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げんちゃんの発達障害プロジェクト

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げんちゃんの見事な(?)クズっぷり。

げんちゃんの意識障害はほんとにひどくて、前回のように、ユニークなとこが出ることも、まれにあるけれど、意識がぬけてしまった日は、精神疾患患者として考えて、あきらめないと、こっちの身がもたないという感じです。

 先日、人生初の良いパフォーマンスを見せたので、ついつい、この調子で、期末試験を乗り切れる、とぬか喜びしたのもつかの間、またまた、すさまじく奈落の底へ落ちています。

 比較的安定的に進む発達障害のお子さんもいるのでしょうか。私は、げんちゃんのこの、激しく落ちる、つまり、意識が抜けて、つきものがついたみたいな状態になることに、毎回苦しんでいます。

 先日の、まるで普通の子のような学習パフォーマンスを知っているだけに、10回以上やった英語の単語は出てこない、文法なんか、あったものじゃない、朦朧としたような目で、でたらめを言うさまを前にして、万事休すみたいになります。。

 ただ、昔なら、その状態にはまり込めば、もう何をやっても形にもなりゃしなかったけど、そこそこ、表面だけはやってる感じに、装ってくるところが、成長ではありますが。

 先日、学校に行ってみたら、最後の英語の授業で、20問ほどの単語のテストをやったらしく、皆が提出していました。げんちゃんは、見るのもおぞましい汚い字で、3つくらい書き込んであとはほったらかしです。
 同じパターンのプリントを1年のいつだったか、きっちり全部書き込んでいて、花丸をもらっていたことがあったことを思い出します。

 あの時、きっと私は、は~、できるようになったのね。と大喜びしたと思いますが、どうどうめぐり!
居残りさせてやらせて提出させました。しかし、ありえな~いと思うくらいやった単語は出てこない。

 先生が寄ってこられて
「がんばったね。ほかにも出してない子が何人もいるよ~。げんちゃんがんばってるね。」

と声を掛けました。思わず私は、手のひらでさえぎってしまいました。

「先生。だめです。そんなこと言っては・・・」
私は、げんちゃんの意識障害と、げんちゃんの勘違いしまくる横柄な逃げ心・・・・まあ、手短に説明させていただきました。

”支援クラスなのにがんばっているね・”・・げんちゃんの場合、これだけは、ほんとに迷惑。もうほんとにやめてほしい!
先生方の朝の朝礼で、前に出て、説明とお願いをしたいくらいだわ!

知的障害児には、赤ちゃん言葉みたいなので、やさしく接すればいい、と、なんとなく思っている人はほんとに多いですよね~。

私だって、げんちゃんの親になっていなければ、漠然とそうしてたと思います。なんたって知らないのだからしょうがない・・・。こつこつ先生方にことあるごとにお話しするしかないですが、なかなか大変です。


さらに、その日、帰りに私がいっしょにいるのに、げんちゃんは、何も言わず、行先も告げず、ふらふら一人でどこかに行ってしまいました。普通なら行先を告げるでしょうが、そういうこともまったく頭に浮かぶことはなく、ただ、目の前のしなきゃいけない、と思ったことだけ。隣にいる人への配慮など考えることもない! しかたないので、玄関でぼ~っと待っていました。

 さて、その日は、帰ってからもひどくて、捨てるしかなく、翌日復活を祈るしかない。

しかし、朝げんちゃんは、早起きしたものの、ぼ~っとして、とうとう遅刻。Sさんに早起きすることが向上する第一歩だから、と言われれば、目的が早起きになって、起きたら終わり状態・・・・なんで、考えようとしないの??
とにかく、亡霊モードが来ると、手に負えません。  逆に良いモードは、打率3~4割・・・・おぞましい限り。(いや、打率は上がっているのか!
 遅刻するのがわかっていたので、先回りして先生に電話をかけて、もう一度今朝のひどい状態と遅刻に対する指導を、たたみかけて入力してほしいとお願いしたら、
「そうですか~。じゃあ、本人にどういう事情か聞いてみますね。」
と言う。私は、ちょっと切れかかりましたよ。

