げんちゃんの発達障害プロジェクト

カテゴリ:意識のこと( 20 )

ピアノの部分練習

  げんちゃんのGW明けは、いい調子です。げんちゃんも、なんか、休んだ感がしっかりあったらしく、K先生のところでの勉強は、ちょっとした峰が出たようです。

 がしかし、げんちゃんが、頼みの綱としていた英語は、中学の、出力を中心にした「書く」、「文法」、といった内容になると、ほんとに入っていかないことがわかり、ちょっとしたショックを覚えています。年長さんから、英語のキンダーガーデンのような英語教室に、とりあえず放り込んで、なんとなく、英語の入り口ぐらいわかっているのか、と思いきや、文頭を大文字にするとか、たかがそういうことさえ、すぐには入りません。今まで入力したことが、新しく学ぶことと、ぜんぜんつながらないげんちゃんです。

 それに比べて、学習障害のひどかった数学の方が、だめなりに、少し形をとってきているようなありさまです。
 ほんと、この子たちときたら、大きく外れた常識の中にいます。予想を大はずししてくれる馬券のようですね。

 今日は、入学直後の学力テストの結果が帰ってきました。
もちろん、最下位でしょう・・・(度数分布をみれば、帯グラフの一番下の中に入っています。)最初の時間にやった、国語だけは、中の下という快挙でした。まあ、普通クラスの子に交じって、テストをちゃんと受けられた、というところで良しとしましょう。

 考えてみれば、6年生で、初めて、実力テストを放棄せず、取り組もうとした。という実績しかありませんから、それを考えれば、普通の子でも、少し難しめの問題で、国語だけでも、中の下をとれたのは、ものすごいことなのかもしれません。
 発達障害のお子さんは、めっぽう成績の良い子もいますが、げんちゃんは、その対極で、すべて、どんより。がんばって、がんばって、やっと、びりっけつ。がんばってなければ、そもそも、番外・・・・。大きく番外だったのが、競争のスタートにはやっと立てたということなので、称賛に値するでしょうか。

 中学に入って、げんちゃんは、刻々と変化していて、彼の変化をしっかり見つめなければ、目標設定も方法論も見誤ってしまう、と感じます。それほど、彼の内部で何かがかわっていってます。
 今までは、げんちゃんの変化といえば、足し算ができるようになりました、とか、作文ができるようになりました。留守番ができるようになりました・・・なんか、そういう各論での変化を喜んでいました。でも、今の変化は、なんかもっとコアな部分での変化を感じます。意識をして、何かをやる、そういうことが、できはじめているようです。

 まず最初の突破口だったのは、ピアノの練習でしょう。ピアノが、どうして意識変化のわかりやすい口火となったのか。やっと言葉にできるようになりました。

 昔の彼は、一人で練習できた、というだけで万歳でした。ピアノの教室崩壊児だった子が、ピアノの前で10分練習できたと喜び、やがて、一人で、曲の練習を始めた。しかし、ただ、やみくもに弾くというだけで、意識なんてほとんど入っていないような練習ぶりでした。私は、彼の横に座り、

「もう一度ひく!楽譜を見る!リズムがぜんぜんでたらめ~~!」

 あらゆる注意事項をくたくたになるまで叫びながら、練習させていました。やがて6年になるかならないか、になって、彼は、指定すると、曲の途中から、練習することができるようになりました。「こっからもう一度弾いて、」なんてことは、とてもむつかしいことでした。たぶん意識がぼんやりしていれば、そんなことはできないのです。

 そして、6年の終わりごろから、一人で、先生に言われた部分練習ができるようになり始めました。ノートを見て練習して、と言われ、ノートには、☆印を何回リピート、などと指示が書いてあります。実際には、部分練習をオーダーされても、まったく無視して弾き流してました。何度も何度も、部分練習を一人でする練習や、声かけをしてもらい、発表会の3週間前くらいからでき始めてきました。
 そのころ、発表会まで間に合うのかな、というひどい状態だったそうです。(私はノータッチでした)発表会で失敗したらどうしよう。という、正常な意識が働いてきたげんちゃんは、部分練習への心の圧がさらにかかってくれて、みごとに部分練習を始めたようです。そして、3週間の間に、急カーブを描き、発表会での成果につながったのです。

 部分練習と言うのは、まさに意識の発露です。
 この部分から取り出してひく、うまくいかなければ、ミスはにごった音として自分にフィードバックしてくる。それを聞いて、また意識を入れなおし、そこを改善しようと意識して再チャレンジします。この部分を間違わずに弾こう、と意識して弾くことは、ただ、なんとなく、弾き流すこととは全然違うのです。
 意識とは、心の圧とも言えるのではないでしょうか。
 出力させるぞ、という圧力です。音となってすぐに結果が出てくるピアノは、意識の圧で自分の体を動かす、ということを体感するには、とても良いアイテムだったのです。げんちゃんは、意識を入れるということがどういうことなのか、どういう結果となって帰ってくるのか、ということを感じることができたのです。

 勉強も同じです。こういう風にやりたい、どこが悪かったのだろう、なぜこうなっているんだろう・・・こういう意識の圧があるからこそ、自分がしかけたことの意味が感じ取れるのです。
ピアノは勉強より、もっとダイレクトにそのつながりがわかりやすいのです。こういう風に弾きたい、と思って、その結果が音となって帰ってくるのです。意識とその圧によって動かした自分の体が、しっかりリンクして感じ取れるのです。げんちゃんの意識は、少し出てきて、そこからさらに、高みへと引っ張り上げられなくてはならないのですが、第一歩としてピアノで実現したのでしょう。

この意識の圧と、そこから帰ってくるリターン。その体験をたくさん踏めば踏むほど、意識は明瞭になってきて、その使い方のノウハウもしっかり身についていくのだと思います。ぼ~っと、寝起きのような状態で、なんとなくやっている行動が、意識が入ってしっかりつかめてくると、いろんなことの改善は、加速がついてくるのだと信じます。

さて、次は、この体験を学習やほかのことへつなげていかなくてはなりません。


by glow-gen | 2018-05-09 23:19 | 意識のこと | Trackback | Comments(10)

新しい出発。子離れしましょ。

  ご無沙汰です~・・・
怒涛のような4月です。浪人していたお姉ちゃんが、無事志望校に受かり、一人暮らしの部屋に引っ越しました。県内なので、高速をとばしていけば、日帰りできます。初めての一人暮らし、何度か往復して、家財道具をそろえ、100円ショップに通い詰めて、収納用品や、優れモノグッズを集め、動線を配慮した、すっきり整理整頓された部屋を完成させました。

 この娘ときたら、お片付けの習慣がなく、ほんと汚部屋浪人生活をしていたので、一人暮らしをきっかけに、収納や片づけのノウハウをなんとかものにしてほしいと、私ががんばってセッティングしました。片づけなさいよ! と叱咤激励しても、まったく埒が上がらなかった今までを振り返り、やはり、片づけのノウハウは、ちゃんと教えねばならないのだな、と、さとった私です。

 げんちゃんからまったく離れて、娘の新しい新居で、二泊お泊りしながら、思ったのですが、ほんと、今まで、こんな風に、娘にかかりっきりになるのって、げんちゃんの発達が発覚してからこのかたほとんどなかったな~!

