の範囲なんだ、と。自分の興味のあること以外は、すべて他人事。だから、連帯感も薄いし、寂しいという感覚もわかない。


家に帰って、げんちゃんに、
「今日の、○○先生の言葉は、とても素晴らしかったけど、覚えてる?言ってみて。」
と聞くと、しんみょうに聞いていたように見えたげんちゃんだけど、まったく答えられませんでした。何か言わなくちゃと思ったのか、最後には、
「中学でがんばって・・・とか~。」
と、適当におもいつくことを答えました。まあ、その場にあった答えを、なんとかでっちあげてくることも、今まではできなかったことで、進歩と言えるかもしれませんが、普通の子なら、心にぐっとくる内容さえ、把握してないげんちゃんに唖然とします。


私はしかたなく、げんちゃんの足りない、”自分事”、について、先生の言葉に注釈を入れて、話してやりました。そしてそのあと、こんな会話をしました。

「げんちゃんは、6年のこのクラスが楽しかった?」
「うん。楽しかった。」
「それはなぜと思う? げんちゃんは、隣に座った子に、色々助けられたよね。」
「うん。」
「それは、隣の子が、げんちゃんのことを自分事、として考えてくれたからだと思うよ。 でもさ~、げんちゃんはどうだった。僕興味ない! とかよく言ってたね。」
「あ、うん。・・・・」
「もし、隣の子が、同じように、げんちゃんのことを他人事と思って知らん顔してたら、どうだろう。げんちゃんのこと助けてはくれなかったんじゃない?」
「うん。そうだね。」
「じゃあ、げんちゃんは、その子にどうすればいいんだっけ。」
「あ、・・・・・(しばらくの間)感謝する。」
「だよね。でも、それだけでいいの?」

そこから先は、何度かやりとりがかわされなければ、自分も、ほかの子のことを自分事としてとらえなければならない、という回答にいきつきませんでした。

 隣の子がしてくれる親切も、その子がやりたいからやった、くらいにしかとらえられてないげんちゃん、おとなしくしていて、周りを妨害するベクトルさえ出さなければ、それでいい、なんか、そんなげんちゃんです。かつて、自分の好きなようにふるまって、周りに迷惑をかけていたことを考えれば、げんちゃんが立っている場所は、大きなマイナス地点からプラスマイナス0、に近くなってきたと言えるのかもしれません。

 しかし、そこから先に行けなければ、げんちゃんは、やはり、発達障害というエリアに立っているわけで、私が望んでいるところではありません。
卒業式という人生の大きなイベントの、このやり取りの中で、げんちゃんは、少し心が動いたように思いました。やはり、卒業式という心動かす大きなイベントの効果はあったのかもしれません。


そして、ここは、発達障害の子の、もっともコアな部分でもあります。意識、興味のベクトルを、あらゆる方向に出して、周りにいる人、また、周りで起きる事象を、自分事としていくこと、ベクトルさえ出ていなかった以前の状態から、今は、とりあえず意識のベクトルを出そうと思えば出せる。
 だから、どこに出していくのか、ということに焦点を写す段階になってきたのでしょう。自分の好きなことだけにベクトルを出していくのではだめなのです。

 イメージするのは、太陽の絵です。中心から、放射状にたくさんの線が出ています。おれがおれが、という、自分のための線でもありません。出すべき場所、人、時間へと、自由自在にたくさんの線が出て、(意識が出て)正しく情報をとってきて、正しく感じる。


 卒業式を通して、大きな気づきと目標をもらいました。


先生方や、自分事としてげんちゃんをフォローしてくれた学友たちに、再度感謝した一日でした。



by glow-gen | 2018-03-17 16:04 | Comments(9)

意識の暴走、自分勝手な情報収集と情報判断 卒業式その1

毎日、幼虫が変態していくみたいに、げんちゃんは、日々、なんとなく変化しているようでもあります。いろんな気づきがありながら、忙しくて、なかなかブログに向かえませんでした。
とうとう、昨日は、卒業式でした。
 「とうとうげんちゃんは小学校から旅立つ」、と思うと、人生は、ところてんみたいに、先へ先へとしか転がっていかないことを思い知ります。

