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げんちゃんの発達障害プロジェクト

カテゴリ:意識のこと( 32 )

天才とバカは紙一重ということは、こういうこと?

  S先生は、いつもすごいことを言います。私はげんちゃんのこと以外にもよくいろんなことを質問します。
「脳は、仮置きの本箱みたいなものだよ。意識を働かせたときだけ、どこの本箱からどの本を取り出す、ということができるんだよ。げんちゃんは、意識を入れないから、取り出せないんだよね。本がないわけじゃない。」

こんな話をしているときに、天才の話になりました。私が中学のとき、学年に天才と思いたくなるような才女が2人いました。どうあがいても、彼女たちより良い成績をとることができないので、上を目指す友達は、3位を狙いました。1,2は不動の王座でかわれない・・・
そのうちの一人は、テニス部で、あまり勉強をしてる風でもないのに、軽く、2番。それに対して1番の子は、がり勉もするから1番。さらに、2番のその子は、なんか、性格はいたって普通、肩に力が入っていないようなありさまでした。

Sさんは、その話をすると、こんなことを言いました。

「IQ130以上の人は、脳に仮置きもせず、意識にいきなり入れちゃう人も多いです。そうすると、すごい天才能力ということになるよ。記憶は、最終的には、意識に入るんだよ。みんな脳だと思っているけど、あそこは、仮置き本棚。」

へ~。そうか~。意識を科学できているSさんしか言えないことだろうけど、私なんて、がんばって勉強していたけど、本棚に並べて、取り出せず撃沈してたんだろうね・・・
Sさんは、すごくおもしろいことを続けて発します。

「すらっと脳の本棚から取り出せる、とか、すすすっと意識に入れちゃう、とかいうのは、3つの影響を受けますよ」

1、こだわりがない。こうあらねばならない、とかいう小さな世界でとらえてしまう人は、吸収力がない
2、精神的な余裕がある
3、肉体的な余裕がある。

なるほどね~。自分の学生時代を考えたら、けっこうこだわりはない方だったけど、精神的にも、肉体的にも、確かに余裕がなかった。むしろ今の方が余裕があるくらいだよね~。私の成績がぱっとしなかったのもそういうことだったのね。なんて、妙に納得してしまいました。

IQの低いげんちゃんも、この天才談議に無関係ではありません。げんちゃんが、意識を一からしっかりものにできれば、いきなり、本棚スルーして、いきなり意識にインプットする世界だって夢じゃないかもしれませんよね。IQは、意識世界を知らない限界に満ちた判定基準なのかもです。意識、つまり心世界の方が大事なんでしょう。もし、げんちゃんが劇伸びしたら、楽しいよね~・・・

でも、そうやすやすとはいきません。意識を起こそうとすると、げんちゃんはすごく圧がかかるらしく、つらいからすぐに逃げてしまうのです。あ~あ!
さらに、圧は、自然世界からも来るそうで、気圧、気候でも、圧が増えることがあるそうな。

その圧をはねのける武器が一つあるらしいです。それは、謙虚な思考、感謝の気持ちなんだそうです。

う~ん。それが真実なら、そんなもの、ほんとに希薄すぎるげんちゃんの成功は、まだまだ遠い先だと言えますね。なんか、不思議なSさんの話は、不思議な真実味があっておもしろいです。

つまり、圧をはねのけるのは、プラスの気持ちから出るエネルギーってことなのかもしれませんね。
自分を創られた神を信じ、チャレンジが乗り越えられる、っていう強い思い、そういうものが必要だということなのかもしれませんね~。げんちゃんは、確かに、まだまだだな・・・・プラスどころか、ゼロにも来てない。笑

げんちゃんは、昔はぼ~っとしていただけだったけど、意識がちょいと出てきた今は、逃げるか立ち向かうか、の二者択一になっている模様です。立ち向かう・・・は、10パーセント程度。まあ、出てきただけでも御の字かもしれません。

この10パーセントは、2~3週間前にちょっと出ました。興奮して、突き抜けた~みたいなブログ書きましたっけ。
出たということはあるんだから、がんばってほしいです。天才もげんちゃんも、もしかしたら、紙一重・・・かも。

そういうことにしときましょう!

by glow-gen | 2019-06-18 17:37 | 意識のこと | Comments(5)

意識障害との闘い。思いが入らないと、IQも底なし沼

   げんちゃんの能力は上がっています。3月のSさんとの合宿の成果がじわじわと出てきている、とSさんは言います。
先週は、気持ちを入れる瞬間が出てきました。ちゃんと考えるスタイルがとれた時は、今までできなかったことが、すっとできたりすることもあります。

ここへきて、げんちゃんの時間の感覚が、こっちが考えている以上にないことがわかりました。いまだに、何時に学校についたのかもわからず、3時からK先生のところで学習、と決まっていても、3時ごろ、頼まれていた亀の水替え(カメを1匹飼っています。)を始めたりするげんちゃん。
時間を逆算して行動する、とか、この行為は何分かかる、とか、そういうシュミレーションは存在していないようです。

 11時50分になって、今から8時間寝たら何時に起きることになる?と聞いても、もちろんわかりません。なんせ、12時の8時間後は?と尋ねても、考えて変な答えをしたりする。(意識が入っているときは、できるようでもある・・・?)

朝早起きしても、自分の好きな本をぼけ~っと読んでるだけで、段取りがわからないようです。

そんな子に、急ぎなさい、と言っても、急げるはずもなく、あせらせると、ただ、部屋の真ん中に、つったってたり、うろうろしたりしています。

K先生が、時計をチェックしなさい!としつこく言えば、ひたすら、じ~っと時計を見ている。なんてこともありました。

普通の人は、自分の行動のふしぶしで時計を見て、時間を考えながら行動するのですが、
「どこで時間を見るの?」
とタイミングを聞いてきたのには、参りました。(聞いてくることは進歩ですが・・・)

時間の空間認知の弱さでしょうか。はたまた、意識のない植物のように生きてきたげんちゃんは、こういうことを考えることが、人生初という幼児のようです。

K先生が、時計を見るタイミングを表に書いてやりました。

朝、起きた。→ 時計
顔を洗った、洋服を着た→時計
ご飯を食べた→時計
学校に出発→時計
学校につく→時計
1時間目始まる→時計

・・・

こんな感じです。やれやれ、ロボットを人間にプログラムしていくような気の遠くなる作業。それでも、根気よくこういうことを、やってあげないといけないようです。希望があるのは、それが永遠に続くわけじゃなく、きっと、あるところからは、パターンが体に入って、ほかにも広がっていくと信じている点です。

しかし、こういう徒労感ばりばりの翌日に、最近のげんちゃんは、ぱっと、反対側のプラスにいっきに振ったりします。

げんちゃんは、これをマイノートに自分で写して、翌日、項目の横に、実際に時計を見た時刻を書き込んで帰ってきたではありませんか。

ほんとにびっくりしました。ある意味2段飛ばしくらいの進化です。その日は、朝から気合が入っていて、K先生のところに行った時点でも、プラスのエネルギーに満ち、白雪姫が眠りからさめたがのごとく、さえわたっていました。

私たちは大喜び。
「気持ちを入れるってどういうことかわかったでしょ。」
「う~ん。”思う”ってことかな?」

げんちゃんも、まんざらではなさそうです。

が、やはり、まったくこういう意識の入った行動は、続くわけはありません。翌日は、どかんと奈落の底に落ちました。
たった今言ったことさえつかまず、超簡単な宿題を前に、ぼ~っとフリーズし、1時間も浮遊しています。どう圧をかけても、のらりくらり、つかんでも逃げるどじょうのごとくです。

