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げんちゃんの発達障害プロジェクト

カテゴリ:ほめるということ( 6 )

常識的な教育指導方法が、発達障害児をだめにすることがある

  PTAの会合に行くと、試験前でも、保護者は、子供のテストの内容などぜんぜん知らない人ばかりです。あたりまえですよね~。子供自身でみんなやってるわけですからね。塾を利用している子がいたとしても、つきっきりで母親が見てる子なんているはずもない。

 テストとは、なんぞや! 宿題とはなんぞや! テストの成績とはなんぞや!

今日は、K先生が、意識ぬけぬけのげんちゃんに、マインドマップをして教えたそうです。試験前の時間のない時に、そういうことをしないといけない最悪の状況だった様子。やれやれ・・・

「俺、今回は、テストめちゃ悪かったわ~・・・ぜんぜん勉強してなかったもんね。」

学生の間でかわされる、ごく普通の会話も、げんちゃんにとって遠い世界です。私たちが、テストを見て、
「なんじゃこりゃ~」って叫んだりするから、(ほんと、こっちサイドのエネルギーロスといったらない!)

そういう雰囲気を読んで、げんちゃんも、

「テスト悪かった~。」
なんて言うかもしれませんが、それはあくまで口先だけ、適当に追従しているにすぎません。

支援クラスのお友達の、性格がげんちゃんと正反対の、繊細なゆうすけ君は、テストの結果とか気にしそうです。彼は、とても劣等感が強くて、すぐひよってしまうようです。
 彼と対比するとげんちゃんと言う子がよくわかります。

げんちゃんには劣等感というのが、あるようであまりありません。それは、
「あ~そう。しかたないね。」「べ~つに~。」
という発言にも見て取れるように、自分というものを見つめる、ということがきわめて苦手で、自己を確認するということが、ほんとにできていないのです。何かがおこっても、めんどくさいと思って、ぶつっと切るので、自己考察のところに、つながりません。
 恐ろしいほどの強さに感じるくらいです。

自分というものが、まだないと言ってもいいのかもしれません。それゆえに、電信柱みたいに、自分を出すこともないので、集団の中で、とくに邪魔にもされず、ただ存在することができるようです。
 それに比べて、ゆうすけ君は、げんちゃんより、自分を捉えることができると思っています。そのために集団の中では、いずらくなったり、自分はだめだから、みんなとは一線を隔したい、とかいう感情が生まれてくるのだと思います。

 げんちゃんという子を把握できていないと、
「げんちゃんの気持ちを考えてあげて。」とか、「尊重して。」「聞いてあげて」

なんていう、教育現場で当たり前に使われる手段が、げんちゃんを、スポイルしてしまいます。。

発達障害でも、自分のことをけっこう確認することができるお子さんと、げんちゃんのように、まったくスルーしてしまう子では、指導のしかたが全く違うと思っています。
 ゆうすけ君になら、彼の気持ちを考えつつ、その方向性をぐいっとプラスの方向に向けてあげるような手法も用いれるでしょうけど、げんちゃんには、それは難しいと思っています。

先ほどのテストの結果の話ですが、げんちゃんに、

「テスト悪かったけど、次頑張ればいいよ。今度は、もっと気持ちを入れようね。」

なんて指導をすれば、おおごとです。だって、げんちゃんは、本気で悪かった~なんて、認識しているわけではなく、ただ口先でそれらしいことを言ってみてるだけなので、

”あ、そう。別になんということもないんだな。”
と、平気で思ってしまうのです。

「あなた、普通の子は、ぜんぜんお母さんに手伝ってもらってないのよ。それなのに、あなたより、みんな良い点数を取れるの。どれだけ、げんちゃんは、やる気ないの? 気持ち入れずに、適当にやってるから、勉強したこともぜんぜん答えられないのよ。成績が悪かったら、中学卒業しても、どっこも行くとこないからね。」

いちいち、強い口調で、現実をダメ押ししてやる必要があるのです。

そうしないと、テストの意味さえ捉えられず、さらに悪かったという大前提さえつかめずに、ポーズだけ作ることを覚える結果になるのです。


そこを押さえていない指導者を近づけるのは、ほんとに危険。こっちが必死で引っ張り上げたものを、一気に落としかねないです。そのため、学校の先生には、必死で説明し、げんちゃんを対等に扱うことがないように頼み込んでいく必要があります。気持ちを聞いてあげる、とか、寄り添うとかいうのは、それなりに、人格ができあがりつつある子にすることで、げんちゃんのように、まだあやふやな子には、ひたすら、こちらから、ベクトルを出して、枠を作ってやることに専念する必要があるのです。