 テレビもない部屋で、片づけのポイントを彼女に話したり、たわいもない女子会をしたりしていると、いかに、今まで、私は、げんちゃんの呪縛にかかっていたのね・・・と思う次第です。
 私が家を空けたら、げんちゃんは、朝さっと起きて、それなりに朝の身支度をして、その日の予定にとりかかったそうです。

パパが、
「ちゃんと、自分から起きて動いていたよ。」
と教えてくれました。言いつけておいたいくつかのことには、あいかわらず抜けもあったけど、私がいなければ、それなりに意識入れようとするのね、とわかりました。

この私のげんちゃんへの距離感は、この数日間絶妙でした。


私が、今直面している問題は、げんちゃんの意識の方向性のまずさです。

何度も書いたように、げんちゃんは、夏くらいから、どんどん意識が出てきました。それで、自我もおまけについてきて、

”ズルする。” ”自分の都合の良いように解釈する。” ”やりたくないことには、意識を動かさない。” ”興味のないことは、自分と関係ない、と決めつける。”
”自分をよく見せるために、その場かぎりの言い訳をする。” ”都合の悪いことはごまかす。”

とくに、私の前では、甘えも手伝い、こういう行動が鼻につきます。

これらの負の行動は、ある意味、意識を使えるようになったがためのものですが、副産物というには、あまりにも、大きなパーセントをしめてきていて、私も持て余してしまうありさまです。自分の立ち位置を把握できているのなら、なぜ、まっすぐに取り組まないの?逃げるの? あなたに選択肢はないんじゃない? そういうことを言い続けてもうへきえきしている私です。

 具体的に言えば、きりがないです。

 学習中、あいかわらず、やりたくないオーラを全身にまとい、うざい受け答えで、こちらの言うことを聞き流す。

 あるいは、野球をやっているくせに、外野も内野もショートもさっぱり意味不明。しかも、知らないことに、何も疑問ももたず、知る必要性も感じない。少しでも、これは何?と、意識を向ければ、だんだん、わかってくるはずなのに、まるで、我関せずを貫き通している。

 S先生に組み立てるように、と言われた簡単なプラモデルは、少し細かい作業があると思うと、すぐに放棄する。しかも、「ぼくは、こういうの苦手だから、」と言い訳のおまけつき。

支援クラスはいやだ。僕は、普通にやっていける、と、認めてほしいけれど、それに必要な自分のレベルアップには二の足を踏む。そのかわり、普通の子に多少おいついてはいないけど、ごまかせる、と勘違いしている。

 やれば少しは出来るのに、生活全般のやりっ放しを、それでいいと決めつけている。

 もちろん、悪いところばかりではありません。意識が入れば、学習中の効率も上がっているし、もともとの性質は、素直で優しいところがあると思います。

でも、あふれ出した自我に、平気で自分を支配させているような最近のげんちゃんです。自分に、限界を初めからもうけてしまう・・・という、もとからある傾向は、ここへきて、げんちゃんの性質を決定づけるほどふくらんできています。


 生物的な思春期に、幼児期の自我の芽生えがかぶってきて、このままだと、こいつは、どこへ向かっていくのだろう、という危機感さえ感じます。


 我が家は、春の入学ラッシュで、物いりは相当なもので、学資保険はあっというまに消えます。なんか、げんちゃんに、我が家がどれほど家計をふりまわされているか・・・考えると、すべてやってもらっていることはあたりまえ、と思っているげんちゃんに頭きます。
自分の好き勝手な方向性に舵をとっているげんちゃんは、人間としてどうなのよ、という感じです。

 お姉ちゃんのことで、距離的にげんちゃんと離れると、不思議なことに、私の中で、すとんと、何かが変化しました。

ありゃ、これは、子離れというのかしら・・・・


 3月、なんとか、中学から普通でいけるようにがんばらせようと、躍起になっていた自分に気付きました。でも、そうそう簡単にいきそうにない。それに、私が、あれこれおお膳立てして、下駄をはかせてやるのもばかばかしくなってきました。げんちゃんが、少しでもよく見えるように、とか、中学ついていけるように・・・とか、本来、げんちゃん自身が、もっと感じないといけない思いを、本人ではなく、私の方がにぎっていた・・・
 なるほど、こういうすけべ心をげんちゃんが感じ取って、私に丸投げしてきていたのかもしれません。そろそろ自分で立っていこうよ。

 もういいや。距離を置こう。ここからは、ある程度、指導はするけど、今までのようにいたれりつくせりするのはやめよう・・・・と思いました。

そうこうしていると、中学の支援の先生から電話がありました。

「入学式の予行練習に来て下さい・・・」
「は?」

なるほど、入学式をこなせるように、げんちゃんだけ取り出して練習をさせようというのね。その必要はないと思いますが、サポートありきの支援体勢なのかもですね。

げんちゃんのプライドをずたぼろにする作戦もいいかもしれませんね。これからは、今までとは、方針をかえようかな・・・・と思い始めています。
 自分のつけを、しっかり中学ではらってもらいましょうかね~。
 私は、時々お姉のところに泊まりに行こうかな・・・

 


by glow-gen | 2018-04-06 12:46 | 意識のこと | Trackback | Comments(10)

絶対的な立ち位置と、相対的な立ち位置を教えたい

  発達障害が発覚してから、私のげんちゃんに対する一つの一貫した態度がありました。
それは、げんちゃんに、自分の今の立ち位置を正確に伝える、ということです。
自分は、世の中では発達障害と呼ばれ、あらゆる点で、お友達から成長ポイントが遅れているのだ、ということは、会話にどんどん出してました。

上学年になって、彼がすねているときは、それは克服できて、素晴らしい未来につながるよ、と励ましもしました。

最初から事実そのままを、それより下でも上でもなく把握してほしい、という感じです。
人間の尊厳は、げんちゃんの能力が他の人より劣っていようが、まさってようが、変わることはありません。
げんちゃんも、神様に創られて、愛されている尊い存在です。

そして、人間の目にどう映ろうとも、神様から、自分だけの人生のミッションを与えられています。今のげんちゃんも、目的があってそうなってるわけで、他の人より劣ることはありません。
その事実はどんなことがあろうとも揺らぎません。その絶対的な立ち位置も、伝えてきました。
(私より、やさしい教会の方々が、よく伝えてくれたかも~。感謝)

でも、母は人間なので、「げんちゃんなんて、生きてる価値ないよ。」
なんて、その場の勢いで言ったりすることもありました。どんなに、私が血迷って、そんなことを言ったとしても、絶対的なげんちゃんの立ち位置は揺らがない。

それに対して、現実のげんちゃんの、いわゆる”世間での立ち位置”は、生きていく上で、たんなる駅のようなものです。だから、ゴールへ向かう上で、今どこの駅にいるのか、ということは、大切なポイントだと考えます。