げんちゃんは、ごくまれに覚醒し、本来の能力をびしっと見せるかと思うと、ちょっとしたきっかけで、また意識を閉ざし、植物人間みたいに、何もつかまないげんちゃんになり、同じことを何度説明しても、何もひっかからなくなります。

げんちゃんは、知的障害というより、精神障害だ、と私は感じています。あるとき、数学をやっていて、前半の40分は、しっかり意識が入っていたので、普通の教え方ができていました。ところが、後半、休憩をして、戻ってきた時は、完全植物になっていた。英語をやっていましたが、isの過去形、と聞いても何も出てこない。もう、何十回も、何日もやってきたことで、昨日は、すすすっと出てきたことなのに。

いらついて圧をかければ、今度はでまかせを、どんどん言ってみるだけで、最後には、何を質問されたのかさえ飛んでいるというありさまです。

これというのも、やりたくない、めんどくさい、逃げたい・・・というげんちゃんの立ち向かわない性分が底にあるからで、意識が落ちてしまうと、しばらく、何をやっても、誰がやってもだめ。鉄のカーテンがしかれます。

伸びてきて、良いところが出る時が出てきたけれど、ちょっとしたきっかけで、このモードに入るげんちゃんは、天の岩戸に隠れる妖怪みたい! 
おそろしくずるい怪物を飼っているような気持ちです。
ちなみに、抜き始めると、療育手帳さえも、なかったことにするげんちゃんに、驚いてしまいます。


by glow-gen | 2019-05-02 16:42 | 意識のこと | Comments(5)

発達障害の本質かも、自己意識の出方、大きさ。

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運動会のクラスの旗をデザインしました。聖火の火の部分は、何か描こうとして描けないでいたので、とりあえず、絵柄を聖火に見立てて、火を描いてやったんだけど、描かない方がよかった。とほほ それにしても、色といい、栄光をつかみ取れ、なんていう、素敵なキャッチ。逃げがつきまとうけれど、前向きな気持ちになっているのかもしれませんね~。

最近になって、ようやく少し見えてきたこともあります。

先日、職場に発達障害の1年生の男の子が来ました。その子は、4歳の時から交流がありました。
発達検査表があったので、5歳の時に記入してもらったら、げんちゃんとたいして変わらなかった、と言っていました。そのころ、彼は、言葉も少なく、体幹もよわよわしく、げんちゃんの昔とあまりかわらないように見えました。

ところが、彼は小学校進級を前に、今回IQ検査をしたら90台、支援に所属しながら、普通クラスで毎日過ごしていると聞きました。
そして、私がもっともびっくりしたのは、その子が、待合室にある破れた絵本を、お母さんに言われて持ってきて、

「読みたいからなおしてください。」

と言ったことです。さらに、その子は、
「今日、治療って何時間かかるの?」
と言い、
ちょっとじゃれている間、「それは何円?」というセリフまで飛び出してきました。

1~2年前は、言葉数も少なくて、目も合わないような感じだったその子が、目を見て、げんちゃんが言ったこともないような、意志の伝え方をした。

”この本を読みたいから、なおして。”

おまけに、時間という概念も生まれているし、物がお金で等価におきかえられる、という感覚を持っている。

これは、げんちゃんではありえないことでした。
スタートは、あまりかわらないように見えたこの子とげんちゃんの違いは何なのか。私は、即座になるほどと思いました。これはすべての原因ではないかもしれませんが、このお子さんには、げんちゃんにはなかった自己意識というものがあるのではないか。

げんちゃんとその子は、最初は似たように見えただけで、自己意識のあるなしで、時を追うごとに、IQに代表される外側の成長に差がついてきたんだろうな、と感じました。
その子のお母さんより、私はたぶん、たくさんあれこれやっていたと思います。なんせ、やれることのすべてをやったと断言してはばからないほど、私は、そのころ、げんちゃんの改善に全精力を費やしていました。(今もか・・・笑)

しかし、自己意識がまったくないげんちゃんは、私の努力を、すべてざるで受け止めるかのごとく、げんちゃんの前を素通りして、かなり非効率にしか成果をあげていかなかったんだろうな、と思いました。

 言ってみれば、げんちゃんは、必死で入力したパソコンのキー操作が、次に何も指令をつなげないようなもので、意識が希薄すぎて膨大なアクションを捨て去っていたのででしょうね。
 ”これは何だろう?””あれ?””なぜ?”” なるほど~・・””そうか~。・・・”
人が心で無意識に行う自分への機動力がぜんぜんないげんちゃんは、目の前でおこるすべての事象は、ただ過ぎ去るだけ。彼に少ししか作用しなかった。

それに対して、友達のお子さんは、最初に会ってから今まで、げんちゃんより、ずっと外からの刺激を自分のものにしてきたのではないかなと思いました。もちろん、普通のお子さんより、それは、希薄だったのかもしれないけれど、少なくとも、げんちゃんよりは、はるかにできていた。

つくづく、Sさんが、
「ある意味、げんちゃんのような子が、ここまでこれたのは、奇跡だとも言える。」

と、よく言いますが、げんちゃんのような子とは、まさにこういうことだったんだな、と感じました。げんちゃんは、今でもその傾向は強いですが、自分がこうしたい、どう感じるといったことを、ほとんど言ったことのない子でした。たぶん、自分がどう感じるか、わからなかったのでしょう。そんなことがありえるのか、と思うけれど、自己というものがぼんやりしていて、何をやらせても、自分の中をただ通り過ぎていく感覚しかなかったのだと思います。

学習も覚えるためには、心で覚えようという意思がなければ絶対覚えられない、とSさんは言います。脳が動くには、意識のエネルギーがいるのだそうです。

これを理解するのにとても役立つのは、前回のブログで書いた感情が爆発しやすいお子さんの話です。自己意識のエネルギーが強く、そのエネルギーは脳にアクションを促す。脳は、強いエネルギーを受けて、どんどん動く。
 アクションをおこすエネルギーが強ければ、脳は、過剰に働き、それと同様に、感情も過剰に動くというわけです。
 前のブログで書いた子は、小さなことにも過敏に反応し考え、同じレベルで、感情も過敏に発動してしまうというのではないでしょうか。

 そう考えると、げんちゃんが正反対、と言うのもうなずけます。自己意識がまったくというほど出ていないげんちゃんだったとしたら、それによって動かされる脳の働きも低く、感情も当然静的になるのです。つまり、IQだって、ちっともぱっとしなくなるのではないか。

 しかし、6年生からS先生にお任せすることになって、げんちゃんは、やっと自己意識を外に出してもらった。もともとそれがないわけではなく、出方が誰よりも少なかった、という状態だったのだそうです。

 そして、自己意識が外に出てくると、最初は、赤ちゃんに毛が生えたようなありさまで、好き勝手に感情が爆発するような感じになる。やっと脳にも、指令が出されるようになってくる。(だとすると、ほんとは学習も、もう少し簡単で、考えるためのエネルギーが小さいものの方がいいのかもしれません。)

感情が爆発するだけのげんちゃんは、やがて、やらなきゃいけないけれどやりたくない。と、把握するようになる。(この段階の長いこと・・・)

 一方、げんちゃんは、今までまったく自己意識がとらえたこともないことを、初めてとらえているわけで、処理の仕方もわからず、不安感と疲れと、相当なストレスを感じてしまう。
 