極端な言い方をすれば、

「この場合は、こういう風に感じるべきで、げんちゃんは、まったくできてないよ!」
と、感じ方さえ、一から入力してやる。アウトプットを尊重したりする必要はないのです。せいぜいしたとしても、参考程度、で、それを主軸に展開してはいけないのです。

げんちゃんの取説は、かなり難しいと思っています。

そのため、残念ながら、いまだに絵画教室も復活できません。ピアノと体操の先生は、もともとかなり厳しいタイプで、げんちゃんを自分と同じ立ち位置にもっていったりしないので、細々と続けさせてもらっています。

PTAの勉強会などで、子供を尊重し、聞いてあげる。受け入れる。といった教育・・・そんな感じの講座があって、PTAの友達が、感動した~なんて言ってるのを聞いて、ふ~ん、なんてしらけている自分がいます。

そういう、誰にもあてはまるような指導要綱が、まったくはまらない、げんちゃんのような発達障害は、ほんとに気をつけないと、教育者にだめにされるということが、起こりうるということです。

まだまだ、ほんとに手が抜けないげんちゃんです。

by glow-gen | 2019-11-07 00:08 | ほめるということ | Comments(10)

発達障害、外側を見て判断できない。

  げんちゃんを例えるなら、車の運転を例に出すといいかもしれません。
二人の人が、車を運転しています。一人は、行先もわかって、自分がそこへ移動している理由もつかんでいます。しかし、もう一人は、その人と同じ道を同じように走っていますが、行先もわからず、何のために移動しているのかもまったくつかんでいません。
 彼は道順と運転テクニックだけ、ものすごく訓練して、車を上手に走らせるようになりました。

 運転している車を外から見れば、二人はそうかわらないように見えます。運転していることについては、極端な違いはありません。

ところが、二人がちょっと道に迷えばどうなるか。目的も行先もわかっていない方は、あっというまにパニックになるか、とんでもない道を迷走してしまうでしょう。

 そうです。それがげんちゃんです。
 
 車を運転しているところだけに目が行く指導者や、げんちゃんとほんのちょっとしかかかわらない大人たちは、げんちゃんの本質と問題をとらえようとしません。
 それゆえに、上手に運転できているね。と励ましほめます。その運転技術が、前よりずっとよくなっていくものだから、君はほんとにがんばっているよ、と肯定感むき出しにげんちゃんに応対します。

 もしくは、そもそもこの子は、障害児なのだから、という区別意識が、どこかにある指導者やまわりの大人も同じです。げんちゃんへの違和感を感じたとしても、そもそも普通の子と違うのだから、彼が目的地がわからなくたって、運転しているのだから、この子にしては上できじゃない、とスルーします。 耳障りのいい言葉をげんちゃんに投げかけます。

 しかし私は、それらがげんちゃんに、はなはだしい勘違いを促すと感じています。私たちが必死で、目的をとらえ、意味を捉えさせようとがんばっているにもかかわらず、その圧から逃げる上等な口実になってしまいます。
 お母さん、僕はできるんだよ!

 さらに、げんちゃんの性質として、自分の立ち位置をほんとにとらえにくいということが挙げられます。前述の運転で説明すると、相手は、ただ、運転しているということだけを認めているのに、げんちゃんは、自分が普通の子と同じだと認められていると感じます。

 また彼は、自分というものを、いまだにしっかり捉えられていません。自分が捉えられていないのだから、周りのことなど捉えられるはずもなく、当然のように ”感謝” という気持ちが理解できません。だから、あらゆる場面で、”ありがとう”、と心から言うことはできません。教えられて、言葉ずらだけ言うだけです。
 それは、自分がおかれている立場、周りの愛や配慮、そういうものを一切感じ取ることができないということでもあります。漠然と自分が愛されていることを感じるかもしれませんが、それは、空気が暖かいくらいのことで、意識することもありません。

 げんちゃんは、自分自信の気持ちや状況さえ、行先のない運転のように、とらえどころがなく、いまだに、一瞬一瞬を動物のように生きているようです。

 目的や目標を、さらには、つながりと言うものをとらえるのがすこぶる苦手なげんちゃん。いや、正確に言うと、捉えようとしないげんちゃん。

今は、げんちゃんが意識をオンして、捉えようとすることを放棄しないように追い込んでいる・・・げんちゃんにとって、一番きついところかもしれませんが、そんなステージをすごしています。
そういう時に、

「運転ができてすごいね」

と褒められたりすることはほんとに危険です。勉強やお稽古事を教えられるからといって、むやみにだれにでもげんちゃんを預けるわけにはいかないし、会わせてほんのちょっとでも言葉かけされても危険な時さえあります。実際、遠方から来て、久しぶりに会った知り合いが、

「げんちゃん、成長したね~。すごい。見違えたよ! 今度僕たちは夏のキャンプをするから、参加しないかい?」
と、げんちゃんに対して、ほんとに対等な目線で言ってくれただけで、げんちゃんは舞い上がり、いきなり、その日一日、私に横柄にふるまう、というようなことがおきました。

