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げんちゃんの発達障害プロジェクト

カテゴリ:意識のこと( 29 )

意識ー心とはなんなんだろう。やっと心にアプローチ・・・

 げんちゃんを必死で改善してきて、やっとげんちゃんの心というものが、現れてきたように思います。
そうなると、げんちゃんが、Sさんが言うように、たぐいまれな重症患者だったと今更気づく私です。おとなしくにこにこしていた赤ちゃんだったげんちゃんは、私はそんなに重症な発達障害とは思っていなかったふしがあります。
 
 昨日、私は研修だったので、げんちゃんは、パパと過ごしていました。たぶん、人生初じゃないのかな~・・・パパは、まったく育児放棄だったから・・・笑
私が帰って様子を聞くと、パパが言いました。

「今日、お昼は、ショッピングモールのフードコートに行ったんだけど、げんちゃんすごいよ。ぼくが、肉食べようってどんぶり屋さんに誘ったら、げんちゃんは、”いや、ぼくは、うどんが食べたいから”、と言ったんだよ。それで、お金をやったら、自分で買いに行ったんだ。」

はははは・・・・ほとんどの人は、これのどこがすごいのかわからないだろうと思いますが・・・

こっちの意見をおして、自分はうどんを食べたい、と主張するところがすごいのです。もし、昔のげんちゃんなら、なんとなく流されて、ぼ~っとどんぶり屋さんに行ったことでしょう。
なんせ、自分というものが捉えられていないげんちゃんです。パパには賛成できない、ぼくは、うどんだ! なんてことがありえないわけですよ。

こんなげんちゃんだから、ただなんとなく、勉強しろと言えば、机にいたし、こっちの言うことにも、そこそこ従って、さまざまなトレーニングをやってきたのかもしれません。
ただぼ~っとなんとなく・・・

だから、いろんな発達障害のお子さんを見るたび、たとえ、言葉があまりしゃべれない自閉症のお子さんでも、行動の原動力になる意志、心ってものがあるので、いつも、すごい! と感じることが多かったです。

支援学校に行っている、げんちゃんよりIQが低いというお友達でも、人としての人格、ってものが感じられる。それなのに、げんちゃんには、それがない。

時々主張しているように思えるときは、動物的な快不快などによって、脊髄反射的に主張しているような感じです。または、自分の世界観に入っているときは、意識、心というより、なんか、つきものに突き動かされて主張しているようで、そんなときでさえ、げんちゃんの人格を感じられなかった。

この日も、私が帰って、外食をしたときも、げんちゃんは、ただ、こっちの言うことに、ただ「うん。」と適当に返事をするだけで、意見なんてもんを言うことはありません。

この子の心は、どこまで、深いところに封じ込められていたのだろうか。

私は、とにかく、何もできないげんちゃんに、なんとか、つまめるところをつまんで引っ張り上げてきました。心は、ずっとつまめなかったから、体幹を鍛えるとか、絵が描けるようにトレーニングする、とか、安曇野方式も少しかじって、数を教えるだとか、できることの最大限をしてきたわけだけれど、ほんとに、何をしても、この子の心をのばすためのきっかけは、今まで存在しなかったように思います。

何を言ってもひびかない。何を教えても捨て去る。げんちゃんの心はほんとに鉄のようにかたい甲羅で覆われていた。

今となってはそれがよくわかります。何が伸びても、何ができるようになっても、げんちゃんが人間になったような気がしない。

しかし、それが、やっと、心をつまめるようになったんだと思います。爪の先にちょっとだけやっとこさつまめるだけのゆるみが出てきた。それと同時に、とにかく、幼児のような精神年齢のまま、おいてけぼりになっていたその部分が、はじめて表面に出てきて、アプローチの対象になった。

なんと、この子の問題は深刻だったのだろう!

だから、今は、もう、学習はどうでもいいとは言わないけれど、あまりに手付かずの心の成長の方を優先しなければ、アンバランスきわまりないし、のちに大変なことになる。そう感じているんだと思います。

このことをやっと自分で言葉にできたことはとても大きい。今は、何をやるべきで、何をやるべきではないのか、が、やっとクリアにわかるようになりました。


Sさんがいなかったら、まだ、このげんちゃんの心の部分は、固く閉ざされて、出てこなかったのかもしれません。Sさんは、小学校低学年の時、げんちゃんを見て、相当重症なお子さんだ、と思ったそうです。それなのに、私があまりそういう理解をしていないので、大丈夫かな、と思って見守っていた、と言われました。先ほど書いた、支援学校のお友達など、Sさんに言わせれば、”げんちゃんより、改善はしやすいよ。ママがしないのはもったいない限りだよ。”なんて言う。

ほんとに、今更ながらなるほどと思います。何をやっても感じてくれない、捨て去る。自分がどうであるかさえ感じることを捨て去る。そんなげんちゃんが、やっと、自分を感じることができ始めた。まさに、ここからが、ほんとの改善なのかもしれません。

しかし、この部分は、意識障害である発達障害の本質部分でもあります。一つ一つバカみたいに段階をおってしか改善しないげんちゃんのレポートをすることで、少しは本質の改善が解明されるかもしれないな~。

大変さと同時に、とても興味深く感じる部分がある今日この頃です。
人の心とは何なんでしょう。意識とは何?人格とは何? 神様は、この子を通して、いろんなことを教えようとしているのかな~・・
 とにかく、忍耐強く、一つ一つやっていくしかない、と思います。

by glow-gen | 2019-04-15 19:47 | 意識のこと | Comments(8)

発達障害、本丸決戦か・・・

 さて、いろんな能力があがっているだけに、げんちゃんの本質的な問題があぶりだされてくるようです。

げんちゃんの朝は、ほんとに戦いです。夜10時に寝ているのに、7時に起こすことはほんとに大変です。7時前から起こし始めて、7時30分に起きればましな方で、毎朝、私はくたくたぼろぼろです。

なんとか起きてきたげんちゃんに、
「ねえ、げんちゃん、靴下そこにおいてあるのを使ってね。」
と言いました。
うん、と返事したのに、しばらく見ていたら、げんちゃんは、引き出しから新しい靴下を出して持ってきました。

 やれやれ、また、聞いていない・・・・そうです。げんちゃんは、いまだにこういうことが日常茶飯事。どんなことにしても、聞いて理解したと思ったらとんでもない、そんなことのオンパレードです。なまじ、しっかり聞いているように見えるだけに、深刻です。

げんちゃんは、学生服を着始めます。先にズボンをはいて、きっちりベルトを締めます。それから、おもむろに、トップスを着ます。見ていると、トップスの下をズボンに入れるため、きっちりしめたベルトをまた外し始めます。

なんてこった!  これはもう4月から同じことが続いています。

先にトップスを着れば、ズボンのチャックもベルトも、一回でうまいことセッティングできるというのに、何度言っても、げんちゃんはこの手順に何の疑問も持たないようです。

「何やってんの。一度締めたベルトをまた外すの? 着る順番を考えたら、ベルトをしめるのは一回ですむでしょう。」

私はうんざりします。

 さらに、パジャマをたたんでチェストに入れる、という行為をいやいやながらします。これはもう何度も何度も繰り返しさせてきたので、言えばとりあえずやります。しかし、やりたくないという意思表示をしながら、めちゃくちゃにやって、私が見ていなければ、チェストに押し込むだけ、ということになります。

「きちんと始末しないと、部屋にまき散らしたら、みんな迷惑だよ。」
「また着るんだから別にいいじゃん。」

横柄な態度で開き直る。

 つまり何が言いたいか、って、げんちゃんは、何事もできないわけではなく、そこに価値感をおかなければ、「また着るんだから、別にいいじゃん!」
というふてぶてしさで、まったくやろうとしないわけです。自分が価値をそこにおかなければ、気持ちを入れることを完全放棄する、ということなのです。