今のげんちゃんを端的に言うと、行く方向はわかるものの、具体的にやるべきことと結びつかず、もがき出た自我だけが、自分を認めてほしいと願っている。そんな感じなんでしょうかね。

 ”ちゃんとやるのはきつい。”だから逃げる。でも、ちゃんとやってるポーズは作って、それを認めてほしいとあがき続けている。私にはそう映ります。

 げんちゃんがS先生に指導を受けるようになってからの歩みは、まるで、人間が、自己を確立するステージを、一つ一つ分解して構築するようです。興味深いと言えなくはないけど、ほんとにじれったい。

一見突き抜けなくていらいらするけれど、実は、水面下では進化していってることも確かなんでしょう。
ただ、水面下で上っている階段があまりにも高いから、一つ登れば、そこで、もういいや、となるげんちゃん。じれったいじれったい・・・・

 今思えば、昔、様々なトレーニングなり学習を、トップダウン方式に、クオリティーは低くても、なんとかやってこれたのも、いやだ、とかめんどくさいという気持ちさえ、認識できなかったからなのかもしれません。

今、げんちゃんは、自己意識が出てきたために、昔トップダウンでやったことが、むしろできなくなっていて、どうしちゃったのと、当惑することもあります。

自己意識エネルギーの出方、大きさ・・・そういうものを見つめたら、発達障害の本質が見えてくるのかもしれない。そう感じるこの頃です。



by glow-gen | 2019-04-23 23:16 | 意識のこと | Comments(6)

意識ー心とはなんなんだろう。やっと心にアプローチ・・・

 げんちゃんを必死で改善してきて、やっとげんちゃんの心というものが、現れてきたように思います。
そうなると、げんちゃんが、Sさんが言うように、たぐいまれな重症患者だったと今更気づく私です。おとなしくにこにこしていた赤ちゃんだったげんちゃんは、私はそんなに重症な発達障害とは思っていなかったふしがあります。
 
 昨日、私は研修だったので、げんちゃんは、パパと過ごしていました。たぶん、人生初じゃないのかな~・・・パパは、まったく育児放棄だったから・・・笑
私が帰って様子を聞くと、パパが言いました。

「今日、お昼は、ショッピングモールのフードコートに行ったんだけど、げんちゃんすごいよ。ぼくが、肉食べようってどんぶり屋さんに誘ったら、げんちゃんは、”いや、ぼくは、うどんが食べたいから”、と言ったんだよ。それで、お金をやったら、自分で買いに行ったんだ。」

はははは・・・・ほとんどの人は、これのどこがすごいのかわからないだろうと思いますが・・・

こっちの意見をおして、自分はうどんを食べたい、と主張するところがすごいのです。もし、昔のげんちゃんなら、なんとなく流されて、ぼ~っとどんぶり屋さんに行ったことでしょう。
なんせ、自分というものが捉えられていないげんちゃんです。パパには賛成できない、ぼくは、うどんだ! なんてことがありえないわけですよ。

こんなげんちゃんだから、ただなんとなく、勉強しろと言えば、机にいたし、こっちの言うことにも、そこそこ従って、さまざまなトレーニングをやってきたのかもしれません。
ただぼ~っとなんとなく・・・

だから、いろんな発達障害のお子さんを見るたび、たとえ、言葉があまりしゃべれない自閉症のお子さんでも、行動の原動力になる意志、心ってものがあるので、いつも、すごい! と感じることが多かったです。

支援学校に行っている、げんちゃんよりIQが低いというお友達でも、人としての人格、ってものが感じられる。それなのに、げんちゃんには、それがない。

時々主張しているように思えるときは、動物的な快不快などによって、脊髄反射的に主張しているような感じです。または、自分の世界観に入っているときは、意識、心というより、なんか、つきものに突き動かされて主張しているようで、そんなときでさえ、げんちゃんの人格を感じられなかった。

この日も、私が帰って、外食をしたときも、げんちゃんは、ただ、こっちの言うことに、ただ「うん。」と適当に返事をするだけで、意見なんてもんを言うことはありません。

この子の心は、どこまで、深いところに封じ込められていたのだろうか。

私は、とにかく、何もできないげんちゃんに、なんとか、つまめるところをつまんで引っ張り上げてきました。心は、ずっとつまめなかったから、体幹を鍛えるとか、絵が描けるようにトレーニングする、とか、安曇野方式も少しかじって、数を教えるだとか、できることの最大限をしてきたわけだけれど、ほんとに、何をしても、この子の心をのばすためのきっかけは、今まで存在しなかったように思います。

何を言ってもひびかない。何を教えても捨て去る。げんちゃんの心はほんとに鉄のようにかたい甲羅で覆われていた。

今となってはそれがよくわかります。何が伸びても、何ができるようになっても、げんちゃんが人間になったような気がしない。

しかし、それが、やっと、心をつまめるようになったんだと思います。爪の先にちょっとだけやっとこさつまめるだけのゆるみが出てきた。それと同時に、とにかく、幼児のような精神年齢のまま、おいてけぼりになっていたその部分が、はじめて表面に出てきて、アプローチの対象になった。

なんと、この子の問題は深刻だったのだろう!

だから、今は、もう、学習はどうでもいいとは言わないけれど、あまりに手付かずの心の成長の方を優先しなければ、アンバランスきわまりないし、のちに大変なことになる。そう感じているんだと思います。

このことをやっと自分で言葉にできたことはとても大きい。今は、何をやるべきで、何をやるべきではないのか、が、やっとクリアにわかるようになりました。


Sさんがいなかったら、まだ、このげんちゃんの心の部分は、固く閉ざされて、出てこなかったのかもしれません。Sさんは、小学校低学年の時、げんちゃんを見て、相当重症なお子さんだ、と思ったそうです。それなのに、私があまりそういう理解をしていないので、大丈夫かな、と思って見守っていた、と言われました。先ほど書いた、支援学校のお友達など、Sさんに言わせれば、”げんちゃんより、改善はしやすいよ。ママがしないのはもったいない限りだよ。”なんて言う。

ほんとに、今更ながらなるほどと思います。何をやっても感じてくれない、捨て去る。自分がどうであるかさえ感じることを捨て去る。そんなげんちゃんが、やっと、自分を感じることができ始めた。まさに、ここからが、ほんとの改善なのかもしれません。

しかし、この部分は、意識障害である発達障害の本質部分でもあります。一つ一つバカみたいに段階をおってしか改善しないげんちゃんのレポートをすることで、少しは本質の改善が解明されるかもしれないな~。

大変さと同時に、とても興味深く感じる部分がある今日この頃です。
人の心とは何なんでしょう。意識とは何?人格とは何? 神様は、この子を通して、いろんなことを教えようとしているのかな~・・
 とにかく、忍耐強く、一つ一つやっていくしかない、と思います。

by glow-gen | 2019-04-15 19:47 | 意識のこと | Comments(8)

発達障害、本丸決戦か・・・

 さて、いろんな能力があがっているだけに、げんちゃんの本質的な問題があぶりだされてくるようです。

げんちゃんの朝は、ほんとに戦いです。夜10時に寝ているのに、7時に起こすことはほんとに大変です。7時前から起こし始めて、7時30分に起きればましな方で、毎朝、私はくたくたぼろぼろです。

なんとか起きてきたげんちゃんに、
「ねえ、げんちゃん、靴下そこにおいてあるのを使ってね。」
と言いました。
うん、と返事したのに、しばらく見ていたら、げんちゃんは、引き出しから新しい靴下を出して持ってきました。