先日、げんちゃんは、普通クラスにこだわり、唯一行くことになってる、支援クラスの校外活動を拒否しました。その時、私は、

「あなたは、まだ、普通クラスの能力は満たしてないよ。今は、ただ、先生やクラスメートが、あなたをサポートしてくれているから、普通クラスでやっていけてるのよ。」

という事実を、つきつけました。

中学校で支援クラスが用意されていると聞いて、怒ったときも
「何言ってるの? 宿題をメモしたり、一日中、先生の言うことを聞きのがさないようにすることできる?宿題も、一人でできる?
 誰からもサポートされないで、そういうことを、きっちりできるようになれば、すぐにでも、支援クラスはやめれるよ~。」

と言いました。げんちゃんの希望は希望として、現実をしっかり把握させる。

 今、げんちゃんは、意識が出てきて、学習も、昔に比べれば、かなり理解力が上がってます。しかし、算数のアレルギーも強く、まだまだ意識を入れにくいし、学習自体もあわよくば逃げたい。でも、そこでなんとか踏みとどまっているのは、自分の立ち位置をある程度把握しているからだと思います。

 「ぼくは、普通クラスでやっていきたい。支援クラスははずしてもらいたい。」

意識をつかんできたげんちゃんの思いです。そういう思いを現実にするには、どうすればいいのか。やはり、自分は、すべてを投げ出してはいけない。それをわかっているげんちゃんです。

彼は、今、勉強も逃げてはいけない、とわかっているけれど、やるのは面倒くさい、という二つの思いの中で揺れて苦しんでいます。
 昔、トレーニングを逃げ出したりしていた時は、衝動でした。でも今は、自分のわがまま、自我がその行動をとらせます。

 そして、 自分のなりたい自分になるためには、逃げることはできない。
ならば、意識を入れて、さっさと終わらせよう。というのは、正しい結論です。

でも、なかなかそこに行くことができません。まだまだ、時間だけ浪費するような意識を入れない学習を展開してます。できる期待感があるゆえに、教える方も疲弊します。

 このジレンマは、自分にある程度枠があるからおこっているとも言えます。正しい枠、というのを、与えてやることは、この子たちにはとても大事だと感じます。正しい枠も、少しはわかる。でも、その中には入りたくない。でも、出れば、自分の理想の未来が遠のく・・・ 

 げんちゃんが、どこを目標にして、今どこの駅にいるのか、把握させたことは、この時期乗り越えるのに、大きな力になる、と感じます。以前、Sさんが、コンプレックスが歯止めになるよ。ということを言ったのを覚えています。
 マイナスへ向かうベクトルを、なんとか踏みとどまっているのは、今まで与えられてきた枠と、コンプレックスと言えるかも知れません。

良いコンプレックスは、自分の駅を把握して、それに対する、正常なマイナス感、そう言い換えることもできるかもしれません。

絶対的な人間の価値と、相対的な今の立ち位置、そして、将来への展望を教えることなしに、このステージは乗り越えられない、そう思います。やがて、乗り越えていったときには、コンプレックスはバネとなり、プラスアルファに変わっていると思います。

 支援クラスの子は、ほめられる教育にかたよったり、ゴールの設定をあいまいにされたり、立ち位置を教えられず、その駒の進め方も、目標ポイントも教えられることが少ないです。それは、この子たちの駅が止まっている、と考えられてしまっているからかも知れません。

  でも、その子たちが、伸びてきて、あるステージに来たときに、それはほんとにマイナスになるのではないか、と思うようになりました。

 さて、話しかわって、今日は、野球の合宿に行きました。家を出る直前に過敏性大腸炎?? え?まさか?という症状がおこったげんちゃんです。
休む! と言い張ったのを、先生と説得して行かせました。どうなることやら・・・

しかし、人並みのストレスか~?? なんせ、小さい子のクラスのリーダーやるんだよ。とさんざん言ってきたので、びびったか・・・意識はいっとるやんけ~。すごいすごい!

今までにないことなので、さらに期待します。がんばれ~・・・生みの苦しみ・・・(だと思う)


算数の学習障害について、おまけ記事です

以下記事はコメント欄で質問があった、算数の感覚つけのお話です。計算は得意、という子も、ためしてみるとおもしろいかもです。その子の感覚があぶりだせます。

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コメント欄で、質問があった、ドッツの足し算の話しを貼り付けます。
げんちゃんは、6年になって、なんとなく、算数が前よりできるようになっても、なんか、根のないその場限りの算数といったありさまでした。7月にくもんに入り、くもんは、計算しかやらないので、今げんちゃんがとりくめる能力からの計算プリントをはじめました。でも、それに並行して、幼児のドッツ足し算をやらせるようにしました。(それくらいしか、くもんには、具体物算数はありません。残念ですが。この記事を見て、くもんが実態物に強い、とならないようにご注意!)
6は5と1,7は5と2、8は5と3、9は5と4
どうも、この感覚がまだついてないんじゃないかな、と思ったのです。初めは、「僕をばかにするのか。」と言ってたげんちゃんなのですが、何ヶ月もやらせていたら。「ぼく、いやじゃなくなった。」と発言しました。先生は、その時、「あ、簡単そうで、反発しただけじゃなく、感覚無かったんだ、まじに。」と思ったそうです。(くもんは、プリントは何枚やってもいいそうで、数百枚やりました。)
 んで、ある時、6たす2みたいな足し算を、8と書くのを間違えて、13、と書いたとき、2を見て、7を連想できた、ということで、あ、この子、6以上の数が、5といくつ、みたいな分解で、感覚的にとらえられたんだな、と判断できたのです。

 たぶん、それまでは、5といくつではなく、ただのばらばらドッツの感覚ではなかったか、と思います。
げんちゃんみたいな子は、意識を入れず、算数をやりたい、というところが大きく、なかなか算数はすすめにくいです。具体物で、どこまで感覚があるか、常にあぶりだし、埋めていかねばならないと思います。たしかに、ドッツは、数分で終わるので、負担がなくて、でも、感覚を確実に埋める。こういう学習アイテムを算数学習に5分くらい、いれていくのが良いように思います。今は、積み木をつんで、スケッチというのをやってます。(5分以内でやめる、はまると時間くうので・・・)

 普通のプリント学習をしながら、5分から10分に限定して、日々何かを入れるのはいいように思います。毎日はできてませんけど・・・




by glow-gen | 2018-03-24 17:41 | 意識のこと | Trackback | Comments(47)

意識が芽生えると自我も芽生える・・・

  今週になって、げんちゃんは少しかわりつつあるような気がするけれど、やはり、新しいステージでもがき苦しんでいるように見えます。

 そして私は、今げんちゃんがどこのステージにいて、どこを目指すべきなのか、昔は、どういうところにいて、何が問題だったのか・・・そういうことが、だんだんクリアにわかってきたような気がします。敵が本当に理解できれば、まだ戦略がたってなくても、勝利が自分の手にある。そうだったらいいな、と願います。

 S先生に、「げんちゃんの障害の本質は、意識障害だよ。」
という言葉をもらってから、げんちゃんへの見方がかわりました。

 8月に、今考えれば、圧倒的な対象物を前に、感じている自分を自覚する、ということだったように思いますが、イルカを使った合宿をしていただきました。
 それだけがきっかけではないと思うけれど、動物のように人格を持ってなかったげんちゃんは、人格を持った6年生の男の子になってきたようです。
 もちろん、卒業式で感じるはずの普通の感情を、まだ持てなかったり、普通の6年生と比べると、まだ遠くにいるけれど、げんちゃんは、自分がどう感じるか、どうしたいのか、そういうことをつかんでくるようになりました。