寝巻のことはほんの一部で、たいしたことじゃないかもしれませんが、この発想法が、すべてにわたって支配するのです。

 ”必要ない”、なんて、とんでもない! 普通の社会で必要なたくさんのことも、げんちゃんは、独自の世界観で必要ない、と決める。

普通のお子さんなら、やりたくないな~。自分的には価値が薄いな~と思うことでも、まわりを見て、必要なことだと気づけば、しぶしぶでも、それなりの行動に出ることでしょう。
しかし、発達障害で、しかも、鈍感力が半端ないげんちゃんの場合、”必要ない”、”いやだ”、”めんどくさい”、というフィルターがかかってしまったことは、どこまでいっても、気持ちなど入れない。
 気持ちを入れないから、驚くような低いパフォーマンスでいってしまうのです。

 英語だって、数学だって、学習という名のものなら、昔からフィルターかけっぱなしなので、脳の回路はめったに開きません。

 でも、価値を認識した、または、好きだと思った絵画やピアノは、当然のごとく、さっさと開花させる。能力が一気にのびたわけではなくて、フィルターをはずしただけ、なんだと思います。別に開花したわけでもなくて、そこに価値をおいたから、当然出てくる・・・・そういうことなんだと思います。


逆に、逃げ場を作って、
「こんなもん、する必要ないさ。」とか、「無理だよ。」
とか、勝手に決めてしまったものは、なかなかフィルターはとれません。いくら、テストで必要だから、とか、いろいろ理由付けしてみても、わがままなげんちゃんの脳の回路はシャットアウトしたままです。普通の子だってそういう部分はあるものの、げんちゃんは、自分で気づいてない深いところでそれをやってしまう。


げんちゃんが、独自の世界観でフィルター掛けがなされたものは、ほんとに手ごわいです。

 昨日2年生の七田の算数をさせてみたら、え? というできなさでびっくりしました。これがこの子の実力?、とつい思ってしまいますが、能力とは別のところの原因だと思っています。

 彼が作ったわがままなフィルターををはずすことができれば、絵画のような出力がなされると信じます。たくさんの、血のにじむような取り組みのもと、もうほとんどの能力はある程度スタンバイできたのです。

 げんちゃんの障害を、知能指数で表すのは違うように感じます。フィルターをかけていたので、すっかりさびついている能力もあるものの、心のフィルターをとることができれば、IQさえうそのように伸びる。

絵画がいい証拠・・・・

 しかし、おいそれと、フィルターがとれるわけでもなくて、本人のずるがしこさだけ、成長させているようです。Sさんのクライアントの中でも、群を抜いて、動かない心・・・・そんな感じなんじゃないかな、と思います。Sさんが、重症の意識障害という意味がよくわかる・・・

 先日、支援学校に行っているT君が家に来た時に、げんちゃんとは本質が違うと感じました。彼は、何事も気持ちは入れている。学習にしても、生活のことにしても、それらが必要なことも、素直に受け入れているし、努力することが当たり前と思っています。でも、いろんな脳力がそなわっていないので、なかなかできないのです。

 T君は、今まで私がげんちゃんにしてきた多くのトレーニングさえすれば、伸びていく。そう感じました。げんちゃんより、彼を伸ばす方がきっと建設的でストレスが少ないだろうな、と思いました。

 気持ちを入れればできるようになるのに、一切シャットアウトして、ずるく逃げる心の状態、あるいは意識の状態。これぞまさに、げんちゃんの本質的な問題で、大きな壁となって私たちの前に立ちはだかっています。
 げんちゃんは、知的障害ではなく、精神障害だということが、ひしひしと感じられる日々です。

 げんちゃんが、ひどく心を動かさない、と決めてしまった日は、げんちゃんの目は、まるで、精神疾患者が、薬でぼ~っとしているような目に見えます。たとえば、自分のまわりに蚊が飛び交っていて、足や手をかまれそうなのに、目の前の小さな視野に、蚊が飛び込んできた時だけ、突然げんちゃんは目がさめてぱちんとたたく。でも、蚊がまた視野から消えれば、蚊などまったくいないかのごとく心に幕をおろす。

げんちゃんは、そういう感じです。

 蚊を追えないのではなく、認識しようとしない・・・・げんちゃんのトラブルの本質は、なんとも恐ろしいな~と思います。そしてこの部分さえ、改善できれば、げんちゃんは、真っ黒いカードがドミノ式に全部ひっくりかえって白にかわるように、大きな成長を遂げるのではないか、と感じます。

Sさんによると、げんちゃんの根底にある、”逃げ”の心が、マイナスに流れる心が、わがままなスイッチを作っているそうです。




by glow-gen | 2019-03-14 17:47 | 意識のこと | Comments(4)

”迷い”のステージから、ほんとの意識出現? 激動のステージなのかも

たぶん、先週末から、激動のステージを迎えているげんちゃんだと思います。

 一人で、学習したと思ったものの、何しろ、自己中心的、ピントずれ・・・のげんちゃんでした。週末に、S先生の指導が数日入りました。
もどってくるなり、げんちゃんは、ものすごく、生意気になっていて、なんか、すさまじくとげとげしい・・・

あら、先生が、また意識をいじったのね・・・K先生とびっくりしていました。とにかくS先生との合宿が終わると、かならず、げんちゃんに微妙な変化があるので、それが、良いものであろうと、悪いものであろうと、とにかく、次に進んだんだ、ということがわかります。

終わって、1週間くらいして、あら、ちょっと違うよね・・・ということも多いのですが、今回は、翌日から、なんか、こう暴力的なエネルギーを感じます。
私への感じの悪い態度も先週より磨きがかかってます。

「自分でやる!」
と言って、おばあちゃんとこで、また自主学習ノートを埋めてますが、(おばあちゃんとこだと、好き勝手できる)
”俺、一人でやってんだよ。俺の勝手にさせてくれよ!”
 そういうふてぶてしさが全面に出ています。もちろん、内容は、とりあえず、なんかやりゃいいでしょ・・・・そんな感じ。

朝も起きない。起きても、なんか、とげとげしく、そのくせ、時間に間に合うような行動もとれない・・・

そうすると、またS先生に、手厳しくやられる。

ちょっと前までは、私に、あまり無理に学習させないように、と言ったり、ここは、しかたない、流していて、とか、S先生は言っていたのに、まったく豹変したように、先生はげんちゃんに向かってます。

「げんちゃんの”コアな意識”を出したので、今までとは違います。自分をしっかり出しはじめて、わがままが、どかんと出てきている。今までは迷走している中で色んなわがままが出てきていたから、少し圧をゆるめないといけなかったけど、今は迷走が終わり、しっかり出てきたから、好き勝手にしたいというわがままなベクトルを、完全に切らないといけない・・・」

うまく表現できないけれど、先生はこんな風なことを言っていたような・・・とにかく、今までは、そこは、大目に見て、という部分まで、細部にわたって、かなり厳しくげんちゃんを指導しています。色んな演出の意味を聞くと、すべて、細かく計算されたもので、驚くばかり・・・・

今日は、げんちゃん、家に帰ってきて、ミニレゴをやり始めました。帰ったら、まず、学校の道具を開けて確認して、段取りを考える・・・と指導されていたのに、あいかわらず、時間も何も存在しない世界で、やりたかったレゴのことだけ考えている模様。それでも、前は、K先生のところに行く前に、レゴをしたがったら、少しさせて、気分をかえて行かせて、と言われていた時もあったので、私は、少しやらせました。