 げんちゃんみたいな子をさずかって、なすすべなく過ごしていっても、いつのまにか人生は先に進んでどこかにたどりついていくだろうし、私のようにがつがつやっても、やっぱり、どこかに押し進められていく、一時として止まっていることはないのだな、と感じました。

 普段は、同じような日々が連続してるので、あまり意識しないことですが、私たち人間は、激しい流れの中にいるのです。変えられないマクロの流れの中で、私たちは、たくさんの自分だけのミクロの流れを作っているのかな。私は、ここんとこ、その中で、格闘しながら、小さな波を作っていたのかもしれません。

 ここ10日間、私が格闘していたのは、げんちゃんが、まったく言うことを聞こうとしないということでした。特に、生活全般のことです。洋服を脱げば、ほっぽり。風呂に入れば、風呂場は散らかりまくり。水筒にお茶をつげば、まわりは水浸し。
 一つ一つ注意するけれど。「めんどうくさい!」とか、「もう、うるさいな~。」「別に、しなくていい。」・・・・
今までは、できなかった、というベースがあってやらなかった。でも、今は、やりたくない、やらない、という意識のもとでやらない。同じように見えても違う。

そして、今の状態はとても危険だということを、私は感じてました。

それと相対するように、今までやらなかったプラスの行動も目につくようになってきました。たとえば、3月に入ると、K先生のところでし残した宿題を、寝る前に、誰にうながされることもなく、みずから取り組んだり、今日のスケジュールを聞いて、
「じゃあ、カギは持っていくの?」
なんて、聞いてきたり。かつて、そういうことはなかったので、へ~・・・と見つめる私。でも、どこかずれていて、

夜、間に合わなかった宿題を一人で取り組んでいるときに、

「ねえねえ、わかんないんだったら、本見てごらん。」
なんて、わからず手元が止まっているげんちゃんに、私が声をかけると、
「あー。もう、うるさい。宿題全部やらなきゃいけないんだよ。そんな暇ないの!わかる?こっちが大事でしょ。」
とか、意味不明なことを言う。

「いやいや、だからさー、宿題なんのためにするの? げんちゃんがわかるようになるためじゃないの?適当にするより、きちんと理解しながらやる方がいいじゃない」

「あーもう、ぼくは、普通クラスに行きたいの!」

意識は出てきたけれど、なんか、自分勝手な判断と方向性にひたすら暴走し始めているような危うさに満ちています。バランスに欠いている発達障害の行動のもとにあるのは、自分の偏った方向性にだけ、意識のベクトルが出て、そこから、自分の切り取りたい情報だけ切り取ってくる。それをまた偏った組み立て方で組み立てて、結論を導きだすものだから、最終的な自己の行動決定は、普通からはかけ離れた身勝手なものになる。

今のげんちゃんは、まさに、そういう方程式が出来上がりそうな勢いです。

やれやれ困ったな~・・・
手を焼いているのは、私だけではなく、いつも勉強を教えてもらうK先生も同じようで、しょっちゅう激怒させられ、時間の多くを、お説教にあてる、というのも多くなってました。

もちろん、学習の理解や、集中は、以前とはくらべものにならないほど、良いパターンも出たりしてます。

今までの方法論ではなかなかうまくいかないのかもしれません。ましてや、私の言うことは、”聞かない”と、どこか決めているようなところがあって、親一人でも、きわめて乗り越えにくいところのような気もします。

そして、そんな中で卒業式を迎えました。卒業式の一連の非日常的な学校のカリキュラムの中で、げんちゃんは、ひとつのきっかけをつかんだようでした。
長くなるので、続きはまた次の記事にしたいと思います。

by glow-gen | 2018-03-17 10:46 | 意識のこと | Comments(2)

「のびのびと好きなようにさせる、見守る」、というリスク

   日曜日は、げんちゃんが、完全抜いてしまう日です。そこで完全に抜いてくるので、日曜はしょっちゅうバトルです。
げんちゃんのように、少し意識が出てきたステージになると、完全に意識を抜いてくる日があるのはまずいです。電流計にたとえれば、ウイークデーには、できるだけプラスに振ろうとがんばってる針が、日曜になると、どかんとマイナスに振ってしまう。週明け、プラスに振ろうとしても、しばらく調整期間みたいになってしまうようです。