 昔、動物のようだ、と感じていた頃は、たとえ、彼が何かしたい、と訴えたとしても、それは、理性ではなく、衝動であり本能であり、せいぜいひとにぎりの意識のかけらが、偏ってちょこっと出ているだけのものだったと思います。自分の好きなことだけに出る、きわめて閉鎖的な意識。

 でも、それが、殻を突き破って、やっと私にわかるところに出てきた、という感じでしょうか。

具体的に言えば、
「僕は算数は苦手だな。」
とか、「ぼくも気持ちわかる。」(算数が苦手な子のコメントを読んで)
こんな、ごく当たり前の、自己を意識したつぶやきが出てくるようになっているのです。

 しかし、意識が出てきたけれど、どこへ向かうべきかがわからない。

たとえば、普通の子は、物心つく3歳くらいから、反抗期のようなものがありますね。
自我が初めて出てくる。
 2歳と同じように、いやいやをして泣いても、3歳くらいからは、はっきりとした意思や意識が働いている。親の出方次第で、してやったり、ということもあるし、矯められて、次からは、しっかり行動を修正したりもします。

今までは、行動のすべてが、反射であり、本能的な反応からおこることだったのが、その子らしい意思や理解が加わってくるのです。



しかし、げんちゃんは、意識がある程度表に出始めたのは、ほんとにここんとこなのではないでしょうか。だとすると、3歳児のように矯めるのは大変です。自分の自我が初めて芽生えて、自分がやりたいと願うことは、親が願うことと対立する。

 意識レベルは3歳児なら、親は大変です。

だから、多くの親は、そこで、つい、放置してしまうのではないか、と思います。私もまた、そうしようかという気持ちにもなります。でも、ことの意味がわかると、そうではない、ということがわかります。


私が、これは危険だ、と感じていたことは、そういうことだったのだ、と、やっと私は理解しました。


3歳から意識が芽生えてきた普通のお子さんは、それからの成長の中で、まわりに意識をめぐらせ、その中で、たくさんのことを学習し、時に矯められたり、ほめられたりして、12歳という年齢に達しています。でもげんちゃんは、今、意識がほんとに覚せいしてきたばかり。その時間のギャップを埋めるのは大変です。

 好き勝手な方向に行ってしまえば、修正は大変なことになってしまうのではないかと思います。

 今は、まだゼロ点、どうにかしてプラスに持っていかなければならない。そう思います。

 だから、ただ、普通に反抗期が来たというだけのお子さんとは、話が違う訳なのです。


 発達障害のとくにグレーゾーンの子は、げんちゃんと同じようなステージの子がたくさんいるような気がします。意識がある程度でてきてるけれど、それが、自分勝手な方向性に向けてどんどん走り出してしまっている子。もはや、親のコントロールが難しく、親は、しかたなく、ある程度好きなようにさせるしかない。

 ハッピーな子は、そこから、色んなことにぶち当たり、なんとか修正し、社会適応していくかもしれません。でも、一部の子は、マイナスな方向に行って、さらに、2次被害とかが加わってしまって、深刻な状態になってしまう。


 そうならないように、ほんとに、今、しっかりと方向性をつけなければいけない、と気が引き締まる思いです。


 

by glow-gen | 2018-03-23 20:21 | 意識のこと | Trackback | Comments(6)

悪魔と天使? 人格の破綻??

 ある日、私は、外に出ていて、留守番をするげんちゃんに電話しました。
「ねえ、げんちゃん。おうちを出るときに、食べた食器洗っておいてね。」
「うん。わかった。」
「それから、エアコンと電気は、ちゃんと消して。」
「わかってる。」
「あ、それと、お母さんのポーチ持ってきてくれる?忘れたから。」
「え?どれ?」
「いつも鞄に入れている丸いやつだよ。テーブルの上にあるでしょ。」
「あ、これね。」
「わかった。自分のバックもってくるのはわかってるよね。で、全部で、何して出てくるか、言ってごらん。」
「え?あー・・・ポーチ持ってくる。食器洗って、電気とか消す。」
「自分の鞄忘れないでよ。」
「わかった。」

彼は、そのあと、一人、家の鍵をしめて、私のいる場所に来ました。

「食器洗ってくれた?」
「うん。」
「電気は?」
「消したよ。はいポーチ持ってきた。」
「ありがと。すごい。ちゃんとできたね。」

げんちゃんは、全部こなしてきたということでした。私は、ほんと、進歩したな、と思いました。半年前じゃ、これはなかったんじゃないだろうか・・・・
 
さて、家に帰ってみると、食器はまったく洗われていませんでした。流しに運んでいたので、それを、洗ったと解釈したのでしょうか。そして、通路の電気は、付けっぱなし・・・本人は消したつもりなのか、見過ごしてしまったのか。でも、私のポーチは確かに持ってきてくれた・・・

 なんで、食器を洗ったと言ったのか・・・適当に、その場をつくろったのか、それとも、別の理由があるのか・・・

 げんちゃんは、確かにどんどん進化しているけれど、なんだか、彼の魔物も外に飛び出してきているようないやな手触りのこの頃。よくわからないけれど、私は、この頃、げんちゃんの進化の喜びを、打ち消してくる新しい魔物を感じています。
 
 チャレンジタッチをやらせていたら、英語の綴りの問題がありました.
soccer, pencil,tennis,・・・・
ローマ字読みしたんじゃ書けない特殊な綴り。げんちゃんは、なんとなくではあるけれど、英語教室で英語にふれてきたし、公文でも、何度も書いてます。でも、ことごとく、できません。初めて英語をする子向けに、選択になっていて、パーツを選ぶだけ。げんちゃんにとっては、決して初めてのものでもなく、幾度となく読んで書いているのです。

 私は、解説を入れようとします。
「うるさいな~。そのうちわかる!」
え? くもんの先生がそう言うのでしょうか。確かに、普通の子なら、大量に、同じパターンをこなせば、法則が見えてきます。でも、もうあなたはすでに、何度も書いている・・

 げんちゃんは、学習をするとき、頭を空っぽにして、運動神経でこなすようにやっている。意識がまるで入らずにやっているから、法則も考えないし、つながりも見いださない。この問題のあとでさえ、間違えたことから何もフィードバックすることもない。
 確かに、ある時代までは、ぽかんと口を開けたげんちゃんに、必死で食物を運ぶように、いたれりつくせりして、勉強入力していく、というような状態が続いたけれど、まだ、それを続けようとしているのか。ここへ来ても・・・。

 げんちゃんが、どこまで理解しているか、とか、そういうことは、ほんとに見えにくいです。とくに算数などは、意識が入らなければ、すべては無になり、学習したことの一端さえも、見えてこなくなる。それは、わかってないのではなく、どの扉も開けようとしないだけ。

 もはや、車のエンジンに故障はなく、ガソリンも満タンなのに、破壊された車と同等の機能しかない状態。だから、周りの人は、げんちゃんの機能不全をなんとかしなくちゃ、と思うのだけど、実は、まったく違う。

 そして、機能不全を治していく方が、もしかしたら簡単なのかも知れません。故障がないのに(もちろん、ゼロではないけど・・・)動かない車って、どこか、精神を病んだ人のようでもあります。どこにも病気がないのに、動けず寝たきりになってる。

 色んな機能が改善しているゆえに、なんだか、げんちゃんが、狂人のように感じる時があります。
何なんだろうな~。最近の私のこの行き詰まり感。(まあ、いつも行き詰まっているのかもしれませんが・・・)

意識を入れられる時というものを、経験したので、逆に、入ってない状態が、恐ろしく感じるのかな~。ブログ書いていて、自分でも、よく分析できません。私の期待感が大きくなってきたから、そう感じるだけなのか・・・
 そういえば、今日は、K先生のところに行って、聞かれても、日にちも答えられず、卒業式と書き入れたカレンダーを見ても、わからず。まるで、幽霊のよう・・今までだって、そういう日は、たくさんあったけれど・・・・まだそこに居続けるの?