 やれやれ、また、聞いていない・・・・そうです。げんちゃんは、いまだにこういうことが日常茶飯事。どんなことにしても、聞いて理解したと思ったらとんでもない、そんなことのオンパレードです。なまじ、しっかり聞いているように見えるだけに、深刻です。

げんちゃんは、学生服を着始めます。先にズボンをはいて、きっちりベルトを締めます。それから、おもむろに、トップスを着ます。見ていると、トップスの下をズボンに入れるため、きっちりしめたベルトをまた外し始めます。

なんてこった!  これはもう4月から同じことが続いています。

先にトップスを着れば、ズボンのチャックもベルトも、一回でうまいことセッティングできるというのに、何度言っても、げんちゃんはこの手順に何の疑問も持たないようです。

「何やってんの。一度締めたベルトをまた外すの? 着る順番を考えたら、ベルトをしめるのは一回ですむでしょう。」

私はうんざりします。

 さらに、パジャマをたたんでチェストに入れる、という行為をいやいやながらします。これはもう何度も何度も繰り返しさせてきたので、言えばとりあえずやります。しかし、やりたくないという意思表示をしながら、めちゃくちゃにやって、私が見ていなければ、チェストに押し込むだけ、ということになります。

「きちんと始末しないと、部屋にまき散らしたら、みんな迷惑だよ。」
「また着るんだから別にいいじゃん。」

横柄な態度で開き直る。

 つまり何が言いたいか、って、げんちゃんは、何事もできないわけではなく、そこに価値感をおかなければ、「また着るんだから、別にいいじゃん!」
というふてぶてしさで、まったくやろうとしないわけです。自分が価値をそこにおかなければ、気持ちを入れることを完全放棄する、ということなのです。

寝巻のことはほんの一部で、たいしたことじゃないかもしれませんが、この発想法が、すべてにわたって支配するのです。

 ”必要ない”、なんて、とんでもない! 普通の社会で必要なたくさんのことも、げんちゃんは、独自の世界観で必要ない、と決める。

普通のお子さんなら、やりたくないな~。自分的には価値が薄いな~と思うことでも、まわりを見て、必要なことだと気づけば、しぶしぶでも、それなりの行動に出ることでしょう。
しかし、発達障害で、しかも、鈍感力が半端ないげんちゃんの場合、”必要ない”、”いやだ”、”めんどくさい”、というフィルターがかかってしまったことは、どこまでいっても、気持ちなど入れない。
 気持ちを入れないから、驚くような低いパフォーマンスでいってしまうのです。

 英語だって、数学だって、学習という名のものなら、昔からフィルターかけっぱなしなので、脳の回路はめったに開きません。

 でも、価値を認識した、または、好きだと思った絵画やピアノは、当然のごとく、さっさと開花させる。能力が一気にのびたわけではなくて、フィルターをはずしただけ、なんだと思います。別に開花したわけでもなくて、そこに価値をおいたから、当然出てくる・・・・そういうことなんだと思います。


逆に、逃げ場を作って、
「こんなもん、する必要ないさ。」とか、「無理だよ。」
とか、勝手に決めてしまったものは、なかなかフィルターはとれません。いくら、テストで必要だから、とか、いろいろ理由付けしてみても、わがままなげんちゃんの脳の回路はシャットアウトしたままです。普通の子だってそういう部分はあるものの、げんちゃんは、自分で気づいてない深いところでそれをやってしまう。


げんちゃんが、独自の世界観でフィルター掛けがなされたものは、ほんとに手ごわいです。

 昨日2年生の七田の算数をさせてみたら、え? というできなさでびっくりしました。これがこの子の実力?、とつい思ってしまいますが、能力とは別のところの原因だと思っています。

 彼が作ったわがままなフィルターををはずすことができれば、絵画のような出力がなされると信じます。たくさんの、血のにじむような取り組みのもと、もうほとんどの能力はある程度スタンバイできたのです。

 げんちゃんの障害を、知能指数で表すのは違うように感じます。フィルターをかけていたので、すっかりさびついている能力もあるものの、心のフィルターをとることができれば、IQさえうそのように伸びる。

絵画がいい証拠・・・・

 しかし、おいそれと、フィルターがとれるわけでもなくて、本人のずるがしこさだけ、成長させているようです。Sさんのクライアントの中でも、群を抜いて、動かない心・・・・そんな感じなんじゃないかな、と思います。Sさんが、重症の意識障害という意味がよくわかる・・・

 先日、支援学校に行っているT君が家に来た時に、げんちゃんとは本質が違うと感じました。彼は、何事も気持ちは入れている。学習にしても、生活のことにしても、それらが必要なことも、素直に受け入れているし、努力することが当たり前と思っています。でも、いろんな脳力がそなわっていないので、なかなかできないのです。

 T君は、今まで私がげんちゃんにしてきた多くのトレーニングさえすれば、伸びていく。そう感じました。げんちゃんより、彼を伸ばす方がきっと建設的でストレスが少ないだろうな、と思いました。

 気持ちを入れればできるようになるのに、一切シャットアウトして、ずるく逃げる心の状態、あるいは意識の状態。これぞまさに、げんちゃんの本質的な問題で、大きな壁となって私たちの前に立ちはだかっています。
 げんちゃんは、知的障害ではなく、精神障害だということが、ひしひしと感じられる日々です。

 げんちゃんが、ひどく心を動かさない、と決めてしまった日は、げんちゃんの目は、まるで、精神疾患者が、薬でぼ~っとしているような目に見えます。たとえば、自分のまわりに蚊が飛び交っていて、足や手をかまれそうなのに、目の前の小さな視野に、蚊が飛び込んできた時だけ、突然げんちゃんは目がさめてぱちんとたたく。でも、蚊がまた視野から消えれば、蚊などまったくいないかのごとく心に幕をおろす。

げんちゃんは、そういう感じです。

 蚊を追えないのではなく、認識しようとしない・・・・げんちゃんのトラブルの本質は、なんとも恐ろしいな~と思います。そしてこの部分さえ、改善できれば、げんちゃんは、真っ黒いカードがドミノ式に全部ひっくりかえって白にかわるように、大きな成長を遂げるのではないか、と感じます。

Sさんによると、げんちゃんの根底にある、”逃げ”の心が、マイナスに流れる心が、わがままなスイッチを作っているそうです。




by glow-gen | 2019-03-14 17:47 | 意識のこと | Comments(4)

”迷い”のステージから、ほんとの意識出現? 激動のステージなのかも

たぶん、先週末から、激動のステージを迎えているげんちゃんだと思います。

 一人で、学習したと思ったものの、何しろ、自己中心的、ピントずれ・・・のげんちゃんでした。週末に、S先生の指導が数日入りました。
もどってくるなり、げんちゃんは、ものすごく、生意気になっていて、なんか、すさまじくとげとげしい・・・

あら、先生が、また意識をいじったのね・・・K先生とびっくりしていました。とにかくS先生との合宿が終わると、かならず、げんちゃんに微妙な変化があるので、それが、良いものであろうと、悪いものであろうと、とにかく、次に進んだんだ、ということがわかります。

終わって、1週間くらいして、あら、ちょっと違うよね・・・ということも多いのですが、今回は、翌日から、なんか、こう暴力的なエネルギーを感じます。
私への感じの悪い態度も先週より磨きがかかってます。

「自分でやる!」
と言って、おばあちゃんとこで、また自主学習ノートを埋めてますが、(おばあちゃんとこだと、好き勝手できる)
”俺、一人でやってんだよ。俺の勝手にさせてくれよ!”
 そういうふてぶてしさが全面に出ています。もちろん、内容は、とりあえず、なんかやりゃいいでしょ・・・・そんな感じ。