 こんなことを考えると、よその障害を持ったお子さんに対しても、むやみな外交辞令はほんとにマイナスになることがあるので気をつけないとな~と思ってしまいます。その子がほんとに自立していけるようにと願うなら、ほんとにその子に必要な言葉かけがあるべきではないか、と感じるこの頃です。

最近時々習いに行かせている、知り合いの習字の先生に、今書いたようなことを力説しました。彼女は、げんちゃんは、習字の筋がいいとべた褒めしたりします。私が実際のげんちゃんの困ったところを話すと、

「え~、お母さんが高いところを目ざしすぎてるから、そう思うんだよ。げんちゃんは、将来なんとかなるよ~。」
と、よくある他人事をまくしたてられました。やれやれ。この手合いは多い!
しかし、指導者が真のげんちゃんの性質や心の状態を理解できなければ、ほんとに危険です。
親しい人なので、何度も電話で話し合いました。つい少し語調が強くなったりしてしまうのですが。失礼

「もし、ほんとに、げんちゃんのことを考えてくれるなら、むやみにほめることはやめて!。どこがどうよかったか、そして、それだけの力があるのだから、勉強だって君はできるんだよ。がんばりなさい。こういう風につなげてほしい。・・・」

 気の置けない知り合いなので、私も必死です。まあ、絵画の先生は、そこまで言える相手ではないので、休ませた、ということなのですが・・・さらに言えば、くもんは、教材だけもらっているのも、先生に会わせることが、危険すぎるから・・・笑

私が必要だと思うのは、行動の奥にある心をとらえて指導するということです。(とらえることは、難しい。だから、こちらの思いを、共有してもらえる柔軟さがあればいいかな。)
 決して普通の子には関係ないことではなく、指導する立場の周りの大人は、外側に騙されない、その子の心の状態つかもうとすることが大事なのかもしれません。ただほめればいいという、安易な指導は、おそまつそのものです。
 その子の心を成長させること。それこそが、”先生”なのかもしれませんね。永遠に私もげんちゃんと成長していかねばならないのだな、と感じます。

 

by glow-gen | 2019-05-29 10:02 | ほめるということ | Comments(8)

発達障害のわが子を褒める時、とくに思春期?

  「ほめること」、がげんちゃんの弊害になる、と前回のブログで書いたのですが、私も、最初は、よくわかっていなくて混乱していました。
でも、最近少しわかるようになってきました。

 たとえば、げんちゃんは、最近、トルコ行進曲をざっくり全部弾けるようになりました。それは、私もうれしいし、ちょっとした達成感があります。でも、よくよく考えれば、ざっくり弾ける、というところまで、1年もかかったわけで、普通の子なら半年もいらないかもしれません。
 でも、私たちは、げんちゃんが、あまりに何にもできなかった子なので、
「すご~い。そんな曲、普通クラスの子だって、そうそう弾けないよ。」
なんて、感動をこめて言ってしまうのです。

 私たちの心の中には、げんちゃんは、普通の子のようにはいかないけれど、げんちゃんにしては上出来だよ。という気持ちがあります。もし、知的な障害のない全盲の子がいて、1年かけてなんとか弾いた、ということになれば、その子は、同じようにほめられても、「普通に目の見える子は、すぐに弾けるかもしれないけれど、なんとか、1年かかって弾けるとこまできたんだな。」と、前提条件を入れて、受け取るんではないか、と思います。

だから、なんの前提もなく、ただ、すごいね~、とほめればいいのです。

しかし、げんちゃんにそのようなほめ方をすると、げんちゃんは、素直に、ぼくは、普通の子と同じような条件でできている、ほめられる以上、そうなんだ、と疑問なしに思い込むようなのです。

発達障害のお子さんでも、自分の立ち位置をしっかりつかめているお子さんなら、ぜんぜん、配慮なしに、ほめてもいいのかもしれません。

しかし、自分の立ち位置を把握することがとても苦手な子だったら、前提なしのほめ方は危ないというわけです。

知り合いに、6年生になるかいじくん(仮名)という発達障害のお子さんがいます。その子は、げんちゃんより、まだまだ幼い感じのお子さんですが、彼はよく、お友達と衝突します。

そんな時、家族に、お友達が悪い! という風に怒って話すそうです。彼をよく見ていると、支援クラスで、いろいろサポートしながら交流級に行っているのですが、どうも、自分は、その子たちと対等という立場でいるようです。
あらゆる場面で、級友にサポートされてなんぼのもんなのですが、まるで、そういうことは眼中にないようです。