 SさんにSOSを出すと、

彼も、なんと、同じような感触をもっているようでした。
「今は、まだ大きくマイナスに行ってないからいいけど、今後マイナスに行けば、大変なことになるよね。プラスかマイナスか、どっちかに向かっていく。絶対にマイナスに向かって行かないようにしなくてはね。」

 上手に言えないけれど、動物のようだった彼が、やっと人格を持ち出して、顔を出してきた。悪魔と天使どちらも持つ人格。その悪魔の部分が、天使を駆逐してしまうかもしれない。天使が悪魔を凌駕すればいいけれど・・・

 すみません。うまくまだ言葉にできません。ただ、新しいステージを迎えていることは確かなんだよね・・・

 なんか、彼に学習をどう教えようか・・・と、いつも考えていたけれど、なんか、そういうことではないことが立ちはだかっている。そこが解決すれば、学習を教えることは、しごくスムーズにいくように思うのです。学習の教え方なんて、そう大きな問題ではなくなる・・・ちょっとの工夫でいいようになる、そんな気がしてる私です。

 精神を病んだ人を改善させるのに相通じるものを感じている私です・・・
変でしょうかね~・・・


 

 


by glow-gen | 2018-03-19 21:07 | 意識のこと | Trackback | Comments(12)

意識の暴走、自分勝手な情報収集と情報判断 卒業式その1

毎日、幼虫が変態していくみたいに、げんちゃんは、日々、なんとなく変化しているようでもあります。いろんな気づきがありながら、忙しくて、なかなかブログに向かえませんでした。
とうとう、昨日は、卒業式でした。
 「とうとうげんちゃんは小学校から旅立つ」、と思うと、人生は、ところてんみたいに、先へ先へとしか転がっていかないことを思い知ります。

 げんちゃんみたいな子をさずかって、なすすべなく過ごしていっても、いつのまにか人生は先に進んでどこかにたどりついていくだろうし、私のようにがつがつやっても、やっぱり、どこかに押し進められていく、一時として止まっていることはないのだな、と感じました。

 普段は、同じような日々が連続してるので、あまり意識しないことですが、私たち人間は、激しい流れの中にいるのです。変えられないマクロの流れの中で、私たちは、たくさんの自分だけのミクロの流れを作っているのかな。私は、ここんとこ、その中で、格闘しながら、小さな波を作っていたのかもしれません。

 ここ10日間、私が格闘していたのは、げんちゃんが、まったく言うことを聞こうとしないということでした。特に、生活全般のことです。洋服を脱げば、ほっぽり。風呂に入れば、風呂場は散らかりまくり。水筒にお茶をつげば、まわりは水浸し。
 一つ一つ注意するけれど。「めんどうくさい!」とか、「もう、うるさいな~。」「別に、しなくていい。」・・・・
今までは、できなかった、というベースがあってやらなかった。でも、今は、やりたくない、やらない、という意識のもとでやらない。同じように見えても違う。

そして、今の状態はとても危険だということを、私は感じてました。

それと相対するように、今までやらなかったプラスの行動も目につくようになってきました。たとえば、3月に入ると、K先生のところでし残した宿題を、寝る前に、誰にうながされることもなく、みずから取り組んだり、今日のスケジュールを聞いて、
「じゃあ、カギは持っていくの?」
なんて、聞いてきたり。かつて、そういうことはなかったので、へ~・・・と見つめる私。でも、どこかずれていて、

夜、間に合わなかった宿題を一人で取り組んでいるときに、

「ねえねえ、わかんないんだったら、本見てごらん。」
なんて、わからず手元が止まっているげんちゃんに、私が声をかけると、
「あー。もう、うるさい。宿題全部やらなきゃいけないんだよ。そんな暇ないの!わかる?こっちが大事でしょ。」
とか、意味不明なことを言う。

「いやいや、だからさー、宿題なんのためにするの? げんちゃんがわかるようになるためじゃないの?適当にするより、きちんと理解しながらやる方がいいじゃない」

「あーもう、ぼくは、普通クラスに行きたいの!」

意識は出てきたけれど、なんか、自分勝手な判断と方向性にひたすら暴走し始めているような危うさに満ちています。バランスに欠いている発達障害の行動のもとにあるのは、自分の偏った方向性にだけ、意識のベクトルが出て、そこから、自分の切り取りたい情報だけ切り取ってくる。それをまた偏った組み立て方で組み立てて、結論を導きだすものだから、最終的な自己の行動決定は、普通からはかけ離れた身勝手なものになる。

今のげんちゃんは、まさに、そういう方程式が出来上がりそうな勢いです。

やれやれ困ったな~・・・
手を焼いているのは、私だけではなく、いつも勉強を教えてもらうK先生も同じようで、しょっちゅう激怒させられ、時間の多くを、お説教にあてる、というのも多くなってました。

もちろん、学習の理解や、集中は、以前とはくらべものにならないほど、良いパターンも出たりしてます。

今までの方法論ではなかなかうまくいかないのかもしれません。ましてや、私の言うことは、”聞かない”と、どこか決めているようなところがあって、親一人でも、きわめて乗り越えにくいところのような気もします。

そして、そんな中で卒業式を迎えました。卒業式の一連の非日常的な学校のカリキュラムの中で、げんちゃんは、ひとつのきっかけをつかんだようでした。
長くなるので、続きはまた次の記事にしたいと思います。

by glow-gen | 2018-03-17 10:46 | 意識のこと | Trackback | Comments(2)

「のびのびと好きなようにさせる、見守る」、というリスク

   日曜日は、げんちゃんが、完全抜いてしまう日です。そこで完全に抜いてくるので、日曜はしょっちゅうバトルです。
げんちゃんのように、少し意識が出てきたステージになると、完全に意識を抜いてくる日があるのはまずいです。電流計にたとえれば、ウイークデーには、できるだけプラスに振ろうとがんばってる針が、日曜になると、どかんとマイナスに振ってしまう。週明け、プラスに振ろうとしても、しばらく調整期間みたいになってしまうようです。