「だめですよ。もう事情はお話したでしょう。そのまま指導をしてほしいんです。意志を聴くとか、事情を聴いてみるなんて、もってのほかです。そういうことは、ある程度対等な関係の人にすることです。げんちゃんは、そういうステージからは程遠いんです。そんなことをすれば、自分が対等だ、自分は普通にできるんだ、くらいに勘違いするんです!
 もう事情はお話しましたから、指導してほしいんです。3歳児に指導する時に、本人の意思確認とか気持ちの確認なんてしますか? 何がだめだ、とトップダウンで指導するでしょう!」

いやあ・・・ほんと。久々に、先生に強い口調で言ってしまいました。

 普通の子には、その子の意志、事情を尊重する、なんてことも必要でしょうけど、げんちゃんの心の成長は、まったく低次元です。

 げんちゃんは、学校では、一見素直に見えて、先生の受けもいいですが、私にはわかります。担任の先生をなめています。
「あんな、先生やめさせればいいんだよ。」

このセリフは、私がげんちゃんに、
「先生がほめたのは、あなたが支援クラスのわりにはがんばったね、っていう意味だから。」

と言った時に、ぽんと帰ってきた言葉です。
自分ができないから、謙虚にがんばるぞ、なんて気持ち、みじんもないじゃん! よくそこまで、上から目線とれるよね。

げんちゃんの心の成長は、はなはだしく遅く、やっと自分が少し捉えられてきたくらい。そして、普通の感情はほんとに育ちにくいのに、
逃げたり、ズルしたり、めんどくさいこといやなことは切り捨てたり、相手を見くだしたり、そういう人間のサガみたいなところは、きっちりと野生のカンがビシバシ働く。

そうなると、たくみに逃げたり、横柄さだけ暴発させたり、そのクズっぷりは見事なものになります。

「げんちゃん、今日のクズっぷり、すごかったですよ~。」

今日もK先生の疲弊した電話の声・・・・。

 ほんと、Sさんが、ダイヤモンドの周りのごみさえまだ取れてない。と言った言葉が、頭の中でリフレインしちゃいましたよ~。
長いトンネルと、つかの間のまともな風景。それでも、少しずつは、上がってるよ。というSさんの言葉を信じるしかない私です。


by glow-gen | 2019-06-07 02:06 | Comments(13)

表面をつくろうことと、真に努力することは違う

   げんちゃんは、水面にやっと浮上してきたと書きましたが、ほ~んと、そこからぽ~んと行くことはなく、陸に上がった歩みも、まさに、一歩一歩補助がいりますよ~。やれやれ。

げんちゃんは、運動会でスウェーデンリレーの選手に選ばれました。50メートルの記録上位者から、10人近く、二つのリレーにエントリーさせられたようです。げんちゃんは、10人目くらいに入ったのでしょうか??
 でも、毎年、徒競走はビリばかり。なぜ選ばれているのか、不思議でしょうがありません。

 それに、げんちゃんは、リレーに選ばれていることにも、なんの感慨もないようです。私がそのことを知ったのは、学校からもらったプリントでした。

 もしかしたら、先生方は、げんちゃんには、いい経験になると思っていらっしゃるのかもしれませんが、げんちゃんは、リレーの意味も考えず、ただ、その時間がくれば、なんとなく走るだけになると思われます。ひどい場合は、失格にさえなるようなこともやりかねない。

 げんちゃんをせっかくリレーに出させてくださるなら、事前の演出が必要だし、的確な声掛けも大事です。

先生と話しました。
「あの、メンバーに選んでいただいたのは、うれしいことなんですが、本人に何の自覚もなくて走らせても、まわりに迷惑をかけるだけになると思います。直線だったら、少しは早かったのかもしれませんが、トラックリレーで、バトン渡しまであるスウェーデンリレー、しかも、150メートル。げんちゃんにはハードルが高いでしょう。

 本人にも、一度意志を確認していただけませんか。リレーの意味や責任を話していただいて、出たいのなら、事前に意味を教えて、練習をさせ、演出もしっかりしなくてはなりません。そうしないと、せっかく成長のチャンスがあっても、すべて無にしてしまいます。」
 