が、まずかったようです。
「今日は、K先生のところのはずだよ。なぜちゃんと時間通り行かないのか!」
レゴは、しっかり学習したあとだ、と、先生が来られて、すごい剣幕で叱られていました。ほう!ステージがかわっちゃってるんだ・・・私もびっくり。

私も、ここ数日、圧をかけるのか、ゆるめるのか、加減がよくわからなくて、先生と電話で密に連絡取り合って指導してもらってます。ありがたや~!
S先生が来られた瞬間、げんちゃんは、ぎろっと私を見て、
「お母さんが連絡したの?」
と言いました。お~・・・そんなとこつながったんだ。今までならありえない!でも、なんでも見抜かれてしまうS先生は、畏怖の対象らしく、ぐうの音も出ないげんちゃんです。

K先生のところに行っても、げんちゃんは、意識をふっとばしていました。あまりにひどいので、また大叱られ。

とにかく、今は、げんちゃんの”逃げる” というところを、徹底して、修正する段階なのだそうです。確かに、げんちゃんのこの”ずるい逃げ”に対しては、どこかで、徹底的に対処していなければ、今後とんでもないことになります。今回出てきた、どこか攻撃的な態度も、人に向けられたらとんでもないしね。いよいよ、徹底的に対峙するステージが来たんでしょうね~。

 なんかよくわからないけれど、家族一丸となって、少しの逃げ場も許さず、正しい行動を身に着けさせる。君の応援団一丸となりますよ~・・・

学校にも面談に行って、私が理解してる範囲のことですが、学校での演出ぶりもご協力願いました。

さてさて、かなりハードなステージになりそうですが、ここを登れば、また新しいげんちゃんが生まれると信じましょう。そうなったら、圧もどかんとゆるめるに違いありません。げんちゃんも、忍耐のしどころなんでしょうね~。今日は、先生の指示通り、意識調整のために、10分寝る前に、ドローンをしてふてぶてしく寝ました。
明日はどんな明日になることやら。私は、ただ嵐の中を前に足を進めるだけ・・・そんな感じです。

ガ~ンバ!


by glow-gen | 2019-01-24 01:30 | 意識のこと | Comments(15)

不登校をおこしやすい発達障害のお子さんの意識。ワンパターンのやり方は危険

  週1げんちゃんを教えて下さるユリ先生が、面白いことをおっしゃっていました。
ユリ先生の、発達障害のクライアントさんの中には、げんちゃんとはタイプの違う、不登校を起こしているお子さんがけっこういるそうです。
そういえば、支援のママ友のゆうすけ君(仮名)のクラスメート(支援クラス)も、けっこう休む子が多いようです。
ゆうすけ君自体も、けっこう繊細で、普通クラスに行くのをいやがったりすることも多く、支援クラスで勉強する時間が多いようです。

ユリ先生は、そういうお子さんには、けっこうほめて持ち上げて学習すること多いようです。でも、げんちゃんには、絶対に立ち位置より、上に持ち上げないように気をつけてもらっています。立ち位置の高さ分認める。それより上に持ち上げると(いわゆる”ほめる”)、すぐに、げんちゃんは、のぼせて努力をやめますし、こっちにさせて、自分は抜きます。したたかに、こっちを見てます。

不登校をおこしているようなお子さんに、げんちゃんに言うような辛口の調子で言うと、すぐに落ち込むことも多いそうです。

げんちゃんは、ちょっと特殊かも・・・・と言われました。

ユリ先生は、ブログでげんちゃんのことをずっと読んでいてくださって、実際会うまでは、げんママは、厳しいな~、と思っていたそうです。でも、実際げんちゃんに指導するようになって、なるほどな、と思ったと言います。

げんちゃんは、不登校をしたことがありません。小学校から、いじめられる、という不幸に会うことがなかったので不登校をしなかった面があります。でも、それだけではないようです。げんちゃんは、不思議と、どこへ行っても、自分のエリアというのをしっかり持っています。研修旅行で、クラスの問題児の隣に座った時も、聞いてみると、
「何をされるか、ちょっと怖かった。」
と言うのですが、びくびくした様子でもなく、こびるわけでもなく、たんたんと、一言も話さず、平気で隣にいたようです。もし、私がその場にいたら、自分の精神的エリアを侵されそうですが、げんちゃんは、あまり侵されなかったようです。ストレスは感じたけれど、侵されはしない。

周りのことを気にしない、という長所にも短所にもなる性質は、げんちゃんが、横方向の広がりに欠けるということでもあるのでしょう。げんちゃんは、まわりの雑音に振り回されることもあまりありません。
くもんを辞めさせられた、しかも、大好きな先生です。こういうショッキングなことも、少しの違和感くらいで流してしまっています。いまだに、どう思う? と聞くと
「べつに、気にはならない。」
と言います。ほんとに、大きく見積もっても、少しばかり感じているのかどうか、という感じです。もしかしたら、ぜんぜん、かもしれません。

昔英語の教室に行ってた時に、たぶん、発達障害かな?と思われるお子さんが、一人の友達にけんかをふっかけて聞くのもつらいような場面が展開されたことがありました。げんちゃんは、隣に座っていましたが、平然と自分のやるべきことをやっていました。私なら、やるべきことをやりつつも、心が動揺するよな~、と思って見てました。(たまたま見学していた私)

終わってから、
「げんちゃん、今日はすごい子がいたね~。」
と私が言うと、
「うん、お母さんが来る前、先生に外に出されてた。」
と、何の動揺もなく、たんたんと言ってました。うまく言えないけれど、まるで、水みたい。その場の雰囲気にそまりもしないし、自分の雰囲気をまわりに押しつけもしない・・・

しかし、この、まわりを見て、動揺したりすることが少ないげんちゃんは、周りを見ることで、自分を鏡に映すようなことができません。周囲を気にして、自分の態度を振り返ったり、お悩みの中から、何かをフィードバックしたりすることができない。集団の中に入ると、まるで、色なら白、水のような透明ささで、そこにいる。

この透明さは、強さでもあるけれど、そこに訴えることで矯めることが、なかなかできにくいということでもあります。

不登校を起こしてしまうお子さんも大変です。彼らは、たぶん、げんちゃんとは違って、意識を横方向に広げやすい子なのかもしれません。

意識とは、深さ、広さ、高さ・・・奥行・・・とても複雑な広がりを持っているもののようです。その子の意識は、その子その子で空間が違うんだな、と思います。
とても抽象的ですが、げんちゃんのそれが、縦方向に狭く広がっているようなイメージに感じる私です。

発達育児を、十把一絡げに考えるのは危険です。ほめる育児がいい、とか、厳しいのがいい、とか、単純にきめつける指導者は、決して一流ではない・・・そう感じます。その子の意識レベルに、どう働きかけて、どっちの方向に伸ばすか。そういうことができるようになるには、ほんとに、指導する自分自身を開拓する必要があるな~と思います。


S先生からずいぶん学ばせていただきました。

PS
この意識の方向性をイメージすることで、不登校になりやすいお子さんの指導のやりかたのヒントがあるかもしれません。(もちろん、過度にいじめられるとかして、不登校というのは、また話が別ですが。)

げんちゃんなら、横方向に広げる。ちょっとしたことで、不登校を起こしやすい子は、縦方向に広げる。
縦方向とは、自分のやるべきこと、自分の目標、自分のことだけ見つめさせる、ということなのでしょうか。友達のことや周りを気にするな、と言っても、どうしても、そっちにいっちゃうわけで、それなら、縦方向、自分のことについての積み上げていく縦の方向。それらに、極力視点を向かわせることがいいのかもしれませんね~・・・不登校というのも、実際つらいものです。げんちゃんが、もし、将来そうなったら、それは、もしかしたら、すごい成長と意識の広がりなのかもですね~・・・・








by glow-gen | 2018-11-19 00:40 | 意識のこと | Comments(8)