 もともと、マイナスにどかーんと行っちゃってる意識だったので、プラスにキープするのは普通の人よりエネルギーがいるげんちゃんです。一度、マイナスにどか~んと行ってしまうと、再度プラスをキープするのが、さらにしんどくなるし、自分だけの勝手な価値観の世界に行ってしまって、しばらく戻って来れないような気がします。

 ですから、小出しに少しだけ、マイナスにふれるのはしかたないとしても、どか~んと行ったきりになるのはよくない。

そういう話をS先生としています。

 集中だってそう・・・・発達の子特有の、好きなことにだけ、没頭してしまうのも、制限付きの没頭にする。いわゆる、入りすぎない集中、いつでも切り替えられる、というところにいなければならないことを教えます。

 このセルフコントロールをしっかりつかめたら、ある時は、入りすぎてもいいし、マイナスにどかんと振ってもいいのだと思います。そうなれば、自分が、切り替えなきゃと思えば、すぐに、その状況からもどれます。

 そういうことを、考えてやっているげんママや、いつも勉強を教えてくれるK先生なのですが、実際には、げんちゃん育児は、傍目に子どもに余裕を与えないものに見えますよね。
 羽目外して、好きかってしたり、自分の世界に行こうとするのを止めたりしてるわけですからね。

「子どもは好きにさせなきゃ・・・・」

なんて、すぐに言ってくる、私の妹の気持ちもわかるというものです。


”子どもはのびのび遊ばせる、見守る・・・・”

こういうことは、とても大事だと思うのですが、発達の子には、ステレオタイプにそれをあてはめてしまうと、子どもを台無しにしてしまうこともあると思っています。


だから、厳しいようだけど、げんちゃんに好き勝手させない、意識を抜かせない、そういうところでふんばっています。

昨日の日曜は、私が家を留守にするので、げんちゃんに、ある課題を与えました。朝は、教会に行く。終わったら、携帯電話で散髪屋さんに電話をして、散髪に行く。3時になったらK先生のとこで宿題をする。

私がいないので、K先生が少し見てあげよう、ということになったのです。


げんちゃんは、順調に、散髪屋さんまでこなしたのですが、散髪屋さんの予約が2時50分しかとれなかったらしく、3時からのK先生のところには、大幅遅刻で行きました。

さあ、そこからです。げんちゃんは、遅れる、とK先生に連絡する所まではできませんでした。連絡どころか、K先生のところを遅れる意識さえ無かった様子。
とがめられたら、

「え~、散髪が2時50分からしかとれなかったんだよ~。」

と言い張っていたみたいです。やれやれ、そういうとこから教えないといけないげんちゃんです。そして、おそろしいことに、遅れると言う感覚もなかったようです。時間の感覚も、まだ、まだついてません。一人で予約して散髪に行けた、というところまでを、まずほめるべきなのか、・・・・確かに、昔は一人で、そういうことをやれと言ってもできなかったですからね~。普通というには、あまりにも変なげんちゃんです。

本来、本人はぬいてくる日曜日に、K先生へ行ったげんちゃん。もちろん仕上がりは、まったくだめだめだったようです。


意識を普通の人のように、常に働かせるのは、まだまだ時間がかかるようです。


by glow-gen | 2018-03-05 19:31 | 意識のこと | Trackback | Comments(17)

やりたくないことはやりたくない。利己的なとらえ方をする

 最近、毎日げんちゃんとバトルしてます。
彼は、確かに意識が出てきて、自分が、どう感じているか、ということを、把握し始めました。意識のアンテナをまわりに建てて、今までやらなかったこともやり始めたりしています。

 しかし、アンテナはって、自分が捉えてくる情報は、かなり、自分勝手のものばかりです。意識の発動は始まったけれど、その深さも奥行きも、高さも、まだまだ十分ではなく、ひどく浅いもののようです。

 その結果、やりたくないことはやらない。とか、勝手に解釈して、(解釈というレベルにもいってないかも)自分勝手な判断に走る、とか、とてもしんどいステージになっています。

 でも反面、おもしろい行動もあらわれました。朝ぜんぜん起きられなかったげんちゃんが、6時にぱっと起きて、私に干渉されない2階にあがって、ショパンの幻想即興曲の楽譜に、譜読みの読み仮名を入れるようになりました。

 クラシカロイド、というNHKの番組の影響で、ショパンの幻想即興曲に興味を持ったらしく、1週間続けて、その楽譜に音符名を書き入れました。そんなの弾けるはずもない、と思うけれど、弾きたいと思ったのでしょうか。
 それにしては、ピアノに向かうことはぜんぜんありません。なんか、変ですが、自分の意識が向いたところには、さすが発達障害児! という集中力ではあります。

 ここから、ピアノの練習につながっていけば、と興味深く見守っています。悪いことではないですからね~。しかし、自分がやりたくないと思った勉強だったり、宿題だったりは、刃向かってばかりです。

もう知らん! とこっちも少し距離おくような気持ちです。

 S先生に言わせると、まあ、今はかなりきついステージだそうで、自分が出てきて、意識世界は、低学年の子のような感じになっているそうです。

素晴らしい意識の働きとは、感情をコントロールするものですが、げんちゃんは、感情といっしょに意識が暴走するような感じなのでしょうか・・・うまく説明できません。


 普通クラスでのテストも持ち帰り、見ると、100点の社会とか、70点の計算中心の算数とか、90点の国語とか、へ~と感心するような内容のものが入っていました。もちろん簡単な問題ですが、それでも、すごいことです。ほんと、彼の能力は、意識が入ったときは、かなり上がったようです。

 さて、このたび、支援クラスでの校外活動があって、げんちゃんも参加することになっていましたが、げんちゃんは、
「絶対に僕は行かない。」
と、言い張って、知らぬ間に、先生へのお便り帳に、勝手に、「ぼくは絶対行きません!」と書き込んでいるありさまでした。この書き込みは、たしかに、自分の意思表示ができるようになった証拠でもあり、うれしい一面もありますが、げんちゃんの勘違いした今の状態の反映でもあるな、と感じます。すべてのことに、バイアスがかかったとらえ方をしているような感触です


 なんか、自分は、人並みにできるようになってる、と、思いこんでいるところがあるのでは?と思います。そのくせ、コンプレックスもばりばりあります。結局、自分を冷静に客観的にとらえられていない。
 ママにおんぶにだっこのくせして、自分はできると勘違いしているような感じでしょうか。

 「支援クラスの校外学習は行きなさい。」
「いやだ。絶対いやだ。」
「あのね。あんた、普通クラスでやっていきたいのなら、ちゃんと宿題もやっていかなきゃね。先生のお話も、聞き逃さないようにして、クラスのみんなができることは、ちゃんとできなきゃね。
 支援クラスを、卒業できる、と思うのなら、ちゃんと支援の課題をこなしなさい。みんなに、げんちゃんは、もう普通クラスに行っても大丈夫って、言ってもらわないとだめでしょ。あんたが判断するんじゃないの。まわりのみんなが、げんちゃんは、普通クラスがいいよね、って判断するの。
 だから、行かないんだったら、みんなに、ちゃんとできないんだな~って思われるよ。」