 もともと、マイナスにどかーんと行っちゃってる意識だったので、プラスにキープするのは普通の人よりエネルギーがいるげんちゃんです。一度、マイナスにどか~んと行ってしまうと、再度プラスをキープするのが、さらにしんどくなるし、自分だけの勝手な価値観の世界に行ってしまって、しばらく戻って来れないような気がします。

 ですから、小出しに少しだけ、マイナスにふれるのはしかたないとしても、どか~んと行ったきりになるのはよくない。

そういう話をS先生としています。

 集中だってそう・・・・発達の子特有の、好きなことにだけ、没頭してしまうのも、制限付きの没頭にする。いわゆる、入りすぎない集中、いつでも切り替えられる、というところにいなければならないことを教えます。

 このセルフコントロールをしっかりつかめたら、ある時は、入りすぎてもいいし、マイナスにどかんと振ってもいいのだと思います。そうなれば、自分が、切り替えなきゃと思えば、すぐに、その状況からもどれます。

 そういうことを、考えてやっているげんママや、いつも勉強を教えてくれるK先生なのですが、実際には、げんちゃん育児は、傍目に子どもに余裕を与えないものに見えますよね。
 羽目外して、好きかってしたり、自分の世界に行こうとするのを止めたりしてるわけですからね。

「子どもは好きにさせなきゃ・・・・」

なんて、すぐに言ってくる、私の妹の気持ちもわかるというものです。


”子どもはのびのび遊ばせる、見守る・・・・”

こういうことは、とても大事だと思うのですが、発達の子には、ステレオタイプにそれをあてはめてしまうと、子どもを台無しにしてしまうこともあると思っています。


だから、厳しいようだけど、げんちゃんに好き勝手させない、意識を抜かせない、そういうところでふんばっています。

昨日の日曜は、私が家を留守にするので、げんちゃんに、ある課題を与えました。朝は、教会に行く。終わったら、携帯電話で散髪屋さんに電話をして、散髪に行く。3時になったらK先生のとこで宿題をする。

私がいないので、K先生が少し見てあげよう、ということになったのです。


げんちゃんは、順調に、散髪屋さんまでこなしたのですが、散髪屋さんの予約が2時50分しかとれなかったらしく、3時からのK先生のところには、大幅遅刻で行きました。

さあ、そこからです。げんちゃんは、遅れる、とK先生に連絡する所まではできませんでした。連絡どころか、K先生のところを遅れる意識さえ無かった様子。
とがめられたら、

「え~、散髪が2時50分からしかとれなかったんだよ~。」

と言い張っていたみたいです。やれやれ、そういうとこから教えないといけないげんちゃんです。そして、おそろしいことに、遅れると言う感覚もなかったようです。時間の感覚も、まだ、まだついてません。一人で予約して散髪に行けた、というところまでを、まずほめるべきなのか、・・・・確かに、昔は一人で、そういうことをやれと言ってもできなかったですからね~。普通というには、あまりにも変なげんちゃんです。

本来、本人はぬいてくる日曜日に、K先生へ行ったげんちゃん。もちろん仕上がりは、まったくだめだめだったようです。


意識を普通の人のように、常に働かせるのは、まだまだ時間がかかるようです。


by glow-gen | 2018-03-05 19:31 | 意識のこと | Comments(17)

卒業式目前・・・感謝感謝感謝!・・・うるうる・・・

   小学校生活も、残すとこわずかになってしまいました。なんか、じ~んとしてきます。げんちゃんは、S先生曰く、真の反抗期も混じってきたようで、私に対する生意気な態度も、日に日に増してくるようです。
 かわいげがないので、最近は距離をおいています。私が、帰ったそうそう、なめたまねをしてきたので、
「あ、そう。じゃあ、今から、あなたとは話さないから。」
と言って、知らん顔してると、
「ごめんなさい!」
とふてぶてしく言ってきました。私にほったらかされたらマズイ、という気はあるんでしょうね~。