発達障害とは意識の障害・・・げんちゃんの心

  意識、意識と、S先生に教えられて、なるほど~と思ってはいるのですが、じゃあ、し~っかり、自分がわかっているか言うと、やはり、そこまで附に落ちることばかりではありません。げんちゃんのステージが進んできて、あ、そういうこと、と、すとんと落ちることも多いです。

 前回アップした、ベートーベンの「月光」に描いた挿絵を、S先生が見て言いました。

「げんちゃんは、やっと意識が出てきて、ふと見ると、周りは真っ暗。僕ってなんなんだろう・・・・と、不安や葛藤の中にいるんだよ。でも、やっと、そこに、月が差してきて、光が出てきた。だから、本人も、なんとかなるだろう、って感じ始めているね。」

「え~・・・そんなもんなんですか~? こんな絵で、そこまでわかるんですか~?」

S先生の言うことは、いつも不思議です。でも、そう言われてみると、1学期、げんちゃんは、国語のカリキュラムで詩を書きました。自分を”さめ”にたとえて、

”闇の帝王”とか、”暗闇をうろつく”・・・とか、物騒な言葉だけが並んでいました。その時も、Sさんは、
「げんちゃんの今の心だよ。」

と言っていたけど、私は、よくわかりませんでした。

でも、月夜の絵の彼のコメントを聞くと、なるほど、その時からすると、げんちゃんの心は一歩進んでいるんだな、ということがわかります。

真っ暗闇だったのが、光が差して、そっちに向かえばいいんだな・・・・となったのでしょうか。

この絵を描いたのは、数週間前です。今は、月夜も、ほのかに明るい、日本昔話みたいな柔らかさを帯びているのでしょうか。それとも、夜明け近くなのでしょうか。


今度はどんな絵、どんな詩を書くのでしょう・・・またまた台風。げんちゃんの意識、心・・・私たちにもわからないし、本人さえも、よくわかっていないようですが、Sさんは、鏡のように写し出して見えるようです。

Sさんいわく、「 意識の力でわかるんだよ。」

不思議な人です。意識とは何なんでしょうね。何層にもなっていて、感情に近いような。外側の意識もあるそうな。げんちゃんが出さなきゃいけないのは、もっとも深い部分にある本意識、というものらしいですが・・・・・

「西洋医学では、心イコール脳・・・くらいなところで終わっているから、精神疾患も、発達障害も、なかなか治らないんだよ。」
とSさんは言いますが、ほんと、人間とは、物質で終わらないものだと、私も思います。私はクリスチャンなので、げんちゃんを創られた大きな力を信じています。聖書では、

「神は土地のチリで人を創り、その鼻から命の息をふきこまれた。」
と、書いてあります。おとぎ話のようですが、実際人は、死ぬと、土と同じ元素に戻ります。死体を見たことがありますが、ほんと、何かが抜けてしまって、物質になってしまったような感じを受けます。

 この抜けていく何か・・・・そこに通じる物が、その人の深いところの意識なのでしょうか。
なんとも哲学的です。

げんちゃんがいなかったら、こんなに人について、思いをはせることも少なかったかもしれません。おもしろいな、と思います。

さて、この月光の絵を描いてから、数週間。げんちゃんの心は、まだまだ混乱の中にあるようです。

自己葛藤を、人におかまいなく外に出すものだから、周りとの軋轢が生じるそうで、そこに反抗期の要素も加わり、げんちゃんは、ずっと、あつかいにくく、突き抜けない手ざわりに、私は、苦しんでいたのでしょう。

でも、10月になって、げんちゃんはまた一つ、なんか上がったな、と感じます。

それゆえに、先日、久しぶりに見に行った野球教室で、今までとまったくかわらず、ぼんやりしているげんちゃんを見て、あ、これはいけない、と思いました。
そうです。彼のステージはどんどんかわっていっているのに、発達障害児として、漫然と昔のステージの扱いを受けている。すぐさま、先生におねがいしました。

「先生、ずいぶん、げんちゃんはステージが上がっています。普通の基準で、できないことは、しっかり厳しく指導してください。そうでないと、完全に彼は、抜いていますから、まずいです。」

発達障害の子を教えるチャンスは、今では指導者にとって、多くあるでしょうから、この際、げんちゃんをネタに、若い先生に色々教えてあげるのはいいかも、と思って、せっせと、げんちゃんの指導の仕方、声かけ、お話させていただきました。

若い彼はいい先生ですね。謙虚に耳を傾けて下さいました。しかし、野球はノーマークでした。今度から、ちょっと野球には足げく行って、げんちゃんに圧をかけるようにしようと思います。


良い教室でも、げんちゃんが抜いてしまえば、行く意味がない。今はそんな感じです。





by glow-gen | 2018-10-05 18:40 | 意識のこと | Comments(3)

意識が出てくると、次はどうなる・・・

  お盆休みも終わり、夏の終焉がそろそろちらつき始めます。お盆休みは、実家に帰って、同窓会に出席したりして、あっというまに終わりました。仕事にもどれば、山積みの仕事があって、すっかりブログを更新するのが遅くなってしまいました。

 10日も立てば、げんちゃん育児については、まったく違う視点や展開になっています。この度もやはりそうです。
げんちゃんのけだるい夏休みは、さらに、だるいものになっています。

 夏休みに、S先生の指導を受けたげんちゃんは、だんだん、意識が表面に現れてくるようになって、自分がどう考えるか、とか、どう感じるか、なんてことを、少しつかめるようになってきているように思います。

 夏休みに入った頃は、できないなりに少しは、自分で夏休み帳と格闘してみたりしていたような気がしますが、今度は、自分の意識が出てきたものだから、やりたくないことはやりたくない・・・やりたいことは、積極的に取り組む。なんか、こういうめりはりが明確になってきました。

 以前なら、やりたくなくても、その気持ちさえ、ぼんやりしていて、私に言われれば、なんとなくやる・・・そんな芸当ができてたような気がしますが、次のステージは、私に言われても、自分の心がいやであればいやだ、と拒否感を全面に出すようになっています。

 あれこれ勉強道具をたずさえて、お盆に実家に帰ったものの、夏休み帳を進められる雰囲気ではなく、理科の研究発表をとりあえずやらせるにとどまりました。

 研究発表は、「花火のしくみ」。
これは、自分がやりたい、と言い出したことで、精力的にとはいかないけれど、私にうながされれば、調べた資料をせっせと写すくらいはやりました。もちろん、ある程度内容を作ってやって、その軌道に乗せてやる感じです。
 それでも、実家近くで行われた花火大会を、調べた直後に見に行ったせいで、実際の感想や考察を入れて、とても良いしあがりになりました。

 普通のお子さんは、こういうことを、たいして親の手を借りずにやるのだとしたら、たいしたものだな、と思いました。でも、考えてみたら、私も中学の時、母親に、植物採集をほとんどやってもらった気がします。中学くらいまでは、やはり、母親力、父親力を発揮した方が、子どもの学力は伸びやすいのでしょうね。

 私は中学の同窓会に行ってみて、進学校とはかけ離れたところに行った同級生が、話してみたらすごく賢かったり、気が利いていたりして、まさに、地頭と学校の成績は比例しないことをいつも感じます。それに、エリートコースを歩んだ友達が、幸せかというと、そうとも言えないし、げんちゃんが過ごしている中学という時代は、ほんとに、人生のちょっとしたパーツにすぎないのだな、と思います。