 なんか、自分は、まだまだ不十分でありながら、自分はできる、これは、自分は、やらなくてもいい・・・とか、勝手に利己的な判断を下しています。もし、向上していこうとするなら、そういう利己的な判断で、いやなことをさけていくのではなく、前向きに、与えられた課題にチャレンジしていくべきです。それが、真の大人っぽさだし、意識の方向性として正しいです。

 扱いにくいので、つい、本人のやりたいようにさせてもいいか、と諦めてしまいそうになるのですが、いやなことから手っ取り早く逃げる、と言う行動は、許さない姿勢で臨んでいます。

 算数だって、支援のプログラムだって、自分の好き嫌いにかかわらず、感情をコントロールして、がんばってみる、という行為をげんちゃんに求めています。

 そこを突き抜けなくては、意識が出た物の、なんか、好き勝手な空間に広がり、好き勝手な方向に行ってしまうような危うさがあるのです。


 S先生曰く、
「 意識の広さ、深さ、高さ、奥行き・・・・意識の世界は広く、げんちゃんは、まだその浅いところでぱちゃぱちゃしているんだよ。
 とにかく、逃げをゆるさないで、ママ。
 ここで、逃げを許すと、自分勝手に判断して、ずれてしまってる大人になってしまうよ。大事なときなんだ。」

だそうです。

 あと1ヶ月ちょっとで、もっと高みにいけるのか、ここでしばらく足ふみをするのか、私にもわかりませんが、確かに、しんどいです。

 でも、こういうへんてこりんなベクトルが、マイナスの方にどんどん進んでいけば、ほんとご迷惑な大人になるんだろうな~と思います。親だけでは、このステージ、乗り越えるのは難儀なことだと思います。



by glow-gen | 2018-02-22 20:28 | 意識のこと | Trackback | Comments(29)

恐るべき意識の力。ソーシャルだって改善するのだ!

   6年生生活も、あと1ヶ月になってきました。小学校は夢のように過ぎ去って行ったように感じます。夏休みにSさんの指導を受けて、意識ということを考えるようになって、げんちゃんは半年経ったわけですが、なんとなく、あの夏休みから、遠くに来たような気がします。

 意識なんて、まったくないようなところから、それが芽生えたところにはじまり、次は、意識がどこへ向かえば正しいのか・・・ということを、探し出す段階に入りました。

それまでは、自分がどう感じるか、ということさえ、まったくつかめてなかった。それが、やっと、つかもうとするようになった。(意識の発動)そして、次は、自分は、どうしたいのか、どうすべきなのか、ということを考える段階に向かうのです。(意識の方向性)

 これは、人間なら、ごくあたりまえのことで、日常で普通にやってる、基本的な部分です。
しかし、意識障害である発達障害のわが子たちは、その人間の人間たる初歩的な部分に欠けを生じているということが、よくわかります。

 何かが、できるようになった、と喜んでいても、本質的に何もかわっていない、と感じ苦しんでいたのは、げんちゃんの実態が、いつもつかみどころがなく、できたことのひとつひとつが、どこかばらばらで、彼自身の中になめらかに組み込まれていかないと、感じたかからではないでしょうか。
 言い換えると、必死で彼にかかわりあっているのに、彼の人格に触れることができないでいたのではないか、と思います。それほどに、意識とは、人格のコアな部分と深く関係するものなのではないか、と思います。

 では、今では、げんちゃんはどう成長していったか、というと、げんちゃんという、一人の人格が、少しずつ水面に浮かび出てきたようなイメージを持ちます。

 連休中に来てくれた、明るくおしゃべり好きの男の子と仲良くなって、楽しそうに話しました。ちゃんとあいづちを打ったり、質問に答えたりしていました。その様子を見て、私は、ほんとに成長したな~と感じました。彼が帰った後、質問してみました。

「○君はどうだった?」
と私
「○君は、いい子だね。でも~。おしゃべりな子だね。」
「どうしてそう思ったの?」
「二人で外に出ているときに、探検みたいで楽しかったけど、○君が、みんなが心配するから帰ろう、って言ったから。」
「へ~・・○君は、まわりの人のことを考えてくれたんだね。げんちゃんは、もっと自分のこともしゃべりたかったんじゃない?」
「うん。でも、○君が、たくさんしゃべりたいんだな、と思ってがまんした。」
「へ~~。げんちゃん、すごいね。そういうのが、相手に対する思いやりって、言うんだよ。○君は、うれしかったと思うよ。」

なんでもない会話のようですが、これは、げんちゃんの成長そのものなのです。自分がどう感じたか、ということを、しっかり把握して、次なる的確な行動を自分で選んだということなのです。意識が表面に現れている証拠です。


先日、普通クラスの先生から、うれしい報告をいただきました。
 クラスで、ドッジボール大会をしたそうです。げんちゃんは、しっかり参加して、自分が予備の選手になったとき、一生懸命チームを応援していたそうです。
なんせ、6年になって、前半は、昼休みは、みなと遊ぼうともせず、支援クラスに行って、一人で遊んでいたげんちゃんです。先生が、なんとか、げんちゃんを参加させようと、いろんなゲームを主催すれども、
「ぼく、いい・・・」
と、すげなく、断り、自分の気に入ったことだけしていました。あるときから、昼休みは、普通クラスにとどまるようになったものの、相変わらず、われ関せず、でした。
なのに、さっきの応援です。
段階を踏みながら、確実に進歩していることがわかります。

ソーシャルは、皆が悩むところです。でも、意識がしっかり表に出てきて、自分というものをつかんでくると、他人というものも、より深く捕らえられるようになるのでしょう。その結果、まわりのことも、少しずつ把握できるようになる。
 ”おれが、おれが”、と、落ち着かない、うっとおしい段階が、長く続いていたげんちゃんです。しかし、そのころは、一見、自分というものを強く主張しているようでいて、実は、自分のことを、何も感じ取れず、把握できていなかった・・・ということなのかもしれません。

なかなか奥が深く、私も、把握しきれているわけではないですが、意識開発は、Sさんの言うように、進化のスピードを底上げするものかもしれませんね。

そして、昨日は、うれしい報告を聞きました。勉強を教えてくださるK先生が、

「絶対できない、と思った、算数の問題を、すすすっとやっちゃったんですよ~。おそるべし、意識のスイッチ!」
(難問というわけではありませんよ~。普通の問題です・・・汗)

へ~・・と思いました。IQが低いのではない・・・意識が入っていないだけ。つまり、車が壊れているのではない。アクセルを踏んでいないだけだ・・・
そういう側面があるのかもしれません。(げんちゃんの車は、まったく壊れてないとは思えないですが・・・汗)

まだ、意識のスイッチは、入らないことも多いから、今からやっと、という感じではあるけれど、自分で失敗して、自分で修正をかけていけるステージにそろそろ入ったのかな~と思うようになりました。

マイナスをあげればきりがないけれど、よいところだけを拾えば、ちょっと先が見えてくるような気がします~。



 

 

by glow-gen | 2018-02-17 01:15 | 意識のこと | Trackback | Comments(11)

野球合宿のミラクル。会話のずれをなおす

げんちゃんが野球の合宿から帰ってきました。そして、びっくりしたことがありました。
なんと、げんちゃんは、「最優秀打撃賞」というのをとったというのです。賞状を無造作に私にくれました。びっくりして、先生に聞いたところ、試合中ではなく、バッティング練習の際に、もっともたくさんヒットしたのだそうです。いつもの先生ではなく、別の先生がバスの引率に来られていて、彼は、げんちゃんのトラブルは把握していないようでした。

先生「とても上手でしたよ。体幹がしっかりしてないと、バッティングはむつかしいです。」

え~~。それはないでしょ~・・・目が点です。なんせ、100人くらい参加してます。もちろん、小さい子の初心者のクラスにいるので、6年生は、少ないかもですが、たとえ、1~2年生だけの中にいたとしても、げんちゃんが、1番なんてありえないでしょう・・・

 試合中のバッティングではないので、まあ、そうだよな・・・とは思うけど、それにしても、すごいじゃん!