朝も起きない。起きても、なんか、とげとげしく、そのくせ、時間に間に合うような行動もとれない・・・

そうすると、またS先生に、手厳しくやられる。

ちょっと前までは、私に、あまり無理に学習させないように、と言ったり、ここは、しかたない、流していて、とか、S先生は言っていたのに、まったく豹変したように、先生はげんちゃんに向かってます。

「げんちゃんの”コアな意識”を出したので、今までとは違います。自分をしっかり出しはじめて、わがままが、どかんと出てきている。今までは迷走している中で色んなわがままが出てきていたから、少し圧をゆるめないといけなかったけど、今は迷走が終わり、しっかり出てきたから、好き勝手にしたいというわがままなベクトルを、完全に切らないといけない・・・」

うまく表現できないけれど、先生はこんな風なことを言っていたような・・・とにかく、今までは、そこは、大目に見て、という部分まで、細部にわたって、かなり厳しくげんちゃんを指導しています。色んな演出の意味を聞くと、すべて、細かく計算されたもので、驚くばかり・・・・

今日は、げんちゃん、家に帰ってきて、ミニレゴをやり始めました。帰ったら、まず、学校の道具を開けて確認して、段取りを考える・・・と指導されていたのに、あいかわらず、時間も何も存在しない世界で、やりたかったレゴのことだけ考えている模様。それでも、前は、K先生のところに行く前に、レゴをしたがったら、少しさせて、気分をかえて行かせて、と言われていた時もあったので、私は、少しやらせました。

が、まずかったようです。
「今日は、K先生のところのはずだよ。なぜちゃんと時間通り行かないのか!」
レゴは、しっかり学習したあとだ、と、先生が来られて、すごい剣幕で叱られていました。ほう!ステージがかわっちゃってるんだ・・・私もびっくり。

私も、ここ数日、圧をかけるのか、ゆるめるのか、加減がよくわからなくて、先生と電話で密に連絡取り合って指導してもらってます。ありがたや~!
S先生が来られた瞬間、げんちゃんは、ぎろっと私を見て、
「お母さんが連絡したの?」
と言いました。お~・・・そんなとこつながったんだ。今までならありえない!でも、なんでも見抜かれてしまうS先生は、畏怖の対象らしく、ぐうの音も出ないげんちゃんです。

K先生のところに行っても、げんちゃんは、意識をふっとばしていました。あまりにひどいので、また大叱られ。

とにかく、今は、げんちゃんの”逃げる” というところを、徹底して、修正する段階なのだそうです。確かに、げんちゃんのこの”ずるい逃げ”に対しては、どこかで、徹底的に対処していなければ、今後とんでもないことになります。今回出てきた、どこか攻撃的な態度も、人に向けられたらとんでもないしね。いよいよ、徹底的に対峙するステージが来たんでしょうね~。

 なんかよくわからないけれど、家族一丸となって、少しの逃げ場も許さず、正しい行動を身に着けさせる。君の応援団一丸となりますよ~・・・

学校にも面談に行って、私が理解してる範囲のことですが、学校での演出ぶりもご協力願いました。

さてさて、かなりハードなステージになりそうですが、ここを登れば、また新しいげんちゃんが生まれると信じましょう。そうなったら、圧もどかんとゆるめるに違いありません。げんちゃんも、忍耐のしどころなんでしょうね~。今日は、先生の指示通り、意識調整のために、10分寝る前に、ドローンをしてふてぶてしく寝ました。
明日はどんな明日になることやら。私は、ただ嵐の中を前に足を進めるだけ・・・そんな感じです。

ガ~ンバ!


by glow-gen | 2019-01-24 01:30 | 意識のこと | Comments(15)

不登校をおこしやすい発達障害のお子さんの意識。ワンパターンのやり方は危険

  週1げんちゃんを教えて下さるユリ先生が、面白いことをおっしゃっていました。
ユリ先生の、発達障害のクライアントさんの中には、げんちゃんとはタイプの違う、不登校を起こしているお子さんがけっこういるそうです。
そういえば、支援のママ友のゆうすけ君(仮名)のクラスメート(支援クラス)も、けっこう休む子が多いようです。
ゆうすけ君自体も、けっこう繊細で、普通クラスに行くのをいやがったりすることも多く、支援クラスで勉強する時間が多いようです。

ユリ先生は、そういうお子さんには、けっこうほめて持ち上げて学習すること多いようです。でも、げんちゃんには、絶対に立ち位置より、上に持ち上げないように気をつけてもらっています。立ち位置の高さ分認める。それより上に持ち上げると(いわゆる”ほめる”)、すぐに、げんちゃんは、のぼせて努力をやめますし、こっちにさせて、自分は抜きます。したたかに、こっちを見てます。

不登校をおこしているようなお子さんに、げんちゃんに言うような辛口の調子で言うと、すぐに落ち込むことも多いそうです。

げんちゃんは、ちょっと特殊かも・・・・と言われました。

ユリ先生は、ブログでげんちゃんのことをずっと読んでいてくださって、実際会うまでは、げんママは、厳しいな~、と思っていたそうです。でも、実際げんちゃんに指導するようになって、なるほどな、と思ったと言います。

げんちゃんは、不登校をしたことがありません。小学校から、いじめられる、という不幸に会うことがなかったので不登校をしなかった面があります。でも、それだけではないようです。げんちゃんは、不思議と、どこへ行っても、自分のエリアというのをしっかり持っています。研修旅行で、クラスの問題児の隣に座った時も、聞いてみると、
「何をされるか、ちょっと怖かった。」
と言うのですが、びくびくした様子でもなく、こびるわけでもなく、たんたんと、一言も話さず、平気で隣にいたようです。もし、私がその場にいたら、自分の精神的エリアを侵されそうですが、げんちゃんは、あまり侵されなかったようです。ストレスは感じたけれど、侵されはしない。

周りのことを気にしない、という長所にも短所にもなる性質は、げんちゃんが、横方向の広がりに欠けるということでもあるのでしょう。げんちゃんは、まわりの雑音に振り回されることもあまりありません。
くもんを辞めさせられた、しかも、大好きな先生です。こういうショッキングなことも、少しの違和感くらいで流してしまっています。いまだに、どう思う? と聞くと
「べつに、気にはならない。」
と言います。ほんとに、大きく見積もっても、少しばかり感じているのかどうか、という感じです。もしかしたら、ぜんぜん、かもしれません。

昔英語の教室に行ってた時に、たぶん、発達障害かな?と思われるお子さんが、一人の友達にけんかをふっかけて聞くのもつらいような場面が展開されたことがありました。げんちゃんは、隣に座っていましたが、平然と自分のやるべきことをやっていました。私なら、やるべきことをやりつつも、心が動揺するよな~、と思って見てました。(たまたま見学していた私)

終わってから、
「げんちゃん、今日はすごい子がいたね~。」
と私が言うと、
「うん、お母さんが来る前、先生に外に出されてた。」
と、何の動揺もなく、たんたんと言ってました。うまく言えないけれど、まるで、水みたい。その場の雰囲気にそまりもしないし、自分の雰囲気をまわりに押しつけもしない・・・

しかし、この、まわりを見て、動揺したりすることが少ないげんちゃんは、周りを見ることで、自分を鏡に映すようなことができません。周囲を気にして、自分の態度を振り返ったり、お悩みの中から、何かをフィードバックしたりすることができない。集団の中に入ると、まるで、色なら白、水のような透明ささで、そこにいる。