 2年目になる支援の先生です。

「この子は、心の障害です。普通の人と同じように感じられないっていうのが、そもそもの病態なんです。ただやらせるだけでは、何の効果も生みません。」

毎回のように、そこを力説してしまう私。どうしても、げんちゃんたちのような子は、精神面はある程度、自分たちと同じ、頭が悪いだけ、ととられてしまいがちです。

 そういう話し合いのあと、先生は、げんちゃんにスウェーデンリレーの出場の意志を訪ねてくれました。どうも、選出が決まった時は、自分の考えや気持ちを、その場で言えなかったげんちゃん。(まあ、言えるわけはないわな。どう感じるかさえ、あやふやなんだもの。)たどたどしく、
「あの~。スウェーデンリレー出てもいい。選手決めがあったとき、なんとなく、決まって、自分の気持ちは言えなかった。150メートルを走ることになっているけれど、距離が長くて走れない気がする。」

こういうことを主張したようです。これも、私が、あなた、150メートルなんて走れるの? どれだけの距離だかわかるの? 、なんて言っていたために、言えたことで、私の言葉がなければ、こんな気の利いたことは言えるわけはありません。なんたって、距離、時間、いまだに、つかめていないげんちゃんなのです。

 さて、ここから面白いことがおこりました。支援の先生が動いてくださって、スウェーデンリレーの距離の短いパートの子と変わってもらったようです。スウェーデンリレーというのは、後になる走者の距離が、伸びていく競技です。げんちゃんは、150から100にかわってもえたようです。

しかし、すでに、エントリーの締め切りは過ぎていました。そのあとでの変更は御法度だったようで、支援の先生は、みんなの前で、げんちゃんがかわったことの了解をとったようです。

あからさまに、げんちゃんが支援クラスであるということを口に出したかどうかわかりませんが、配慮してもらいたい、という内容だったようです。

誰が見ても、げんちゃんが支援クラスだということが、強調されるような場面。
げんちゃんは、恥ずかしい思いをしました。

これは、私的にはナイスな演出でした。このできごとで、あっというまに、スウェーデンリレーのインパクトは大きくなりました。

しかし、支援クラスにもどって、げんちゃんが恥ずかしがったので、先生は、渾身の力で、フォローに入ったようです。
「支援クラスって、恥ずかしいこと? そうじゃないよ。げんちゃんはがんばっているんだから、ぜんぜん恥ずかしくないんだよ。」


げんちゃんは、おもいっきりフォローされてしまったのです。げんちゃんは、そこでいっきに、自分の日ごろの取り組みを、ほめられた感じになりました。
 先生は今のげんちゃんのすべてを肯定してくれた・・・・どうも、理解の状況が一転してしまったようでした。あらら。

 げんちゃんの恥ずかしさは、表面をつくろっている、その化けの皮をはがれたような恥ずかしさ。真になりふりかまわずがんばっているのに、うまくいかない、という情けなさとは全く違うのです。なんせ、げんちゃんは、認められたい、という思いで、外側だけを飾ろうとしているのです。 モチベーションはあがったものの、それを正しく行動に移すのではなく、表面だけつくろうことで満足している。私は、考えてみたら、ずっとそこと戦ってる。

げんちゃんの場合は、そこで肯定するようなことを入れてはいけなかったのです。

 表面をいくらつくろって、心を入れずに、形だけがんばるスタイルをとっても、絶対に普通クラスレベルにはならないよ、と、そこはダメ押しの場面だったのに。

 まあ、なかなか、げんちゃんのステージをとらえて、的確な言葉かけをするのは、2年目の先生でも、難しいことを思い知ります。

すぐさま、また先生とノートでやりとりしました。

せっかくのナイスな演出のあと、フォローはいらなかったと思います。今げんちゃんが落ちいっていることは、意識を入れてがんばるのではなく、表面をつくろう、というスタイルです。それを肯定された、と感じてしまったようです。

まだまだ、そんなんじゃだめでしょ。支援クラスのあなたへの、特別配慮が恥ずかしいっていうんだったら、まずは心の底から頑張る気持ちを出すことが大事だよね。

 そこで止めておかなければいけなかった。げんちゃんは、まだそのステージにとどまって安住しようとしているのだから。

 一般的に、普通になされる対応が、あるときは、げんちゃんの命取りになります。ほんとに、こういう一言で、あっというまに、げんちゃんの状態が揺れ動くのを、何度経験したことか!