そろそろ思春期に入り、立ち位置がシビアに求められてくる時期に入ろうかとしているのに、いまだに、周囲の大人たちは、かいじ君に対して、幼児に言うようにほめたり叱ったりしていました。

「かいじ、すご~い、できたやん!」

これでは、かいじくんは、自分の立ち位置をなかなかつかめません。

げんちゃんのことで、ピアノの先生におもしろいことを聞きました。

音符を書いたりする記述の宿題があるのですが、げんちゃんはやらない時も多いので叱ると、翌回はしてくるそうです。しかし、そこで、ほめると、次の回はやってこないそうです。

なるほどね~と思います。

こういう場合のほめ方も、

「ちゃんとできるじゃない。げんちゃんやればできるんだよ~。よくがんばった。でもね、一回くらいやってきたって、普通の子と同じではないよ。普通のお友達は、毎回ちゃんとやってくるよ。げんちゃんも、毎回ちゃんとできないとね。」

そして、前回のリズムうちも、こうほめればよかったかもしれません。

「ちゃんとできたね~。普通は、小学校2~3年生になればできるようになるんだけど、げんちゃんは、中1でやっとできるようになったね。げんちゃんだって、がんばれば、少しおそいけれど、ちゃんとできるようになるんだよね。ほかのことも同じだよ。普通より遅いけど、がんばればできてくる。」


げんちゃんがしっかり普通の世界でも、がんばってやっていけるようになることを目指している限り、基準は、普通の基準である、ということなのでしょう。

そのことを自分でつかめないかぎり、基準のない無責任なほめ方はとても危険であるということなのでしょうね。


また、できているのに、自分を過少に評価してしまい、自信が出ないという子にも、基準をしっかり与えてほめれば、自分の立ち位置がわかるのかもしれませんね~・・・


とにかく、ほめる育児というのは、間違いではないけれど、ただ、もちあげて無責任にほめる、というのではなく、その子ががんばったことを認めてあげて、次の目標を据えられるようなほめ方が大事なんだと思います。

まあ、げんちゃんを育てていなければ、そういうことも、掘り下げて考えることはなかったでしょうね~。


当のげんちゃんは、あいかわらず、発酵中なのかもしれません。
中一が終わりに近づいて、振り返れば、やはり、相当伸びたことは確かなようです。それに見合う心の成長がぐんとおこることを期待したいです。


by glow-gen | 2019-03-04 13:26 | ほめるということ | Comments(10)

発達障害、やみくもにほめる育児は危ないこともある。

ほめる育児・・・というのは、推奨される育児のもっとも代表格だと思います。
がしかし、発達障害のわが子げんちゃんの場合、今は、それが恐ろしい結果を生みます。

いや、たぶん、発達障害のお子さんの場合、やみくもに褒める育児はほんとに危険だな、と、発達育児をやってきてつくづく思うようになりました。

最近げんちゃんは、いろんなことに気持ちを入れることができるようになっています。だから、良いパフォーマンスも出て、ときに目を見張る成長を見せるときがあります。
その顕著な例はお絵かき教室、ピアノ教室です。

この二つは、彼の中では二大好きなことになってきたようで、さかな君ほどの食いつき方はできないものの、それなりの気持ちの入れ方ができるようで、先生方にとっては、レッスンの中で、一度くらいはほめることが出現するようです。

お絵かき教室では、
「色の使い方がいいね。」
まあ、そんな感じでほめてくださるのかもしれません。今日は、ピアノレッスンに数十分つきあったのですが、符を見て、リズムを打つ宿題がみごとにこなせて、
「お~、すごいじゃん。お母さん、すごくないですか。メトロノームにもあってる!」
先生が嬉しそうに言いました。

なんせ、今までは、なんでこんなにできないの?というくらい、どんくさいリズムうちだったので、私も、思わずほめてしまいました。
ピアノの前にあった体操でも、げんちゃんは、ほめられた。

ところが、こういうことがあったあとは、ほんとにがらがらと落ちます。
家に帰って、学習をしたのですが、たいしてやってもないのに、完全抜きまくり、しかも、荷物をぐちゃぐちゃにぶちまけていたり、CDをがんがんかけたままおばあちゃんのところに出かけていたり、まあなんというか、ここまで抜くか、というご乱行でした。