この透明さは、強さでもあるけれど、そこに訴えることで矯めることが、なかなかできにくいということでもあります。

不登校を起こしてしまうお子さんも大変です。彼らは、たぶん、げんちゃんとは違って、意識を横方向に広げやすい子なのかもしれません。

意識とは、深さ、広さ、高さ・・・奥行・・・とても複雑な広がりを持っているもののようです。その子の意識は、その子その子で空間が違うんだな、と思います。
とても抽象的ですが、げんちゃんのそれが、縦方向に狭く広がっているようなイメージに感じる私です。

発達育児を、十把一絡げに考えるのは危険です。ほめる育児がいい、とか、厳しいのがいい、とか、単純にきめつける指導者は、決して一流ではない・・・そう感じます。その子の意識レベルに、どう働きかけて、どっちの方向に伸ばすか。そういうことができるようになるには、ほんとに、指導する自分自身を開拓する必要があるな~と思います。


S先生からずいぶん学ばせていただきました。

PS
この意識の方向性をイメージすることで、不登校になりやすいお子さんの指導のやりかたのヒントがあるかもしれません。(もちろん、過度にいじめられるとかして、不登校というのは、また話が別ですが。)

げんちゃんなら、横方向に広げる。ちょっとしたことで、不登校を起こしやすい子は、縦方向に広げる。
縦方向とは、自分のやるべきこと、自分の目標、自分のことだけ見つめさせる、ということなのでしょうか。友達のことや周りを気にするな、と言っても、どうしても、そっちにいっちゃうわけで、それなら、縦方向、自分のことについての積み上げていく縦の方向。それらに、極力視点を向かわせることがいいのかもしれませんね~・・・不登校というのも、実際つらいものです。げんちゃんが、もし、将来そうなったら、それは、もしかしたら、すごい成長と意識の広がりなのかもですね~・・・・








by glow-gen | 2018-11-19 00:40 | 意識のこと | Comments(8)

発達障害とは意識の障害・・・げんちゃんの心

  意識、意識と、S先生に教えられて、なるほど~と思ってはいるのですが、じゃあ、し~っかり、自分がわかっているか言うと、やはり、そこまで附に落ちることばかりではありません。げんちゃんのステージが進んできて、あ、そういうこと、と、すとんと落ちることも多いです。

 前回アップした、ベートーベンの「月光」に描いた挿絵を、S先生が見て言いました。

「げんちゃんは、やっと意識が出てきて、ふと見ると、周りは真っ暗。僕ってなんなんだろう・・・・と、不安や葛藤の中にいるんだよ。でも、やっと、そこに、月が差してきて、光が出てきた。だから、本人も、なんとかなるだろう、って感じ始めているね。」

「え~・・・そんなもんなんですか~? こんな絵で、そこまでわかるんですか~?」

S先生の言うことは、いつも不思議です。でも、そう言われてみると、1学期、げんちゃんは、国語のカリキュラムで詩を書きました。自分を”さめ”にたとえて、

”闇の帝王”とか、”暗闇をうろつく”・・・とか、物騒な言葉だけが並んでいました。その時も、Sさんは、
「げんちゃんの今の心だよ。」

と言っていたけど、私は、よくわかりませんでした。

でも、月夜の絵の彼のコメントを聞くと、なるほど、その時からすると、げんちゃんの心は一歩進んでいるんだな、ということがわかります。

真っ暗闇だったのが、光が差して、そっちに向かえばいいんだな・・・・となったのでしょうか。

この絵を描いたのは、数週間前です。今は、月夜も、ほのかに明るい、日本昔話みたいな柔らかさを帯びているのでしょうか。それとも、夜明け近くなのでしょうか。


今度はどんな絵、どんな詩を書くのでしょう・・・またまた台風。げんちゃんの意識、心・・・私たちにもわからないし、本人さえも、よくわかっていないようですが、Sさんは、鏡のように写し出して見えるようです。

Sさんいわく、「 意識の力でわかるんだよ。」

不思議な人です。意識とは何なんでしょうね。何層にもなっていて、感情に近いような。外側の意識もあるそうな。げんちゃんが出さなきゃいけないのは、もっとも深い部分にある本意識、というものらしいですが・・・・・

「西洋医学では、心イコール脳・・・くらいなところで終わっているから、精神疾患も、発達障害も、なかなか治らないんだよ。」
とSさんは言いますが、ほんと、人間とは、物質で終わらないものだと、私も思います。私はクリスチャンなので、げんちゃんを創られた大きな力を信じています。聖書では、

「神は土地のチリで人を創り、その鼻から命の息をふきこまれた。」
と、書いてあります。おとぎ話のようですが、実際人は、死ぬと、土と同じ元素に戻ります。死体を見たことがありますが、ほんと、何かが抜けてしまって、物質になってしまったような感じを受けます。

 この抜けていく何か・・・・そこに通じる物が、その人の深いところの意識なのでしょうか。
なんとも哲学的です。

げんちゃんがいなかったら、こんなに人について、思いをはせることも少なかったかもしれません。おもしろいな、と思います。

さて、この月光の絵を描いてから、数週間。げんちゃんの心は、まだまだ混乱の中にあるようです。

自己葛藤を、人におかまいなく外に出すものだから、周りとの軋轢が生じるそうで、そこに反抗期の要素も加わり、げんちゃんは、ずっと、あつかいにくく、突き抜けない手ざわりに、私は、苦しんでいたのでしょう。

でも、10月になって、げんちゃんはまた一つ、なんか上がったな、と感じます。

それゆえに、先日、久しぶりに見に行った野球教室で、今までとまったくかわらず、ぼんやりしているげんちゃんを見て、あ、これはいけない、と思いました。
そうです。彼のステージはどんどんかわっていっているのに、発達障害児として、漫然と昔のステージの扱いを受けている。すぐさま、先生におねがいしました。

「先生、ずいぶん、げんちゃんはステージが上がっています。普通の基準で、できないことは、しっかり厳しく指導してください。そうでないと、完全に彼は、抜いていますから、まずいです。」

発達障害の子を教えるチャンスは、今では指導者にとって、多くあるでしょうから、この際、げんちゃんをネタに、若い先生に色々教えてあげるのはいいかも、と思って、せっせと、げんちゃんの指導の仕方、声かけ、お話させていただきました。

若い彼はいい先生ですね。謙虚に耳を傾けて下さいました。しかし、野球はノーマークでした。今度から、ちょっと野球には足げく行って、げんちゃんに圧をかけるようにしようと思います。


良い教室でも、げんちゃんが抜いてしまえば、行く意味がない。今はそんな感じです。





by glow-gen | 2018-10-05 18:40 | 意識のこと | Comments(3)

意識が出てくると、次はどうなる・・・

  お盆休みも終わり、夏の終焉がそろそろちらつき始めます。お盆休みは、実家に帰って、同窓会に出席したりして、あっというまに終わりました。仕事にもどれば、山積みの仕事があって、すっかりブログを更新するのが遅くなってしまいました。

 10日も立てば、げんちゃん育児については、まったく違う視点や展開になっています。この度もやはりそうです。
げんちゃんのけだるい夏休みは、さらに、だるいものになっています。

 夏休みに、S先生の指導を受けたげんちゃんは、だんだん、意識が表面に現れてくるようになって、自分がどう考えるか、とか、どう感じるか、なんてことを、少しつかめるようになってきているように思います。