 それでも、やはり、大切なパーツであることは間違いなく、げんちゃんは、ここできちんと、学力や正しい生き方の基礎を作る必要があるのです。こうやって、数十年後、同級生たちに会って、お互いの来し方を、しみじみ語り合えるような一人前の大人になっていることが、今のげんちゃんの目標なのです。
 げんちゃんが、自分の人生を振り返って、他人の人生も見渡して、人間が生きるということをちゃんと考察することができるようになる。私はそこをいつも見つめています。しかし、今の彼からは、その姿は、あまりぴんときません。

なんせ、今朝も、
「(飼っている)亀にえさをやって!」
と頼んだら、げんちゃんは、昨日水替えをしたばかりだったので、
「え~、エサやったら、また水が汚れるよ!」
と真顔で言っていました。
「あのな~。あんたの言ってることは、”台所汚れるから、今日はご飯食べない”。それと同じだよ!」
 思わず叫んでしまいました。人の普通の感情や発想が、まだまだ抜け落ちて、不思議な”おごり”だけ全面に出てきたりするげんちゃんに、遠い日の同窓会で、げんちゃんがしみじみ語っている姿なんて、イメージができません。

 また、学習に関してしたためると、数学に対しての拒否感はほんとにひどいままで、とうとう、夏休み帳の数学が、ほとんど進まなくなってしまいました。考えればわかるところも、やりたくない、の一点張りのようです。しかたないので、数学は、母親の私がしない方がいい、ということになりました。

 しかし、成長の負の副産物が出てくるときは、成長もしているわけで、興味を持ったことは、新しいトライをすることもあります。昔はやろうとしなかった、100均のミニチュアのレゴを取説通り組み立ててみたり、家庭科の手芸の作品をまじめにとりくんでみたり、好きな本を見つけて、読んでみたり、クラッシック音楽にはまって部屋中に響かせてみたり・・
 


S先生が解説してくれて、納得しました。

「げんちゃんは、意識の奥の方が、やっと少し出てきたんだよね。意識は出てきたものの、感情にすっかり支配されてしまっている。意識が感情を支配しなくてはいけないのに、それができていないんだ。」

「なるほど・・そんな状態で大人になれば、ほんとに怖いですね~。」
「その通り。」
「そういえば、頭悪い、と、私が怒っても、頭悪いよ~。何か~?みたいな開き直りをし始めたんですよ。」
「適当に誤魔化して、うまくやれる、と、変な自信だけついているんだよ。
だから、こてんぱんに、そういう変な自信は突き崩してやらないといけないんだよ。僕に叱られる時は、真っ先に人目を気にしているから、人目があるところで
逆にしっかり怒ったりね。」

「なるほどね・・・私も、あ、そう。じゃあ、あとは自分でやんなさいね。と突き放しています。
そうすると、やるべきことはなかなか進まないけれど・・・・。」

「そのスタンスは間違っていないよ。今はそのへんの微調整がいるね。」

Sさんはそう言うと、たまにやってきて、色々げんちゃんにかかわってくれたりします。


そういうわけで、今は、かなり、彼から距離をおいている私です。絵の宿題は、絵画教室が担ってくれているし、学習も後半は、他人にできるだけ丸投げし、あつかいにくくやっかいな、思春期の男の子の母親に多少近いようなスタンス、になっているのかもしれません。まだまだ本人は幼稚で似て非なるものですが。

まあ、それも、夏休みだからできる芸当で、新学期が始まれば、がっつりかかわらなければ、学校生活はまともにいかないでしょうから、どうしたものでしょうね。

くもんをやめさせられた経験も、こういう中でおこったことで、ほんとにタイムリーだったと感じます。そろそろ世間の冷たい風も知らなければ、勘違いしたまま、突き進んで行きかねないです。



 

by glow-gen | 2018-08-18 12:27 | 意識のこと | Comments(8)

S先生との合宿

  S先生の一泊二日の研修は、どのようなものであったか、・・・
私も、すべて把握はできませんが、簡単に聞いたところだけ書いてみます。

 S先生の家は近くて、家族つきあいしている関係で、彼の家で研修しても、日常の延長なので、心が動かないらしく、わざわざ、隣の佐賀県に一泊して研修することになりました。

 遠方から来られるクライアントさんなら、先生のおうち周辺でも大丈夫なんでしょうけどね~。

げんちゃんは、彼といっしょにドライブをして、佐賀に向かいました。朝、家に迎えに来た段階から、指導が始まります。
私は、あまりに起きないげんちゃんをほったらかして、仕事に出ていきました。

そのあとげんちゃんは、自分で起きて、食事をとって、やってきたS先生に、あとかたづけをはじめ、色々と指導されたようです。

遠出の研修は、傍目には、お父さんとの一泊旅行に見えるかもしれません。食事するとか、移動する、とかいうちょっとした時間すべて、S先生のするどい指導がはいるようです。
計算された、彼のマジシャンのような声かけと表情で、げんちゃんは象使いに動かされる象になったかのごとくなんでしょう。

 佐賀で陶芸体験をしたそうです。
ただすればいいというものでもないらしく、陶芸を指導してくれる陶芸家には、事前にコンセプトをしっかり伝えて、S先生の指導の邪魔をしないように、お願いしたようです。

「この子は、発達障害で、僕が、こうやって連れてきて、研修をしているところなんです。」

S先生は、わざと、行く先々で、げんちゃんに聞こえるようにこう言います。なぜなら、げんちゃんは、自分が、発達障害で、普通クラスのお友達とくらべて、いろいろできないことがある、としっかり認識する必要があるのです。
 どうも、こっちが考えているほど、げんちゃんは、自分の立ち位置を、まだわかっていないようです。それゆえに、努力していこう、という思いより、なんとかなるさ・・・・という感覚の方が強くなったりしているそうです。そのため、まだまだ態度に、逃げがあります。

外に対して、S先生は、しっかり立ち位置を伝えることで、げんちゃんの認識をクリアにする目的があるようです。

「いつも、お世話になっている お父さんとお母さんに、湯飲みを作るんだよ。」
S先生は、げんちゃんに、陶芸の目的をしっかり伝えます。ろくろを前にして、げんちゃんの目的意識がクリアな時は、粘土はきれいにまわりますが、時に、自分の世界に入ってしまうと、いきなり、粘土がぐねっと、非対称にうねります。

動画を見せてもらった時は、なるほど~と思いました。そうなると、すかさず、S先生の言葉が入ります。

「げんちゃん、何やっとるのかね。今、何してるんだっけ?」

そうすると、またげんちゃんの目がきりっとなります。

そんな風にして、射的体験(景品を銃でねらう)とか、カッターボート漕ぎとかやったそうです。

「カッターボートを漕がせると、やっぱり、まっすぐ行かないんだよね。くるくる回っちゃったりしてね。こういうところが、線をちゃんとまっすぐひけないとか、そういう空間認識の部分なんだよね。自分が意識してやっていることが、すぐに、カッターの動きとして出てくるから、声をかけながら、意識に働きかけていくんだよね。」

陶芸も、射的も、カッターボートも、自分の意識と外の世界とをつなげていくのにいいのだそうです。

「旅館では、ちゃんと、服もたたんでいたよ。」
げんちゃんは、家では、やりっぱなしですが、内外の区別ができるようになったのでしょう。


佐賀のある駅から、一人で、ある駅まで乗り継いで行く、というカリキュラムに挑戦したそうです。しかし、電車を前に、たじろいで、電車をのがしてしまったようです。

できても、べた褒めはしません。

褒めるということは、この子たちにとっては、確認作業です。当然できることを、ただやってのけた、そういうあっさりしたほめ方で、表情も、努めてめりはりをつけるそうです。
この子たちは、褒めすぎれば、すぐに勘違いするし、ほめないと、自分のした行動の良い点もわからなくなるのです。