「げんちゃん、こういうのおかしいよね・・K先生に写真撮って送りますね。」
私は、がみがみ言いたくないので、実力行使。

私がそういうと、怒って、スマホを取り上げて投げました。
「うるさい!やめろ!べつにいいじゃん!」
「あ、そう。いいことなら、先生に送っても別にはずかしいことじゃないからいいでしょ。」
そう平然と言うと、私は、顔色一つかえず、さっさとまたスマホをとって送ります。
げんちゃんは、普通の分別のある子のように、やたらいっちょまえです。
「わかったよ!」
そう、たんかを切ると、あろうことか、夜自転車でプチ家出しました。やれやれ。あほか・・・
 しばらくして帰ってきても、ふてぶてしい。
「なにやっとんの。」
私は、家の外でほっとこうかと思ったけど、とりあえず入れて、しらっとした顔で、さらにたたみかけて、その日やらかしている、相当あほなとんちんかんな行動を、静かに一つ一つ説明しました。まあ、いちいち書きませんが、普通のお子さんなら絶対にしないような、ずれた行動がこの日もてんこもり。(そっち行ったついでにいっしょにやってくれば、一回で終わるのに、・・・とか、まあそういう、整合性のない行動のたぐいです。)

自分は、できてるんだ、くらいに思いあがっているげんちゃんには、たんたんと自分の現実をつきつけてあげなくては、上ったまんまになります。l
まあ、こういう格闘を続けて、げんちゃんは、少し勢いが減退し、自分のわがままベクトルが通用しないということを、しぶしぶ認めるところに追い込まれたようです。

まったくもう、反抗期が少し落ち着いたと思ったら、ほめられるとぶりかえす、そんな感じです。

どうも、100ちゃんとできないことがあって、そのうちの一つがちょっとよくなったよ、と褒めてるだけなのに、げんちゃんは、自分のすべてが肯定された・・・そんな風に感じるようです。
絵の先生、ピアノの先生、体操の先生、みんなおれを認めてくれるだろう。おかしいのはお母さんだぜ・・・

どうもこういうメンタルに、すぐに陥ってしまうようです。コツコツと、彼のずれた行動を修正し、自分の立ち位置をしっかりつかむように指導してきているのに、肯定感むき出しで褒められたりすると、すぐに昇り詰める。そのたびに、また一からこつこつ、それを引き下ろす・・・・ほんと、今は、お願いだからほめないで・・・そんな感じです。

そういえば、実家に帰った時、私が、コツコツと指導している横で、母が、
「げんちゃん、大丈夫だよ~。お母さんはそんなこと言うけど、げんちゃんは、よくがんばってるよ~・・・。お母さんの言うことは気にしなくていいから。」

と無責任に声をかけ、そのあと、高慢のきわみに駆け上りましたもんね~・・・

普通の子なら、そこまで勘違いしないのに、世間は俺を認めてくれてる・・・なんか、そこまで行くか、って感じです。

ピアノの先生は、もともと厳しいので、しっかり電話でわけを説明し、協力してもらうようにお願いしました。でも、絵画の先生は、そこまでの連帯感は結んでないし、無理かな、と思ったので、
先週は休ませました。今、それをされると、あともうちょっとというとこで、がらがらとくずれそうな感じです。

げんちゃんと日々長く接している私たち家族、姑、支援の先生をはじめ、K先生やS先生は、実感として、なんとなくわかるのですが、週一くらいの接し方だと、げんちゃん特有のあやうさがわからず、どうしても、伸びてるところ一点を見て、ごく普通にほめて、げんちゃんをのぼせさせてしまう。

たぶん、障害児という目で、つい見ている先生も同じことをしてしまいがちなんでしょうね~。この子たちを指導するには、ほんとに、高い指導力がいる、ほんとにそう思います。とりあえず、何かが教えられるから、という理由だけで、安易に先生を選べないところがありますよね~。

もちろん、その子その子で、合う先生のタイプも違います。げんちゃんは、”どんな時でもほめて伸ばす・・的先生”は、はタブーです。もちろん、ぜんぜんオーケーの子もいますけどね~・・・

メンタルがほとほと鈍感で強いげんちゃんは、もうしばらくは、できたことがあっても、軽く流してほしい。
突き抜けたら、メタ認知できるようになったら、ほめられても、けなされても、黙々とがんばれる子になることを期待してます。

追記
 子供さんがまだ幼く、とにかく、ほめてのせて、いろんな能力を伸ばす時期は、ほめることはそう危険じゃないと思いますし、自信がなくて、引きこもるようなお子さんも、できたとこをしっかりほめるのはいいと思います。
 タイプの見極め、これは大切です。

次の記事に続く・・・


by glow-gen | 2019-03-03 01:33 | ほめるということ | Comments(7)

発達育児、極端に走らせてはだめ。ことばかけ命!

  げんちゃんの定期試験は、結果は捨てるとしても、定期試験に向かう、普通の人たちの気持ち、、とか行動とかは、やはり、しっかり入れる必要があると思います。
 まったく間に合わないこの状況で、どういうかんじでやるのか、というのは、私も悩みます。

がしかし、ほんとに、1週間にせまってしまったので、気持ち合わせ、英語、社会、理科の、提出義務のドリルくらいしかできなくなってしまいました。(いや、それさえ、出来上がらないだろう!)