 さて、このスウェーデンリレーは、この事件を皮切に、今のげんちゃんがよくわかる展開になってきました。続きは長くなるので、また書こうと思いますが、毎日ドラマがあってます。

  いうわけで、前回のブログを書いてまた、私は日々やれやれの連続をすごしております。



by glow-gen | 2019-05-17 20:17 | Comments(6)

自己中につながる、メンタリティー

 げんちゃんの1年生生活は終わりました。通知表ももらってきました。2がほとんどで、美術となんかが、3だったような・・・・
通知表の点数もあまり興味がなくて、あまり覚えていないですが。まあ、1はつけないんだな~というのが、感想です。

 とにかく、げんちゃんの心の成長をテーマに後半はやってきたけれど、彼の心が、まだまだ人になりきっていないような部分が多くて、勉強どころではない・・・そういう感じが続いています。

 春休みになると、Sさんと1年生最後の合宿にいきました。大分から佐賀と、今回は電車やバスを使って行ったようです。電車やバスをアレンジする、まあ、そういうことをやらせてもなんとかなるというところに、やっとなってきたのでしょうね。
げんちゃんに言わせると、
「楽しいことをS先生が横から消してくる感じ。」
らしいので、一見楽しい父子旅行に見える合宿も、的確に、言葉かけしながら、げんちゃんの心をゆさぶっているSさんなんでしょう。
合宿の効果は、すぐ現れることもあるけれど、1か月くらいしてじわじわっと、ということもあります。でもとにかく、次のステージには上がります。

 帰ってきて気合が入っている部分もあって、朝真っ先に起きて、合宿の下着を洗濯機で洗っていました。がしかし、洗濯機に入れてあるほかの洗濯物は、取り出して床に放り投げていて、自分の少量の下着2~3枚と靴下のみ、洗濯機のボタンを押して洗っていました。普通はいっしょに洗うだろうし、入っていたものが洗い終わったものと勘違いしたのなら、他のがたまって、いっしょに洗う、というのが、世の中の常識でしょうに・・・

 洗濯機のイロハ・・・一言聞いてくれれば、と思いましたが、「おれはできるんだ。」なのか、自分の下着以外には、まったく興味がなく広がらないのか、お母さんを驚かせよう、なのか、お母さんなんか無視、なのか、私には理解不能です。

私は、寝坊してげんちゃんより遅く起きてしまいました。完全遅刻! 
「どうして起こしてくれないの?」
げんちゃんは、私の立ち位置にはたてません。
「はあ?」
仕事やばい! とばたばたしている横で、
「ねえねえ、これは何?」
と言って、ひきっぱなしのふとんをさします。いつも、そう注意されているものだから、鬼の首をとったがのごとく、私を非難している模様。

「あのね~。あなたが声かけてくれないから、お母さんは寝坊しちゃったの! お母さん仕事あることがわかっているんだから、普通は、声かけてくれるものだよ。自分が、目覚ましとめちゃってるんでしょ! 私は、ぜんぜん時間がなくて困っているんだから、今日は、あなたが布団を上げてちょうだい! 」

 いらいらします。こっちの立ち位置に立てないげんちゃんは、「合宿行って、俺ちゃんとできるよ。」となっているみたいです。朝は、洗濯だけ、意識が入っていたのでしょうか。ほかは、旅行バックも居間の真ん中に広げまくり、ほったらかし。上着も、チェアの足元にほ

ったり投げています。

 なんか、ちぐはぐちぐはぐ。仕事に遅れるとばたばたしている私のことも、そんなことは知ったこっちゃない。自分のことだけ。こっちが、余裕がなくばたばたしているときは、げんちゃんって、何にも役に立たない、どころか、ほんとにうっとおしい。

こういう状況になると、げんちゃんの自己中が、クローズアップされます。パートナーが発達障害という方の一部は、こういうタイプのストレスって、かなりあるんだろうな、と、思いをはせました。

 もう身長も私を追い越しているげんちゃん。期待してもだめよね、とわかっていても、ほんとにいらいらする。日々、たくさんやることがある私が、どれだけ、気持ちをさいて、あなたにかかわっているか。時には、わかってほしい、そういう気持ちがあると、ほんとに、つらいものがありますね~。小さな子供だったらあきらめもつくけど、こんなにでかくなってるのに、なんなのこれは!
 そういう気持ちになるのは、ほんと自然なことだと思います。
 だから、なんとしてでも、この自己中につながるげんちゃんの障害を、しっかりなおしていきたい、と思います。