褒める育児、というのが、よくもてはやされますが、この子たちにとって、褒めるのは、目的に行くための途中における確認作業。私たちは、ほんとに高い所をめざしているのだから、

「障害児なのにすごいじゃない!」

こういうスタンスはありません。素晴らしい資質をもらってきているはずだから、ちゃんと、それを捜していこう、挑戦していこう・・・・S先生のこのスタンスは、ほんとの意味で、げんちゃんを、一人の人間として、ちゃんと対等に扱っていることにつながると思います。

そういう、絶対的な価値観をげんちゃんに対して持っているS先生に、げんちゃんは、どこか威厳を感じ取っているようです。でも、いつもよくしてもらっているので、ところどころで、
「何じゃ、その態度・・・」
と言うのが出てきて、時々がつんとやられています。


げんちゃんの体験は、一見家族旅行で見られるようなところもあるので、家で、そういう体験学習をさせるときは、子どもに、今何をやっているのか、という目的意識を喚起する言葉かけをすると、一見遊びのようなことも、トレーニングにつながります。

「普通の子は、目的を与えてやる、でも発達の子は、目的意識を与えてあげる。」
のだそうです。なるほどな~と思います。げんちゃんは、やってるそばから、自分が何をやろうとしているのか、というのが飛んでしまうのです。言い得て妙です。


 たとえば、陶芸体験では、適当に自分の世界観でやっていたら、目的意識は生まれません。きちんと目的にそったことからそれないように、意識喚起しながらやれば、意識レベルは保たれやすくなります。

陶芸家は、観光で来る人の、陶芸体験と思っているので、最初に、言っておかないと、げんちゃんが、適当にへんな物を作ってしまっても、
「いいよいいよ。自分の好きなようにしていいんだよ。それも個性だから・・・」

なんて、ヨイショしてしまうので、先生は、しっかり最初に釘をささせてもらったようですね。


ちょっと、混乱してほしくないところとして、その子がどこのステージにいるかと言うことも大事だと思います。

げんちゃんの小さい頃のように、ひたすら何もできない時は、何でもいいから、外から働きかけをして、一つ一つの能力を伸ばさなければなりませんから、べた褒めしてでも、とにかく取り組ませる、というステージもあります。何にもくいつかないようなステージならば、おだてても、べた褒めしても、とにかく、やらせなければ話になりませんからね~。

でも、そういう中でも、眠っている意識に働きかける言葉かけは大事です。なぜ? どうして? どうやって?・・・答えが返ってこなくても、体験の中で問いかけていく必要があります。

げんちゃんは、一つ一つの駒が、ある程度そろってきたので、やっと今度は、取り組み方のクオリティーを言うようになり、意識を伴ってやるというレベルになってきているゆえの合宿プログラムだと思います。

多くのカリキュラムは、かつて私ががんばったてきたように、外側からのアプローチでした。でも、Sさんの言われるように、意識の内面からかえていくような発想は、確かに、有効で外側からのアプローチに加えることで、良い結果を生むと感じています。


by glow-gen | 2018-06-08 19:28 | 意識のこと | Comments(10)

コアな意識を出して、ゾーンに入れば、発達障害児は突き抜ける?

 昨日、学校で受けた刺激で、げんちゃんは、がっつり勉強に取り組めたか・・・・というと、なかなかそうはいきませんでした。

集中できない、とか、ひどい、とかではありませんが、やはり、どこか、逃げてるというか、そんな感じです。人が説明しているときは、自分は、何もしなくていいので楽だ、くらいに思っているように、はたには見えます。

もし、げんちゃんを初めて教える先生が彼の横についたら、まあ、普通に勉強しているよね。色々できないことの多い子ではあるけれど・・・・・・
こんな感じかもしれません。

でも、K先生も私も、継続して彼を見てきているので、げんちゃんが、どこか抜いた状態で、ある意味要領よく適当にやっているのがわかるのです。

「これ、もうわかるはずだよね~。ちょっと考えようよ。」

けっこうまじめに取り組んでいるように見えるげんちゃんに、こういう言葉をあびせたくなる感じです。

勉強を遠目で見ていたS先生が、

「テストショックで、意識入ってるかな、と思ったけどだめだね。」
と言われました。

「げんちゃんは、意識のまわりの、浅いところしか意識が出ていないんだよね。」

はあ? S先生の言うことは、いつも、不思議不思議です・・・・今出ていると思っている意識は、目的のところの入り口程度のものなのか?
テストに対して、普通の子のように反応したわりには、なんか、次のベクトルがぱっとしないげんちゃんです。確かに、もっと、なんか、突き抜けていいんじゃないかな~・・・

「学校のテスト準備で、動かされたのは、コアな意識ではなく感情だよ。」

「はあ?}
???
「つまり、やらなきゃ、かっこわるい、とか、普通クラスに行けない、とか、いわば、間接的な理由で感情が動いているだけなんだよね。出てほしい意識ではない。
ほんとに、自分が向上したい、とか、ピュアな動機があって、どうしてもやりたくてたまらない・・・とか、そういうど真ん中にある意識がちっとも動いてないんだよね。」

ど真ん中にある意識ね~・・・?でも、普通の人は、やらなきゃやばい、とか、めんどくさいけど、やらないとしょがない、とか、間接的な理由をモチベーションに、意識レベルをあげることは良くあると思うけれど・・・

「そうだよ。普通の人は、その程度の意識レベルで、できるんだよね。コアな意識までいきつかないで終わってしまう人ばかり。」

「でも、この子たちは、それくらいの意識では、ブレークすることはできない。コアな意識を動かして、ピュアな思いで、やろうとしないとできないの。」

わからんな~・・・・


彼の言ってる、コアな意識って何でしょ。

もしかしたらこういうことなのかな~・・・と、私の見解を書いてみます。

時々オリンピックのメダリストがお立ち台で、
「楽しかったです!」
なんて、言うときがありますよね。自分が勝ちたい、とか、日の丸背負ってるだとか、そういう雑音をすべて消して、ゾーンに入った状態になると、メダルのことなんて意識してなくて、ただただ、競技を楽しいと思う。体が勝手に動くようにして、思わず最高の演技をする。

コアな意識の発動とはそういうものなのかもしれませんね。内側から、わいてくるようにして、学習したい! 楽しい! 

神様が与えた能力が最高に発動するとき、それは、普通の凡人はあまり考えることもない世界。コアなとろこに、そんな意識があるなんて意識もしないけれど、アスリートを例に出したように、一部の突き抜けた人たちだけが、時に知っている自分。そういうものなのかもしれませんね。


この子たちは、凡人が発動する、入り口程度の意識では、決して突き抜けることができない、そう言いたいのでしょうかね。
Sさんが、この子たちは、マイナス3かプラス3,どちらかなんだよ。と言います。凡人は、プラスマイナス0あたりに散らばっているそうですが、彼らは、プラス3になれる可能性がある。とよく言います。

意識障害を克服することとは、すなわち、コアな意識を出せること、つまり、ある意味ゾ~ンに入る状態までつきつめること、そこまで行くことしかない。

私の理解では、こういうことになります。

でも、なんか、わかるような気がします。時々、発達障害の方が、突き抜けて、天才、という名をほしいままにする場合、彼らはちょっと浮世離れしています。私たちの考える、ちっぽけなモチベーションとははるかに違った次元のものをお持ちのように思います。

それは、このコアな意識を発動することができたからなのかもしれませんね。


よくわからないけれど、げんちゃんは、テストでがんばってコンプレックスを解消しよう、とか、普通クラスに行きたい、とか、そういう凡人の意識ではなく、もっと何か突き上げられる思いで、学習のゾーンに入る必要があるんでしょうね。もし、それが可能になれば、数学も英語も、彼のIQの数値など、無意味なものになるほど、伸びていくのでしょう。