なんせ、げんちゃんは、処理スピードがあまりに遅いし、まだまだ逃げる気持ちばかりで、こっちとモチベーションが乖離しています。

 逃げる、という気持ちは、Sさんからも離れておきたい、という気持ちになって現れます。
先生がうちに来ていて、お帰りになるときに、門のところにいるのを、帰宅中のげんちゃんが、先生を遠目に見つけた時、徒歩のスピードをいきなり、遅くする・・・・なんていう行動が出現します。

 S先生は、全部お見通しのようで、上手にげんちゃんを指導します。
 
 圧というのは、外から、マヨネーズを絞るようにかけるだけではなく、中に、あるものをぐぐぐっと引き出すようにかける圧もあるということらしく、今は、後者の圧をがんがんかけています。

 つまり、げんちゃんの逃げたい、でも、それではだめかも・・・・そんなところでゆれているげんちゃんに

「君はもうできるんだよ。逃げていたら、低いところに落ちちゃうよ。そうなりたいの?」
「普通なら、もう相手にしないよ。でも、僕がげんちゃんを指導しているのは、げんちゃんを愛しているからだよ。」
etc・・・全部録音して、書きたいくらい、計算されているようです。

 まあ、こういう感じで、げんちゃんの中にあるプラスの気持ちを大きくしてもらうように圧をかけるるのでしょう。

確かに、外からどかんと力をかけるやりかたは、マヨネーズにたとえれば、中のマヨネーズが、びよんと、変なところに飛び出して、使い物にならなくなるような具合なんでしょう。

「はいはい、わかったわかった。」
も、私に対して、相変わらず飛び出します。

「はいはい、わかったわかった、なんて、君ができていないから言ってるんじゃない。」
「それとも、ちゃんとできているの?」
「できているんなら、言わないよ。できていないから言っているんじゃない。何言ってんの。」
「言われたくないなら、ちゃんとやりなさいよ。」

まあ、特別なことを言ってるわけではないけれど、これも、S先生に教えてもらった言い方で、

あらゆる方向性から、なぜそう指導しているのか、という理由を、しっかり、細かく落としてやる言い方を付け加えるといいようですね。

「お母さんは、そういう子にするために、あなたを生んだんじゃないよ。。ちゃんとした人間になるために、産んだんだからね。」

まあ、あらゆる言葉を駆使して、言葉かけをしないといけないようです。

つーと言って、カーとぜんぜん行かない子供たちです。ほんとに疲れます。

日々、成長したようで、あぜんとするような失敗をしてくれるげんちゃん。もう、そろそろ観念して、プラス方向へ、エネルギーをなだれこませてほしいです。


 それから、前回のブログで書きましたが、げんちゃんをコンサートのあと、清塚さんのサイン会に参加させたことは、失敗だった、とS先生に教えられました。
げんちゃんは、素晴らしい演奏を、意識にとらえて、あれこれ考えるレベルから、オーバーランしてしまって、ただ、感情でつかんで、舞い上がって終わり、となったそうです。

もし、サイン会なしだったら、もっと演奏会のことが、細かく心に落ちてくれて、持続性もあったのだとか。

この子たちは、なんにおいても、”いきすぎたらだめ、”なようです。冷静さを失わせないことが大事なようです。

自分の世界観につっぱしりやすいし、感情に走りやすいし、げんちゃんに関しては、すぐに捨て去りやすいし・・・・
何事も寸止め・・・・・そういう感じのようですね~。
 確かに、先日テレビで見た、発達障害のピアニスト、野田明日香さんも、ご飯の時間も思い出せないほど、ピアノを弾いてしまう・・・と言ってました。普通の世界で生きていくためには、やはり、寸止めして、ちょっと自分を見つめるたり、冷静にフィードバックしたりすることが大事なのかもですね。第一、やれてるからいい、と思ってみても、やりすぎて、あとにどか~んとマイナスがくることも多いはずです。


げんちゃんは、コンサートのあと、二日間は、ややプラスに暴走し、その次の日、今までにないような、へんな放心状態がやってきて、前二日を帳消しにするような感覚でした。

人生は、たんたんと、がんばっていかねばならないわけで、落ちたり上がったり、ジェットコースターのような極端なところに走りやすいわが子たちには、ほんとに、限りない知恵と技がいるんだな~と思います。

まさに、私の発達育児は、ほんと佳境にはいってきたな~・・・・です。発達育児の奥義・・
秘伝の技のかずかず。マスターして、公開できるといいですが~・・・なんせ、道は険しい!(笑)

by glow-gen | 2019-02-06 13:21 | ほめるということ | Comments(7)