リコーダー事件

最後のイベントで、合奏をすることになったげんちゃんたち。ずいぶん前から、リコーダーを持ち帰り、自主的に、指運び表をコピって、ドレミファ・・・と練習してました。ちょっと前まで、彼は、リコーダーが大嫌い。リコーダー練習を拒否して困ります、と連絡帳に書かれたのは、4年か5年だったろうか・・・・

ピアノと同じ要領だとおもうけれど、横が縦になると、まるで別物なのがげんちゃんたちです。
とはいえ、家に持ち帰り、自分で取りくんでいたの驚きです。
 しかし、できはひどいもので、今回のむつかしい曲までいけるのかどうか。ドレミファ・・・と指運び表を見て、順番に弾くのがやっとのようでした。この調子だったら、楽譜までは無理だ、と私は判断したので、げんちゃんに、

「あんた、ぜんぜんできてないから、明日は吹かないでよね。変な音出すとみんなの迷惑だから。」

と言いました。
 さて、しかし、当日見てびっくり。なんと最前列・・・こりゃできないのばれるわ! とあせりました。
 でも、ふたを開けてみて、またまたびっくり。隣の子とさしてかわらず指が動いているではありませんか・・・・
なんなんだあ~・・・いまだになぞです。

 理科の授業も見ました。数か月前、ノートの最初と最後だけ書いて、友達の発表もぜんぜん聞いてないげんちゃんでした。今回は、ずいぶんましになってるように見えました。少なくとも、遠目には違和感はありません。友達の発表も、視線は持って行ってないけれど、まあまあ聞いているようでした。
聞く力は、前より上がったようです。ノートは、良くとっています。

 テストが返されました。周りの子の多くは100点でした。げんちゃんも90点取ってました。次に、まとめのプリントをやりました。ほかの子は、テストをしまって、その課題に移りましたが、やりっぱなしげんちゃんは、テストはそのままで、次の課題に取り組んでました。机の上は、雑然としてます。

 家でも、やりっぱなしをなかなか治せないでいるのですが、学校でも同じでした。まとめプリントをやってる様子は、集中してましたが、わからないところで止まり、を繰り返し、時間は早い子の倍はかかってました。たぶん、普段のテストも、制限時間ぎりぎりで、なんとか出せてるんじゃないかな、と思いました。

先生に面談していただきました。

「げんちゃんは、してもらって、ちゃんとありがとうと言ってますか?」

と私がたずねたのに対し、
普通クラスの先生が面白いことをおっしゃってました。

「隣の子が、とても親切な子で、よくお世話をしてるので、げんちゃんに、”こんなやさしい同級生はいないよ。げんちゃんよかったね。”と言ったんです。すると、げんちゃんは、”え?もっと親切な子がいるよ。”と平然と言うだけでした。」

まあ、あきれた。げんちゃんは、色々してもらっても、まったくそのことの意味を理解できないようで、当たり前みたいにスルーしているということがわかりました。

「先生、この子たちは、物事の関連性をつかむのがとても苦手です。その話し方だと、同級生が親切かどうか、という話で終わってしまう可能性があります。自分とのかかわりまでは、いきつかないのです。だから、げんちゃんに、ありがとう、と言わなきゃいけないんだよ。という、オチのところまでを話してもらっていいですか?」


とお願いしました。
言葉かけは、なかなかむつかしいです。普通の子でも、しっかり本質のことまで、言い及んで指導した方が理解されやすいです。大人の私たちは、経験で行間を埋めていけますが、子供たちは、発達の子でなくても、大人のようにはいかないです。言葉かけは、具体的なノウハウにまとめられるといいな~と思います。
 S先生に質問攻めして、「こんな時の言葉かけ100選」、みたいなの、作れるといいな~・・・笑

こういう言葉の足りなさは、くもんの先生にもよくあって、う~ん。もう一声~、と思っちゃいますね。もちろん、自分でもあるし・・・できそうで、なかなかむつかしいとこです。