わかったような、わからないような気持ちですが、げんちゃんにある可能性を信じてみたくなりますね。

まあ、そのためには、私もたくさんやることがあるんでしょうね~。まだまだ修行って感じです。
なんせ、私自身が、”コアじゃなく、周りの意識レベル”で動いているもので、なかなかわかっていません。私も、コアな意識を発動する必要があるのかもしれません。げんちゃんを自分の枠にはめてしまったり、自分の理想を押しつけたり、世の基準で測ったり・・・・そういうことから、もっと解放されて、もっとピュアに感じる必要があるのかもしれませんね~。

ま、この記事を読んで、あまりわからなくても、気にしないでください。もし、げんちゃんがその境地に到達すれば、もっとわかりやすく書けるでしょうから、気長に待ってて下さい。笑



by glow-gen | 2018-06-01 20:11 | 意識のこと | Comments(24)

逃げる、意識を消す

先日、プラスとマイナスを、消しゴムを使うことで表現して、意識をしっかり数式にもっていことができる、と書きましたが、げんちゃんは、またやらなくなり、意識が飛んでしまった状態に後退してしまいました。消しゴムを使って正負を考えるのは、意識を入れないとできないことで、めんどうくさいのです。

GW明けは、確かに意識がかわってきたな、と感じました。なぜかというと、自分の言葉で、自分が感じることをほんの一言でも、言おうとすることがあったからです。
私が、げんちゃんのことを指導していると、
「ぼくは、がんばっているんだ!」
と言ったこともありました。たったそれだけでも、げんちゃんにとっては、過去なかったことです。考えてみれば、彼とのやりとりは、私が、彼を指導する、彼から帰ってくる言葉は

「うん、わかった~。」
「はい」
「は~い」
「はいはい」
「わかったわかった。」

それだけ。普通のお子さんなら、
「それって、こういうことなんだろ。わかってるよ。」
自分の体の中に、私からの言葉が入って、それが彼なりの経験や感覚の部分と交わって、彼の言葉で加工されて帰ってくる、というピンポン玉のようなやりとりがあります。でも、げんちゃんは、こちらからの言葉は、彼の表面からただ跳ね返ってくる。そんな感じです。
彼が、興味のあることは、少しかわります。すらすらと理論的なことが言える、というわけではありませんが、ちょっとは彼の中に入って、それから彼の言葉にかえられて出てくることもあります。
しかし、学習をさせる、となると、彼の心は能面のように無表情になるのです。とくに数学はひどいです。

日曜日、虚しい格闘をした翌日は、先日のブログのような快挙もほんとちょっと出たわけですが、また、彼は、殻の中にひきこもり、

-3-4=と言う問題になると、「マイナスとマイナスはプラスなんだよ!」
と言って、-3-4=+7 とか言い出したりしてました。もうどれだけ、加減をやったと思うのか・・
9-(-3)=6
というのもありました。吐き気をもよおしたくなるような気持ちをおさえて、最初の式の-3の-は、3につくよね~。じゃあ-(-3)の前のマイナスはどの数字につくの?
と聞けば、なんと、その前にある9をさしてみたり、いわば、でたらめです。

これは、わかっていないとかではなく、でたらめなのです。その場で、でっち上げるマイルール。とにかく、やりたくない、逃げたい、ただそれだけの気持ちに裏打ちされた表現です。
やっと、意識が出てきて、おこっている事象を、深く意識で受け止められるスタートに来たのに、げんちゃんは、また雲隠れする月のように、その意識を閉ざしてしまいました。

生活でも、同じです。
社会のノートをとってきてましたが、行もあけず、ひにちも書いてないので、注意したら、行をあけることしか覚えていない。それで、強調してまた指導した翌日、げんちゃんは、また、行だけしか開けていなかったです。前日に、あれほど、日にちを書くよ、と、何度も繰り返して、そのことでバトルしたのに、帰ってきてみれば、そのバトルさえ覚えていないような状態です。

宿題のプリントを渡されても、白紙の紙を渡されたかのごとく、何も見もしないし、把握もしない・・・

「ちぇっ!日曜日の宿題多いな~。半日はかかりそう。」
もしかしたら、教室で、宿題プリントをもらったお子さんの口からこういう言葉がとびかったかもしれません。でも、げんちゃんの口からは、こんな普通の会話は決して聞くことはできません。彼は、そのプリントにほんの少しの気持ちも向けないし、もらったことさえ覚えていないありさまなのだから。

運動会の疲れも、もう終わっているはずです。幽体離脱ではなく、意識を、硬い鉄の扉の後ろに、かくしてしまって、出てくることを拒んでいます。

確かに伸びている彼は、ぼ~っと抜けているようには見せず、ちゃんと考えるふりもするし、ごまかすことにかけては、意識をびんびんに出します。この狡猾さがあるということは、君は、できるんじゃないか~!と私は叫びたい。もちろん、自分の狡猾さにげんちゃんは気づいてはないのでしょうけど。

K先生と私は、げんちゃんが、もっと正負の計算をずっとできるようになっているのも知っているし、今更のようなあほな失敗をし続けるげんちゃんが、わからないのでそうなってしまうわけではないことも知っています。ただ、逃げているのです。

その証拠に、ここんとこ、少し言葉にして出てきたと思った、自分のおもいを伝える会話なども、まったくなくなってしまいました。
ただ、私のいらいらと、疲弊だけが蓄積していきます。来月はテストです。もう、そこに何の期待もすることができません。彼の心が鉄の扉の内側に逃げ込んだからです。抽象的な文章になりましたが、発達障害のげんちゃんの育児が、ほんとにつかれるのは、精神病患者のように、こちらに対して蝋人形のようになるからです。意識を入れずに、表面でこちらに合対してくる。こちらの言葉も、表面ではねかえして、決して意味も考えないし、深く考えることも絶対ない。自分の、わけのわからないマイルールだけ適当に駆使して、適当にやりすごしていく・・・


もう耐えられない、と思って、S先生に相談しました。
「逃げてるね。学校で何かバカにされることがあったかな。まあ、でも、その場では、圧力を感じても、すぐに流してしまってるよね。げんちゃんの意識障害は、ほんとにひどいから、立てこもってる感じだね。定期試験なんて、この調子じゃ、ママだけががんばってる、そんな感じになるね。」

やはり、思った通り…ため息

週末、急遽、S先生と1泊の合宿に行くことになりました。このままじゃ、大変なことになる・・・私も感じたからです。意識を鉄の扉の中から出してこないとだめだ・・・
ほんとに、この障害は厄介です。ただ、何かができるようになった、とかいうことだけでは、何も変わらないのです。いろんなことができるようになってるげんちゃんですが、ほんとに、この子は、何もかわっていない・・・そう落胆する今日でした。






by glow-gen | 2018-05-30 01:07 | 意識のこと | Comments(14)

ピアノの部分練習

  げんちゃんのGW明けは、いい調子です。げんちゃんも、なんか、休んだ感がしっかりあったらしく、K先生のところでの勉強は、ちょっとした峰が出たようです。

 がしかし、げんちゃんが、頼みの綱としていた英語は、中学の、出力を中心にした「書く」、「文法」、といった内容になると、ほんとに入っていかないことがわかり、ちょっとしたショックを覚えています。年長さんから、英語のキンダーガーデンのような英語教室に、とりあえず放り込んで、なんとなく、英語の入り口ぐらいわかっているのか、と思いきや、文頭を大文字にするとか、たかがそういうことさえ、すぐには入りません。今まで入力したことが、新しく学ぶことと、ぜんぜんつながらないげんちゃんです。