昨日K先生と話しました。K先生曰く

げんちゃんは、まるで、幼稚園児みたいな感覚のところが多いですよね~。いや、幼稚園児は、ある感覚があるけど未熟なだけで、それがだんだん年数とともに育つけれど、げんちゃんは、そもそもない。そんな部分も多いですよね。」

ほんと、勉強どころじゃないし、たとえ、なんとか、外側は作ってみても、これじゃあ、社会に出て何にも使えない。まずは、人間にしなくっちゃね。そんな感じです。

げんちゃんは、まだまだ、自分の気持ちを表面的なところでしかとらえられていなくて、コアなところは、自分でもわからない。なんとなくとらえて、これはやならくちゃいけないことだから・・・と表面だけつくろってみる。どうもそういうところにいるように思います。

心のしんの部分で、腑におちていない。いろんなことが腑に落ちてくるとこまでもっていくのが、今からのステージなのかな~と思います。


腑に落ちていないところで、とりあえず、表面だけをつくろったり、おりこうさんにしてみたりしているところで、褒められたりすると、直行でずるい人間になってしまう・・・・そういえば、Sさんは、そんなことを言っていました。今は、無責任にほめるのは、タブーというのは、そういうことなんだ、となんか、ちょっと腑に落ちました。




by glow-gen | 2019-03-28 14:27 | Comments(2)

発達障害の思春期は薬漬け?

  げんちゃん育児をしてきて、たくさんの苦労はありますが、思春期の苦労というのは、けっこう大変だな、と思います。
昔は、ほとほと何もできないげんちゃんを見て、発達障害とは、知的な遅れ・・・つまり、俗に言う、頭が悪いくらいに思っていたのですが、そうではなくて、精神の障害なんだな~と認識させられています。

 子供の性格にもよるのでしょうが、げんちゃんのように、自分の好き勝手な世界観でまわりを見て、感謝の気持ちもよくわからない、自分の立ち位置もあまりよくわかっていない、そのくせ、自分の都合の良い解釈で横柄な態度になる。ほんとやれやれです。
 普通のお子さんでも、思春期は大変なのに、まわりが見えない、感じることができない。感じても、捨て去る。こういうマイナスがくっついているげんちゃんは、時々、モンスターみたいです。

てなことを、年上の発達にかかわるお仕事をされている友達にぼやくと、ちょっと衝撃的なことを言われました。

「そうですよね~。発達障害のお子さんは、思春期あばれたり、とんでもない言動に困ることが多くて、ほとんどのお子さんが、どんどん薬が増えてくるんですよ。」

え?薬・・・彼女は、佐賀県でお仕事をされている方で、佐賀県は、早期に発達障害のお子さんに薬を使うらしく、彼女はそれに、疑問を感じているそうです。

 薬なんて、考えたこともなかったので、ほんとにびっくりしました。でも、確かに、一般的になされるように、基準を落としまくる教育・・・
 社会的モラルさえ、基準を落として育てる教育をほどこしていくと、発達障害のお子さんは、自我の爆発する思春期になって、薬をがんがん飲ませないといけないくらい、大荒れする子もたくさんいる、ってことなんでしょうか。

わたしの周りの発達障害のママ友には、薬の使用を育児の中心に据えているようなタイプはいないので、そういうスタンダードがあることに、ちょっとびっくりしてしまいました。

いや、もしかしたら、私がやってきたことの方が少数派なのでしょうか・・・・

でも、もう一人の友人の発達ママも、ある親の会に参加したら、グループラインは、いつも薬の話題で、どの薬がどう効いた・・・・そのようなことばっかりで、ついていけなかった、と言っていました。

この話は、私にとって衝撃的だったのですが、考えてみれば、発達障害が精神障害なのであれば、薬も当然なのかもしれませんよね。

 だって、日本では、精神疾患の主な治療法は、薬物療法ですからね。精神科や心療内科にかかる人の多くは、ほとんどが薬にたよっています。病気によって薬で緩解する方もいるとは思いますが、私が医療現場で見る限りでは、薬漬けで、精神疾患からさっさと抜け出てくる人を見たことがありません。真の原因療法でないかぎり、薬は、せいぜい対症療法で、なかなか完治には結びつかないと感じます。