先生に、かいつまんでげんちゃんのことを話し、最近すごく伸びていて、集中力が出てきた・・とお伝えすると。

「野球は集中力です。集中力が出てきたので、ぽんとよくなったのかもですね。」
と言っておられました。

まあ、よくわかりませんが、卒業前に、げんちゃんの自信につながるできごとが起こってよかったよかった、という感じです。でも、体幹できたとは、到底思えないんですけど・・・こんど検証しに練習見に行ってみよ。

 最近、あれっ?、という出来事が一つ二つおこってました。

げんちゃんは、学校で卒業に向けて、演奏会があるのか、リコーダーを学校にもっていってます。ある日、げんちゃんは、おもむろに、音楽の教科書を出して、指と音符の相関表のところを見て、自ら練習してました。え~? 私はびっくりしました。だって、げんちゃんは、リコーダーが苦手で、今までやる気なんてぜんぜんなかったです。ピアノをやっていても、ピアノは、横に進むけど、リコーダーはたて。そうなると、もう、応用がきかないらしく、クラスの底でした。
 支援クラスで特別に特訓されていた時代もありますが、嫌がって、怒っていたようです。

 ある日をさかいに、彼は、ちょくちょく練習するようになって、(まあ、練習のしかたは難あれど・・・)音楽のない日も、ちゃんと、リコーダーを持参するのを忘れず、(リコーダーに意識が入っている!)さらにある日、使い方を教えたこともないコピー機と格闘して、指のページをコピーしました。そして次の日は、何を考えたのか、またコピーして、さらに、いる部分を切り取りました。そして、使ってない新しいノートを取り出して、貼り付けました。(ちょっと難ありでしたけど・・・)

 お~・・・何がおこった? びっくりびっくり・・・・


 またある日、げんちゃんは、昼間に洗面所で、髪を洗ってました。風呂場から、シャンプーリンスを持ってきて・・・しかも、ブローなんてめったにしてやったこともないのに、自分から、ドライヤーを出してきて、ブローしてました。

 なんせ、これまでの人生、彼は、自分から自主的に髪を洗うなんて行為は出てきません。風呂に入るとき、髪洗いなさいよ、と言って、しぶしぶやってました。

 
 これって、自分が不快だから、髪が洗いたい・・と思って、自ら行動したようです。自分が何をしたいのか、ということを明確につかんできた、ということなのでしょう。

 まさに、意識の方向性が出てきたのでしょうね。

 
 しかし、そういうことの裏腹で、前回の記事と同様に、げんちゃんとずれた会話もしましたよ~。
くもんで女の子とよくある会話をしたみたいです。

げんちゃん「俺って天才!」(英語のプリントしながら)

さくらちゃん「はいはい、あんた英語得意なんでしょ・・(こばかにしながら)」

げんちゃん「さくらちゃんは、ちょっとかわいくないな~。」
さくらちゃん「別に可愛くなくていいもん。ちゃんじゃなくて、さんと言ってよ!」

くもんの先生が、普通によくある男の子と女の子の軽口をいいかんじでかわしてました。と伝えてくれたので、げんちゃんに聞いたら、

げんちゃん「もう、さくらちゃん、性格がかわいくないんだよな~・・(うれしそうに)さんと呼べとか言うしさ。」
ママ「 さくらちゃんじゃなくて、さくらさんと呼べって言ったの?」
げんちゃん「違うよ。さんと呼べ、って言ったんだよ。」
ママ「ニックネームが”さん”なの?」

げんちゃん「違うよ、さくらちゃんだよ!(偉そうに)」

ママ 「さくらちゃんって名前で、さんと呼べ、っていうのは、さくらさんと呼べって意味だと思うよ。」

げんちゃん「違うよ。さんと呼べって言ったんだ。」

前回同様の押し問答・・・

げんちゃんは、友達デビューもいまいち、足りないし、相手のセリフの広がりがつけられないし、しばらく、こういうことの修正をしまくりながら暮らしていくのでしょうね。でも、彼の意識世界が広がりつつあるので、言葉の世界も広げられる足がかりができたのでしょう。良い傾向です。


by glow-gen | 2018-01-22 01:16 | 意識のこと | Trackback | Comments(8)



小学校6年生の息子。5歳の時に、発達障害とわかり、ママの格闘と改善の記録。
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中学1年になる息子げんちゃん。5歳の秋に、発達障害が発覚。最初はショックだったけれど、脳はまだまだ未知数。ママがなんとか素敵な子供に育ててみせるぞ~。最初はIQ60、・・コミュニケーションも微妙。身体もふらふら、はさみもにぎれず・・・もちろん絵もまったく描けず、5歳なのに、ほとんど2歳児みたいでした。いや、それ以下の機能もたくさんありました。
 「子供の脳に良いこと」を書かれた鈴木昭平先生が主催する、エジソンアインシュタインメソッドに出会って、ママが改善をさせることを学びました。そこを皮切りに、日々研究を積み重ね色々取り組み、相当改善してきました。、たまたま支援クラスができなくて、普通クラスの1年生に入学しました。2年の2学期から、支援クラスができて入ってます。算数の学習障害は、ひどく、相当苦労してますが、毎月毎月、必ず進化しています。日々はらはらどきどき。 天才ぼうやに育てるべく、奮闘中。パパと一人暮らしをしている大学1年生の娘と、医療関係に働くワーキングママ。
 近くに住む、お姑さんに手伝ってもらいつつ、がんばっています。
1年生の2学期から週に1.5日学校を休ませて、ママがおうちでホームスクールをやりました。4年からは週二日になりました。さらに、5年の9月からは、2.5日に増え、3学期からまた、週2日にもどし、6年の後半からは、週に1日に減らしました。
近くに住む、主婦のK先生のおうちで、ママが仕事でできない日は、ホーム学習のお手伝いをしてもらっています。
 昨年5年生からは、算数以外、試験的に普通クラスにシフトという快挙です。6年生は、すべて、普通クラスですごすようになりました。発達の改善に取り組みはじめて7年の歳月は、子どもをどんどん改善していきました。
 6年になって、不思議なセラピストのS先生に出会い、発達障害は意識の障害だ、ということを認識しました。意識が抜けたような状態のげんちゃん。その部分が改善されれば、発達障害のコアな改善につながると、がんばっています。中学は、地元の公立中学へ入学。国語と算数だけ、支援クラスで、マンツー指導を受けています。ホームスクールは中学からは中止しています。
IQは80台に改善

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