 この言葉かけこそ、発達障害の本質を治す大事なポイントです。


 でも、6年生も、とても素敵な先生方にお世話になって、感謝の言葉しかありません。先生方とお別れするのもとても寂しいです。

しかし、げんちゃんは、卒業するの寂しい?なんて聞いても、
「べつに~。」
気のない返事をしてます。なんかね、この子不感症? と思います。感情の機微がないのかよ! って感じ。だからこそ、たんたんと、言われるままに、色んなことをこなして来たんだろうね、と思いはするけれど、疲れます。

 共感、とか、同情とか、感謝とか・・・人間的な心の起伏が、ほんとに平坦だな、と感じます。自分の感情さえ、手中に収められない子だったので、しかたのないことなんだろうな、と思いますが、そばにいる人間にしたら、つまらないことこの上ない・・・いろんな体験をして、その時に感じる気持ちを、言葉にリンクさせていく、ということを、たくさんやらないといけないのでしょうね。

 卒業ということも、良い経験として、感情がリンクするように、言葉かけしなくてはならないですね。せっかくなんだから・・・

しかし、ママの言うことなど、聞かない・・・と決め込んでいる面があるので、やっかいです。K先生とS先生にまかせようかな・・・ということで、卒業式の日、先生を呼んで、ささやかですが感謝のランチ会を設けました。げんちゃんのお祝いだけでなく、感謝会。

食事会もただするのではなく、意味や意義をわからせたりすることが大事だよね~と思います。やはり、ここも言葉かけ命、って感じだな・・・

ほんと、たくさんの方のお世話になって、ここまできたげんちゃんと私です。

あらためて、ブログを読んでくださる皆様にも、心から感謝感謝でございます!

 




by glow-gen | 2018-03-03 01:44 | Comments(14)



中学2年生の息子。5歳の時に、発達障害とわかり、ママの格闘と改善の記録。
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げんちゃんママの紹介
中学2年になる息子げんちゃん。5歳の秋に、発達障害が発覚。最初はショックだったけれど、脳はまだまだ未知数。ママがなんとか素敵な子供に育ててみせるぞ~。最初はIQ60、・・コミュニケーションも微妙。身体もふらふら、はさみもにぎれず・・・もちろん絵もまったく描けず、5歳なのに、ほとんど2歳児みたいでした。いや、それ以下の機能もたくさんありました。
 「子供の脳に良いこと」を書かれた鈴木昭平先生が主催する、エジソンアインシュタインメソッドに出会って、ママが改善をさせることを学びました。そこを皮切りに、日々研究を積み重ね色々取り組み、相当改善してきました。、たまたま支援クラスができなくて、普通クラスの1年生に入学しました。2年の2学期から、支援クラスができて入ってます。算数の学習障害は、ひどく、相当苦労してますが、毎月毎月、必ず進化しています。日々はらはらどきどき。 天才ぼうやに育てるべく、奮闘中。パパと一人暮らしをしている大学2年生の娘と、医療関係に働くワーキングママ。
 近くに住む、お姑さんに手伝ってもらいつつ、がんばっています。
1年生の2学期から週に1.5日学校を休ませて、ママがおうちでホームスクールをやりました。4年からは週二日になりました。さらに、5年の9月からは、2.5日に増え、3学期からまた、週2日にもどし、6年の後半からは、週に1日に減らしました。
近くに住む、主婦のK先生のおうちで、ママが仕事でできない日は、ホーム学習のお手伝いをしてもらっています。
 5年生からは、算数以外、試験的に普通クラスにシフトという快挙です。6年生は、すべて、普通クラスですごすようになりました。発達の改善に取り組みはじめて8年の歳月は、子どもをどんどん改善していきました。
 6年になって、不思議なセラピストのS先生に出会い、発達障害は意識の障害だ、ということを認識しました。意識が抜けたような状態のげんちゃん。その部分が改善されれば、発達障害のコアな改善につながると、がんばっています。中学は、地元の公立中学へ入学。国語と算数だけ、支援クラスで、マンツー指導を受けています。ホームスクールは中学からは中止しています。
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