今までの日本の精神医療が、精神疾患に大きな成果をあげていないことを、私は見てきました。

 それゆえに、医療に過剰な期待はないのです。私は、薬で発達障害が治るとは思わなかったし、それによる、弊害の方が気になったので、薬を飲ませようと考えたことがありませんでしたが、世の中は、いかに、薬で発達障害を改善させよう、もしくは、まわりにかける迷惑を減らそうとしているのだな、ということを知りました。
 逆に、げんちゃんの発達障害がわかった時に、一番縁のないのは病院だな、とさえ思った私でしたから、私の常識は、一般からすれば、ずいぶんずれていたのかもしれませんね~。

 多くの、薬を増やしている発達のお子さんのことを思うと、げんちゃんは、これでもましな思春期を乗り越えようとしているのかもしれませんね。
上がったり下がったりと振り回されて、私一人では、なかなか対処できていませんから、私は、偉そうなことはまったく言えません。

S先生は、発達のお子さんだけではなく、独自の方法で、パニック障害など、多くのクライアントさんを治した経験を持つようです。薬の話をすると、そもそも、医学界は、精神疾患の本当の原因をわかっちゃいないからな~・・・薬を使うくらいしかできないんだよね。と、ため息交じりにつぶやきます。

医療現場にいる私もついうなづいてしまいます。げんちゃんを病院に連れて行くのなんて、時間の無駄とさえ、平気で思っているふしがあります。・・・就学時診断名をもらうときだけ、とりあえず、お医者様の力を借りましたけど。

もちろん、独自にいろいろ取り組んで成果をあげている医療機関もあると思いますから、すべてではありません。また、改善を中心にすえて、薬も上手に使うママも知っていますから、それは上手にやってるな~と思います。薬を徹底非難するわけではなく、薬こそ、発達の改善法だ、という考え方には違和感を覚えます。

でもとにかく、発達障害の思春期、大変な思いをしている発達ママたちにエールを送りたい気持ちになりました。







by glow-gen | 2019-03-07 20:11 | Comments(5)

3回目の定期試験。考えながら学習する、ってことの感覚が少しつかめたのかな?

  
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実技科目は、チャレンジタッチに実技のまとめブックがあるので、それと、学校の内容を照らし合わせて、語句の暗記プリントを作ります。タッチの該当ページと、もらったプリントを照らし合わせて、互いの部分から必要な部分だけコピって、それを2部作り、一つを、黒がけして、もう一つを答えの方にします。勉強させるときは、黒がけの方を使い、テストの直前やその日の朝、ざっと読むしかない時は、答えの方を使います。答えの方には、マーカーで、間違えやすいところに線をしてます。

5教科も、直前シリーズ1日目、2日目、3日目、を作って、それぞれのファイルに入れます。直前になったら、K先生のところにも、ほとんどこれだけしか持たせず、しぼってやります。




今回の期末テストは、色々な困難がありましたが、やはり、げんちゃんは成長しています。

前回は、試験に向かう気持ちが芽生えているけれど、集中できる時間もレベルも、まだそこに達してなかったと言ってよいでしょう。

 私が労力をさいて、せっかく用意した学習準備も、消化できずに”猫に小判”となって、私は、ほんとにもんもんとしました。あと、これをするだけでいいのに、何でそこまでぼ~っとしてしまうの? そんな感じでした。

 でも、今回は、だめだめな時も含めて、やはり。学習への焦点の合わせ方は、前よりは上がっていました。

テストに向かう気持ちはちゃんとあって、そこそこ持続して、自分を集中させうることができています。

試験の二日目を終えて、かなりいっぱいいっぱいになったけれど、幽体離脱はしてません。集中力が落ちていても、幽体離脱までいかない、ということは、げんちゃん今までではなかったことです。

 初日は”理科”と”技術家庭”、”美術”です。

技術家庭も美術も、事前に範囲のプリントをコピーして、一問一答のような感じで資料を作りました。

一度簡単に、前もってやらせていました。それゆえに、前日はそれを反復するだけでよかったです。前日初めて実技教科(技家、音、美、体)をさせると、まったく不十分だし、5教科の方が、足を引っ張られるので、とにかく、簡単でもどこかで一度目を通させる。実技科目の準備の私なりのコツです。初日の技術家庭と美術はそれができました。

 理科も、なんとか、前日にしぼって総ざらいできたし、初日というのも手伝って、もっとも今回うまくいってるんじゃないかな。

 理科をやらせていて感じるのは、げんちゃんは理科は好きな科目で、意識の焦点合わせも、そこそこうまくいくようで、そういう条件のもとでは、げんちゃんの理解力の進化がはっきりと読み取れます。もちろん、濃度計算とか、ちょっとでも算数の色合いを帯びると、なかなか感覚的に捉えられないようで、苦戦しますが、前よりはましな気がします。