ほめる育児はいいのだけれど・・・

 中1になって、新しくげんちゃんを週一教えて下さるユリ先生が、先日夏休み帳の数学と国語をさせてくださいました。
 2時間ちょっとの間にげんちゃんがこなしたのは、数学の計算1ページ、国語の1ページでした。
終わって先生からの報告をお聞きすると、げんちゃんの計算能力は、5月の最初に、先生が当惑してどうなることか、と心配した時からすると、ずいぶん進歩して、希望の持てるものだったようです。

「げんちゃん、がんばりましたよ~。」

と、先生は嬉しそうに、げんちゃんをほめてくださいました。先生は、週に1度しかげんちゃんを教えないので、1週間たつと、まるでステージがかわっているげんちゃんに、毎回、ちょっとした感動を覚えるのだとか・・・今回も、先週と違う手ごたえを感じたらしく、とても喜んでくださいました。

ん?
「先生、確かに、げんちゃんは、そこそこ集中してやったのだろうと思うし、2ページ頑張ったと思うのですが、普通のお子さんなら、この時間に、たったこれだけしかできていない、というのは、手放しで喜べることではないんですよね~。先生、今日の各論をほめることで終わると大変です。げんちゃんは、それで自分は、普通の子と同じ目標を達成したと勘違いします。」

「なるほど・・・」

その後、熱心な彼女は、私の言い分をよく聞いてくださって、その意味を納得してくださいました。

つまり、

 先生方に、この子たちの指導をお願いすると、まずは、取り組んだ課題を、集中してやれた、とか、先日の状態より改善している、とか、学習が伸びた、とか、報告を受けます。その日の課題のできがよければ、よくやった。達成したね、と言う感じです。
小学校の5年生くらいまでは、これでよかったと思います。

でも、今のげんちゃんには、その指導ではちょっと危険です。

 たとえば、ある成績の悪い落ちこぼれ君が、進学校を目指すと意識改革されたとしましょう。その子は、まずは、小学校の学習の落としてしまっているところをステップバックしてやる必要がある。彼は、今までできてなかった小学校の課題に果敢に取り組み、それを理解することができました。
 さて、彼についていた先生はどうはげますでしょう。

「すごいね~。すばらしいね。がんばったね。」

それで、終わるでしょうか。たぶん、

「さあ、がんばった。小学校のところはわかったとして、さっさと次に行かないと、みんなは、中学の課題をがんがんやってるからね。」

あるいは、
「よくがんばった。この調子で行けば、中学の課題においつくことも可能だよ。でも、進学校に行くには、おいつくだけでもだめだね。皆をぶっちぎりにする必要がある。さらに、がんばっていこう!」
そうは言わないでしょうか。

次につながるほめかたで、どんどん先にすすめていくのではないでしょうか。

げんちゃんの学習は、病人にたとえるなら、昔は寝たきり状態でした。

横で看護する方は、とにかく、口に食べ物を運び、食べてくれたら、喜びほめる・・・その繰り返し・・・

でも、今では、げんちゃんは、ベッドを置きだし、リハビリ室にやってきました。自立歩行をするために・・・・
「歩けたね~・・・すごいよ。」
それだけでは、げんちゃんは、リハビリ室をハイスピードで突き抜けることはできないでしょう。げんちゃんの最終目標は、競技場で走ること。ほかの選手は、すでに、グランド練習をしています。

・・・今日のリハビリはよかったよ。すごいね~・・・で終われば、絶対に、競技に出る選手にまではなれない。
 そうです。げんちゃんがトライしているところは、リハビリ室にいる人が、陸上選手権に出るようなものなのです!(いえ、優勝するくらいのことかもしれません!)
  自分で目標設定して、その目標に対して、今自分はどこにいる、という客観的判断をするなんて類のことが、最もむつかしいげんちゃんたちにとって、常に、その到達点と、自分の立ち位置を提示させる必要があります。
 
 普通クラスの夏休み帳を、がんばったと褒められた。
”僕は、普通クラスの子とかわりがない”・・・平気でそういう勘違いをしてしまうげんちゃんです。自分の立ち位置をちゃんと意識できるほめ方でなければなりません。
 そして当然、大いにほめることも必要です。

「今日は、ほんとに計算がんばったね。前よりずいぶんできてるね。がんばればやれるってことがわかった?
 でも、普通は、この時間で、もっとたくさんやれるんだよね。げんちゃんはこれだけ頑張れたんだから、これからは、もっと早くできるように工夫していけば、皆に追いついて、抜かしていくのも夢じゃないよ~。今日は、とてもよかったと思うよ。ご苦労さん。」

 どの先生も、まずは、頼まれた課題をがんばれば、ほめる、というのをやります。当たり前のことですが、リハビリ室に来れたげんちゃんには、彼が掲げている最終目標を見せてあげながら叱咤激励しなければなりません。