 夏休みに入った頃は、できないなりに少しは、自分で夏休み帳と格闘してみたりしていたような気がしますが、今度は、自分の意識が出てきたものだから、やりたくないことはやりたくない・・・やりたいことは、積極的に取り組む。なんか、こういうめりはりが明確になってきました。

 以前なら、やりたくなくても、その気持ちさえ、ぼんやりしていて、私に言われれば、なんとなくやる・・・そんな芸当ができてたような気がしますが、次のステージは、私に言われても、自分の心がいやであればいやだ、と拒否感を全面に出すようになっています。

 あれこれ勉強道具をたずさえて、お盆に実家に帰ったものの、夏休み帳を進められる雰囲気ではなく、理科の研究発表をとりあえずやらせるにとどまりました。

 研究発表は、「花火のしくみ」。
これは、自分がやりたい、と言い出したことで、精力的にとはいかないけれど、私にうながされれば、調べた資料をせっせと写すくらいはやりました。もちろん、ある程度内容を作ってやって、その軌道に乗せてやる感じです。
 それでも、実家近くで行われた花火大会を、調べた直後に見に行ったせいで、実際の感想や考察を入れて、とても良いしあがりになりました。

 普通のお子さんは、こういうことを、たいして親の手を借りずにやるのだとしたら、たいしたものだな、と思いました。でも、考えてみたら、私も中学の時、母親に、植物採集をほとんどやってもらった気がします。中学くらいまでは、やはり、母親力、父親力を発揮した方が、子どもの学力は伸びやすいのでしょうね。

 私は中学の同窓会に行ってみて、進学校とはかけ離れたところに行った同級生が、話してみたらすごく賢かったり、気が利いていたりして、まさに、地頭と学校の成績は比例しないことをいつも感じます。それに、エリートコースを歩んだ友達が、幸せかというと、そうとも言えないし、げんちゃんが過ごしている中学という時代は、ほんとに、人生のちょっとしたパーツにすぎないのだな、と思います。

 それでも、やはり、大切なパーツであることは間違いなく、げんちゃんは、ここできちんと、学力や正しい生き方の基礎を作る必要があるのです。こうやって、数十年後、同級生たちに会って、お互いの来し方を、しみじみ語り合えるような一人前の大人になっていることが、今のげんちゃんの目標なのです。
 げんちゃんが、自分の人生を振り返って、他人の人生も見渡して、人間が生きるということをちゃんと考察することができるようになる。私はそこをいつも見つめています。しかし、今の彼からは、その姿は、あまりぴんときません。

なんせ、今朝も、
「(飼っている)亀にえさをやって!」
と頼んだら、げんちゃんは、昨日水替えをしたばかりだったので、
「え~、エサやったら、また水が汚れるよ!」
と真顔で言っていました。
「あのな~。あんたの言ってることは、”台所汚れるから、今日はご飯食べない”。それと同じだよ!」
 思わず叫んでしまいました。人の普通の感情や発想が、まだまだ抜け落ちて、不思議な”おごり”だけ全面に出てきたりするげんちゃんに、遠い日の同窓会で、げんちゃんがしみじみ語っている姿なんて、イメージができません。

 また、学習に関してしたためると、数学に対しての拒否感はほんとにひどいままで、とうとう、夏休み帳の数学が、ほとんど進まなくなってしまいました。考えればわかるところも、やりたくない、の一点張りのようです。しかたないので、数学は、母親の私がしない方がいい、ということになりました。

 しかし、成長の負の副産物が出てくるときは、成長もしているわけで、興味を持ったことは、新しいトライをすることもあります。昔はやろうとしなかった、100均のミニチュアのレゴを取説通り組み立ててみたり、家庭科の手芸の作品をまじめにとりくんでみたり、好きな本を見つけて、読んでみたり、クラッシック音楽にはまって部屋中に響かせてみたり・・
 


S先生が解説してくれて、納得しました。

「げんちゃんは、意識の奥の方が、やっと少し出てきたんだよね。意識は出てきたものの、感情にすっかり支配されてしまっている。意識が感情を支配しなくてはいけないのに、それができていないんだ。」

「なるほど・・そんな状態で大人になれば、ほんとに怖いですね~。」
「その通り。」
「そういえば、頭悪い、と、私が怒っても、頭悪いよ~。何か~?みたいな開き直りをし始めたんですよ。」
「適当に誤魔化して、うまくやれる、と、変な自信だけついているんだよ。
だから、こてんぱんに、そういう変な自信は突き崩してやらないといけないんだよ。僕に叱られる時は、真っ先に人目を気にしているから、人目があるところで
逆にしっかり怒ったりね。」

「なるほどね・・・私も、あ、そう。じゃあ、あとは自分でやんなさいね。と突き放しています。
そうすると、やるべきことはなかなか進まないけれど・・・・。」

「そのスタンスは間違っていないよ。今はそのへんの微調整がいるね。」

Sさんはそう言うと、たまにやってきて、色々げんちゃんにかかわってくれたりします。


そういうわけで、今は、かなり、彼から距離をおいている私です。絵の宿題は、絵画教室が担ってくれているし、学習も後半は、他人にできるだけ丸投げし、あつかいにくくやっかいな、思春期の男の子の母親に多少近いようなスタンス、になっているのかもしれません。まだまだ本人は幼稚で似て非なるものですが。

まあ、それも、夏休みだからできる芸当で、新学期が始まれば、がっつりかかわらなければ、学校生活はまともにいかないでしょうから、どうしたものでしょうね。

くもんをやめさせられた経験も、こういう中でおこったことで、ほんとにタイムリーだったと感じます。そろそろ世間の冷たい風も知らなければ、勘違いしたまま、突き進んで行きかねないです。



 

by glow-gen | 2018-08-18 12:27 | 意識のこと | Comments(8)

S先生との合宿

  S先生の一泊二日の研修は、どのようなものであったか、・・・
私も、すべて把握はできませんが、簡単に聞いたところだけ書いてみます。

 S先生の家は近くて、家族つきあいしている関係で、彼の家で研修しても、日常の延長なので、心が動かないらしく、わざわざ、隣の佐賀県に一泊して研修することになりました。

 遠方から来られるクライアントさんなら、先生のおうち周辺でも大丈夫なんでしょうけどね~。

げんちゃんは、彼といっしょにドライブをして、佐賀に向かいました。朝、家に迎えに来た段階から、指導が始まります。
私は、あまりに起きないげんちゃんをほったらかして、仕事に出ていきました。

そのあとげんちゃんは、自分で起きて、食事をとって、やってきたS先生に、あとかたづけをはじめ、色々と指導されたようです。

遠出の研修は、傍目には、お父さんとの一泊旅行に見えるかもしれません。食事するとか、移動する、とかいうちょっとした時間すべて、S先生のするどい指導がはいるようです。
計算された、彼のマジシャンのような声かけと表情で、げんちゃんは象使いに動かされる象になったかのごとくなんでしょう。

 佐賀で陶芸体験をしたそうです。
ただすればいいというものでもないらしく、陶芸を指導してくれる陶芸家には、事前にコンセプトをしっかり伝えて、S先生の指導の邪魔をしないように、お願いしたようです。

「この子は、発達障害で、僕が、こうやって連れてきて、研修をしているところなんです。」

S先生は、わざと、行く先々で、げんちゃんに聞こえるようにこう言います。なぜなら、げんちゃんは、自分が、発達障害で、普通クラスのお友達とくらべて、いろいろできないことがある、としっかり認識する必要があるのです。
 どうも、こっちが考えているほど、げんちゃんは、自分の立ち位置を、まだわかっていないようです。それゆえに、努力していこう、という思いより、なんとかなるさ・・・・という感覚の方が強くなったりしているそうです。そのため、まだまだ態度に、逃げがあります。