 それに比べて、学習障害のひどかった数学の方が、だめなりに、少し形をとってきているようなありさまです。
 ほんと、この子たちときたら、大きく外れた常識の中にいます。予想を大はずししてくれる馬券のようですね。

 今日は、入学直後の学力テストの結果が帰ってきました。
もちろん、最下位でしょう・・・(度数分布をみれば、帯グラフの一番下の中に入っています。)最初の時間にやった、国語だけは、中の下という快挙でした。まあ、普通クラスの子に交じって、テストをちゃんと受けられた、というところで良しとしましょう。

 考えてみれば、6年生で、初めて、実力テストを放棄せず、取り組もうとした。という実績しかありませんから、それを考えれば、普通の子でも、少し難しめの問題で、国語だけでも、中の下をとれたのは、ものすごいことなのかもしれません。
 発達障害のお子さんは、めっぽう成績の良い子もいますが、げんちゃんは、その対極で、すべて、どんより。がんばって、がんばって、やっと、びりっけつ。がんばってなければ、そもそも、番外・・・・。大きく番外だったのが、競争のスタートにはやっと立てたということなので、称賛に値するでしょうか。

 中学に入って、げんちゃんは、刻々と変化していて、彼の変化をしっかり見つめなければ、目標設定も方法論も見誤ってしまう、と感じます。それほど、彼の内部で何かがかわっていってます。
 今までは、げんちゃんの変化といえば、足し算ができるようになりました、とか、作文ができるようになりました。留守番ができるようになりました・・・なんか、そういう各論での変化を喜んでいました。でも、今の変化は、なんかもっとコアな部分での変化を感じます。意識をして、何かをやる、そういうことが、できはじめているようです。

 まず最初の突破口だったのは、ピアノの練習でしょう。ピアノが、どうして意識変化のわかりやすい口火となったのか。やっと言葉にできるようになりました。

 昔の彼は、一人で練習できた、というだけで万歳でした。ピアノの教室崩壊児だった子が、ピアノの前で10分練習できたと喜び、やがて、一人で、曲の練習を始めた。しかし、ただ、やみくもに弾くというだけで、意識なんてほとんど入っていないような練習ぶりでした。私は、彼の横に座り、

「もう一度ひく!楽譜を見る!リズムがぜんぜんでたらめ~~!」

 あらゆる注意事項をくたくたになるまで叫びながら、練習させていました。やがて6年になるかならないか、になって、彼は、指定すると、曲の途中から、練習することができるようになりました。「こっからもう一度弾いて、」なんてことは、とてもむつかしいことでした。たぶん意識がぼんやりしていれば、そんなことはできないのです。

 そして、6年の終わりごろから、一人で、先生に言われた部分練習ができるようになり始めました。ノートを見て練習して、と言われ、ノートには、☆印を何回リピート、などと指示が書いてあります。実際には、部分練習をオーダーされても、まったく無視して弾き流してました。何度も何度も、部分練習を一人でする練習や、声かけをしてもらい、発表会の3週間前くらいからでき始めてきました。
 そのころ、発表会まで間に合うのかな、というひどい状態だったそうです。(私はノータッチでした)発表会で失敗したらどうしよう。という、正常な意識が働いてきたげんちゃんは、部分練習への心の圧がさらにかかってくれて、みごとに部分練習を始めたようです。そして、3週間の間に、急カーブを描き、発表会での成果につながったのです。

 部分練習と言うのは、まさに意識の発露です。
 この部分から取り出してひく、うまくいかなければ、ミスはにごった音として自分にフィードバックしてくる。それを聞いて、また意識を入れなおし、そこを改善しようと意識して再チャレンジします。この部分を間違わずに弾こう、と意識して弾くことは、ただ、なんとなく、弾き流すこととは全然違うのです。
 意識とは、心の圧とも言えるのではないでしょうか。
 出力させるぞ、という圧力です。音となってすぐに結果が出てくるピアノは、意識の圧で自分の体を動かす、ということを体感するには、とても良いアイテムだったのです。げんちゃんは、意識を入れるということがどういうことなのか、どういう結果となって帰ってくるのか、ということを感じることができたのです。

 勉強も同じです。こういう風にやりたい、どこが悪かったのだろう、なぜこうなっているんだろう・・・こういう意識の圧があるからこそ、自分がしかけたことの意味が感じ取れるのです。
ピアノは勉強より、もっとダイレクトにそのつながりがわかりやすいのです。こういう風に弾きたい、と思って、その結果が音となって帰ってくるのです。意識とその圧によって動かした自分の体が、しっかりリンクして感じ取れるのです。げんちゃんの意識は、少し出てきて、そこからさらに、高みへと引っ張り上げられなくてはならないのですが、第一歩としてピアノで実現したのでしょう。

この意識の圧と、そこから帰ってくるリターン。その体験をたくさん踏めば踏むほど、意識は明瞭になってきて、その使い方のノウハウもしっかり身についていくのだと思います。ぼ~っと、寝起きのような状態で、なんとなくやっている行動が、意識が入ってしっかりつかめてくると、いろんなことの改善は、加速がついてくるのだと信じます。

さて、次は、この体験を学習やほかのことへつなげていかなくてはなりません。


by glow-gen | 2018-05-09 23:19 | 意識のこと | Comments(10)



中学1年生の息子。5歳の時に、発達障害とわかり、ママの格闘と改善の記録。
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げんちゃんママの紹介
中学1年になる息子げんちゃん。5歳の秋に、発達障害が発覚。最初はショックだったけれど、脳はまだまだ未知数。ママがなんとか素敵な子供に育ててみせるぞ~。最初はIQ60、・・コミュニケーションも微妙。身体もふらふら、はさみもにぎれず・・・もちろん絵もまったく描けず、5歳なのに、ほとんど2歳児みたいでした。いや、それ以下の機能もたくさんありました。
 「子供の脳に良いこと」を書かれた鈴木昭平先生が主催する、エジソンアインシュタインメソッドに出会って、ママが改善をさせることを学びました。そこを皮切りに、日々研究を積み重ね色々取り組み、相当改善してきました。、たまたま支援クラスができなくて、普通クラスの1年生に入学しました。2年の2学期から、支援クラスができて入ってます。算数の学習障害は、ひどく、相当苦労してますが、毎月毎月、必ず進化しています。日々はらはらどきどき。 天才ぼうやに育てるべく、奮闘中。パパと一人暮らしをしている大学1年生の娘と、医療関係に働くワーキングママ。
 近くに住む、お姑さんに手伝ってもらいつつ、がんばっています。
1年生の2学期から週に1.5日学校を休ませて、ママがおうちでホームスクールをやりました。4年からは週二日になりました。さらに、5年の9月からは、2.5日に増え、3学期からまた、週2日にもどし、6年の後半からは、週に1日に減らしました。
近くに住む、主婦のK先生のおうちで、ママが仕事でできない日は、ホーム学習のお手伝いをしてもらっています。
 5年生からは、算数以外、試験的に普通クラスにシフトという快挙です。6年生は、すべて、普通クラスですごすようになりました。発達の改善に取り組みはじめて8年の歳月は、子どもをどんどん改善していきました。
 6年になって、不思議なセラピストのS先生に出会い、発達障害は意識の障害だ、ということを認識しました。意識が抜けたような状態のげんちゃん。その部分が改善されれば、発達障害のコアな改善につながると、がんばっています。中学は、地元の公立中学へ入学。国語と算数だけ、支援クラスで、マンツー指導を受けています。ホームスクールは中学からは中止しています。
IQは80台に改善

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