 多くの知的障害のお子さんのトレーニングは、どうしても、大きな目標を与えられず、こなせばほめる・・・といったものになりがちだと感じます。知的障害なのに、よくがんばったね・・・こういうスタンスしかないことが多いのです。

しかし、げんちゃんは、そこを目標にはしていません。げんちゃんも、今まで、大変な日々をがんばってきたのも、彼なりに、なりたい自分があるからなのです。

ちなみに、学校でも、よくほめられます。支援クラスの子なのに、ほんとにがんばっているよ。というほめかたであるのがわかります。

先日、学校の親子面談に行った時もよくほめられました。(親子面談は残念でした。どちらを対象にしているか、お互い焦点がぼけてしまいました。特別な意図がなければ、親子面談はやめたほうがいいですよ。笑)  
 げんちゃんは、確かにがんばっているし、学校でがんばっているポーズを作ることもうまくなっているげんちゃんです。手放しでほめられていると、げんちゃんは、自分が普通クラスに行ける能力がついてきているのに、お母さんや先生が、支援クラスに入れてしまっているんだ・・・と、ついつい勘違いしてしまうように思います。

 あくまでも、支援クラスなのに、がんばっているね。という意味合いだ、ということは、まだまだげんちゃんには、くみ取れない領域です。


だから、今のげんちゃんに対しては、その場その場だけのほめ方は注意しなければなりません。

リハビリ室に来たら、今度は、自立歩行を目標にしています。自立歩行ができれば、今度は競技練習です。
げんちゃんがチャレンジしているところは、はるかかなた・・・げんちゃんには、障害を乗り越えて、一人の人間として、自立した豊かな人生を送っていくという、大きな目標があるのです。
げんちゃんは、神様からそのチャレンジを受けています。

その成功を、心から信じる人間でなければ、そこまで彼を持っていくことはとうてい無理です。

げんちゃんを応援してくださる先生方には、そこをお伝えする必要があります。

ずっとブログを読んでくださっていたというユリ先生、げんちゃんの手ごわさ、大変さ、いやというほど味わっておられるようです。感謝です。

追記
しかし、げんちゃんとは反対の、繊細で、悔んだり落ち込んだり、普通の子以上に、自分の立ち位置にこだわって、くよくよしてしまうようなお子さんのタイプなら、原則は同じでも、各論はもう少し、ソフトなアプローチを工夫しなければならないかもしれません。
 






by glow-gen | 2018-08-03 01:29 | ほめるということ | Comments(10)



中学2年の息子。5歳で、発達障害発覚、改善に取り組むママの格闘と改善ノウハウの記録。
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げんちゃんママの紹介
中学2年になる息子げんちゃん。5歳の秋に、発達障害が発覚。最初はショックだったけれど、脳はまだまだ未知数。ママがなんとか素敵な子供に育ててみせるぞ~。最初はIQ60、・・コミュニケーションも微妙。身体もふらふら、はさみもにぎれず・・・もちろん絵もまったく描けず、5歳なのに、ほとんど2歳児みたいでした。いや、それ以下の機能もたくさんありました。
 「子供の脳に良いこと」を書かれた鈴木昭平先生が主催する、エジソンアインシュタインメソッドに出会って、ママが改善をさせることを学びました。そこを皮切りに、日々研究を積み重ね色々取り組み、相当改善してきました。、たまたま支援クラスができなくて、普通クラスの1年生に入学しました。2年の2学期から、支援クラスができて入ってます。算数の学習障害は、ひどく、相当苦労してますが、毎月毎月、必ず進化しています。日々はらはらどきどき。 天才ぼうやに育てるべく、奮闘中。パパと一人暮らしをしている大学2年生の娘と、医療関係に働くワーキングママ。
 近くに住む、お姑さんに手伝ってもらいつつ、がんばっています。
1年生の2学期から週に1.5日学校を休ませて、ママがおうちでホームスクールをやりました。4年からは週二日になりました。さらに、5年の9月からは、2.5日に増え、3学期からまた、週2日にもどし、6年の後半からは、週に1日に減らしました。
近くに住む、主婦のK先生のおうちで、ママが仕事でできない日は、ホーム学習のお手伝いをしてもらっています。
 5年生からは、算数以外、試験的に普通クラスにシフトという快挙です。6年生は、すべて、普通クラスですごすようになりました。発達の改善に取り組みはじめて8年の歳月は、子どもをどんどん改善していきました。
 6年になって、不思議なセラピストのS先生に出会い、発達障害は意識の障害だ、ということを認識しました。意識が抜けたような状態のげんちゃん。その部分が改善されれば、発達障害のコアな改善につながると、がんばっています。中学は、地元の公立中学へ入学。国語と算数だけ、支援クラスで、マンツー指導を受けています。ホームスクールは中学からは中止しています。
IQは80台に改善<

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