外に対して、S先生は、しっかり立ち位置を伝えることで、げんちゃんの認識をクリアにする目的があるようです。

「いつも、お世話になっている お父さんとお母さんに、湯飲みを作るんだよ。」
S先生は、げんちゃんに、陶芸の目的をしっかり伝えます。ろくろを前にして、げんちゃんの目的意識がクリアな時は、粘土はきれいにまわりますが、時に、自分の世界に入ってしまうと、いきなり、粘土がぐねっと、非対称にうねります。

動画を見せてもらった時は、なるほど~と思いました。そうなると、すかさず、S先生の言葉が入ります。

「げんちゃん、何やっとるのかね。今、何してるんだっけ?」

そうすると、またげんちゃんの目がきりっとなります。

そんな風にして、射的体験(景品を銃でねらう)とか、カッターボート漕ぎとかやったそうです。

「カッターボートを漕がせると、やっぱり、まっすぐ行かないんだよね。くるくる回っちゃったりしてね。こういうところが、線をちゃんとまっすぐひけないとか、そういう空間認識の部分なんだよね。自分が意識してやっていることが、すぐに、カッターの動きとして出てくるから、声をかけながら、意識に働きかけていくんだよね。」

陶芸も、射的も、カッターボートも、自分の意識と外の世界とをつなげていくのにいいのだそうです。

「旅館では、ちゃんと、服もたたんでいたよ。」
げんちゃんは、家では、やりっぱなしですが、内外の区別ができるようになったのでしょう。


佐賀のある駅から、一人で、ある駅まで乗り継いで行く、というカリキュラムに挑戦したそうです。しかし、電車を前に、たじろいで、電車をのがしてしまったようです。

できても、べた褒めはしません。

褒めるということは、この子たちにとっては、確認作業です。当然できることを、ただやってのけた、そういうあっさりしたほめ方で、表情も、努めてめりはりをつけるそうです。
この子たちは、褒めすぎれば、すぐに勘違いするし、ほめないと、自分のした行動の良い点もわからなくなるのです。


褒める育児、というのが、よくもてはやされますが、この子たちにとって、褒めるのは、目的に行くための途中における確認作業。私たちは、ほんとに高い所をめざしているのだから、

「障害児なのにすごいじゃない!」

こういうスタンスはありません。素晴らしい資質をもらってきているはずだから、ちゃんと、それを捜していこう、挑戦していこう・・・・S先生のこのスタンスは、ほんとの意味で、げんちゃんを、一人の人間として、ちゃんと対等に扱っていることにつながると思います。

そういう、絶対的な価値観をげんちゃんに対して持っているS先生に、げんちゃんは、どこか威厳を感じ取っているようです。でも、いつもよくしてもらっているので、ところどころで、
「何じゃ、その態度・・・」
と言うのが出てきて、時々がつんとやられています。


げんちゃんの体験は、一見家族旅行で見られるようなところもあるので、家で、そういう体験学習をさせるときは、子どもに、今何をやっているのか、という目的意識を喚起する言葉かけをすると、一見遊びのようなことも、トレーニングにつながります。

「普通の子は、目的を与えてやる、でも発達の子は、目的意識を与えてあげる。」
のだそうです。なるほどな~と思います。げんちゃんは、やってるそばから、自分が何をやろうとしているのか、というのが飛んでしまうのです。言い得て妙です。


 たとえば、陶芸体験では、適当に自分の世界観でやっていたら、目的意識は生まれません。きちんと目的にそったことからそれないように、意識喚起しながらやれば、意識レベルは保たれやすくなります。

陶芸家は、観光で来る人の、陶芸体験と思っているので、最初に、言っておかないと、げんちゃんが、適当にへんな物を作ってしまっても、
「いいよいいよ。自分の好きなようにしていいんだよ。それも個性だから・・・」

なんて、ヨイショしてしまうので、先生は、しっかり最初に釘をささせてもらったようですね。


ちょっと、混乱してほしくないところとして、その子がどこのステージにいるかと言うことも大事だと思います。

げんちゃんの小さい頃のように、ひたすら何もできない時は、何でもいいから、外から働きかけをして、一つ一つの能力を伸ばさなければなりませんから、べた褒めしてでも、とにかく取り組ませる、というステージもあります。何にもくいつかないようなステージならば、おだてても、べた褒めしても、とにかく、やらせなければ話になりませんからね~。

でも、そういう中でも、眠っている意識に働きかける言葉かけは大事です。なぜ? どうして? どうやって?・・・答えが返ってこなくても、体験の中で問いかけていく必要があります。

げんちゃんは、一つ一つの駒が、ある程度そろってきたので、やっと今度は、取り組み方のクオリティーを言うようになり、意識を伴ってやるというレベルになってきているゆえの合宿プログラムだと思います。

多くのカリキュラムは、かつて私ががんばったてきたように、外側からのアプローチでした。でも、Sさんの言われるように、意識の内面からかえていくような発想は、確かに、有効で外側からのアプローチに加えることで、良い結果を生むと感じています。


by glow-gen | 2018-06-08 19:28 | 意識のこと | Comments(10)



中学2年生の息子。5歳の時に、発達障害とわかり、ママの格闘と改善の記録。
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げんちゃんママの紹介
中学2年になる息子げんちゃん。5歳の秋に、発達障害が発覚。最初はショックだったけれど、脳はまだまだ未知数。ママがなんとか素敵な子供に育ててみせるぞ~。最初はIQ60、・・コミュニケーションも微妙。身体もふらふら、はさみもにぎれず・・・もちろん絵もまったく描けず、5歳なのに、ほとんど2歳児みたいでした。いや、それ以下の機能もたくさんありました。
 「子供の脳に良いこと」を書かれた鈴木昭平先生が主催する、エジソンアインシュタインメソッドに出会って、ママが改善をさせることを学びました。そこを皮切りに、日々研究を積み重ね色々取り組み、相当改善してきました。、たまたま支援クラスができなくて、普通クラスの1年生に入学しました。2年の2学期から、支援クラスができて入ってます。算数の学習障害は、ひどく、相当苦労してますが、毎月毎月、必ず進化しています。日々はらはらどきどき。 天才ぼうやに育てるべく、奮闘中。パパと一人暮らしをしている大学2年生の娘と、医療関係に働くワーキングママ。
 近くに住む、お姑さんに手伝ってもらいつつ、がんばっています。
1年生の2学期から週に1.5日学校を休ませて、ママがおうちでホームスクールをやりました。4年からは週二日になりました。さらに、5年の9月からは、2.5日に増え、3学期からまた、週2日にもどし、6年の後半からは、週に1日に減らしました。
近くに住む、主婦のK先生のおうちで、ママが仕事でできない日は、ホーム学習のお手伝いをしてもらっています。
 5年生からは、算数以外、試験的に普通クラスにシフトという快挙です。6年生は、すべて、普通クラスですごすようになりました。発達の改善に取り組みはじめて8年の歳月は、子どもをどんどん改善していきました。
 6年になって、不思議なセラピストのS先生に出会い、発達障害は意識の障害だ、ということを認識しました。意識が抜けたような状態のげんちゃん。その部分が改善されれば、発達障害のコアな改善につながると、がんばっています。中学は、地元の公立中学へ入学。国語と算数だけ、支援クラスで、マンツー指導を受けています。ホームスクールは中学からは中止しています。
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