初日を終えて、帰ってくると、げんちゃんいわく
「できた~・・」
まあ、できない子ほど、できた~と言う傾向にありますよね。笑


さて、今回私がどうかな、と気にしていたのは、二日目です。げんちゃんは、二日目、集中がもつだろうか・・・・ということです。
意外にも、げんちゃんは、すぐに学習に入れました。二日目は英語と体育、国語です。

二日目の学習も、昼から夜まで、ずっとがんばりました。幽体離脱はしてないし、意欲はあるけれど、かなりお疲れモードです。
体育は、残念ながら、私が間に合いませんでしたから、前日もらったプリントを、解説を入れながら、ざっと読ませただけ。・・・これは捨てるしかないな、というかんじ。


英語は苦戦しています。なんせ、なかなか単語の綴りが覚えられないし、前日になって、Be動詞の文と、一般動詞の文が、ごっちゃになってしまって、Do you~となる文を、突然、Are
you~ と言ってみたり、それどころか、何をいまさら? みたいな、でたらめな文を作ったりしています。

ほんと、あれほどやったし、幼稚園の時から英語教室にも、通えるだけ通ったじゃない!
とヤツにすごみたくなります。 

今更、前日になって、Be動詞の構文の疑問文やら、否定文・・・・そういうのを、今更こんこんと説明する羽目になるなんて!

初めてやるかのごとくです。
なんで、この子は、勉強するときに、まったく考えないのだろう! 考えながらやれば、法則も見えてくるだろうし、違いもわかるだろうに。たぶん、頭を空っぽにして、何となくやってるだけなんだろうな~と思います。

 毎回私たちが、頭にインプットしようとしたものは、ぼろぼろこぼれ落ちて、拾い集めた落ち葉みたいに、机の隅にでも積もっているんでしょうね~。まったく・・・。

ため息をつきつつ、図説していると、とつぜんげんちゃんが言いました。

「あ~!考えながらやればいいんだね。」

「は?」

げんちゃんが、突然、ひらめいたように言いました。

なるほど、考えながら勉強するというのは、彼にとって新鮮な体験なのね! やれやれ・・・

「いつも、あなたは、な~んも考えないで、ただぼ~っとして勉強するから、これだけやってきてるのに、英語もぜんぜんわからないわけよ。何年も習ってきたにもかかわらず、ただぼけ~っとやるだけだから、普通クラスのみんなに追いつかないの。!
やっとわかった~? 」

「そうか~。考えてやるんだ!」

なんじゃそりゃ! という感じですが、発達障害のげんちゃんのような子は、意識を入れて勉強するという感覚自体、新鮮な体験になるんでしょうね。私は、ちょっとびっくりです。でもまあ、うれしい気づきです。・・・

げんちゃんは、考えて勉強するということに、初めて開眼したようだったけど、残念ながら時間切れ。お疲れモードがピークになって、途中でやめて深い眠りについてしまいました。

 こうして、二日目が終わりました。

もうさすがに、そこからは幽体離脱一歩手前です。せっかくやらせようと思っていたプリントもすべて、空しくおかれたまんま。
K先生のところで、なんとか、3時間だけ勉強して帰ってきたげんちゃんは、まだ幽体離脱はしていないようです。幽体離脱まで追い込むと、入った物さえ、すべてなくなる。そんな感じなのでおそろしいです。

K先生のところに行って、
「ぼくね、気付いたんだよね~。考えて勉強するんだよ。」

と、げんちゃんは、再度得意げに言ったそうです。

とこういうわけで、今回も色んなドラマがありましたが、なんとか終えることができました。
結果は期待するとがっかりするので、30点越えを目標にしましょう。

は~・・・私は、今回もまた、ほんとに疲れました。

そうそう、こりゃだめだ、と思った英語も、帰ってくるなり
「ちゃんと、ピリオド気をつけたよ。」

と言ってきたので、テスト中も、幽体離脱せずがんばったんだろうと思われます。

考えてみれば、テストの意味も把握できないような入学当初からすると、よく伸びているのかもしれませんね~。

追伸
 英語を終えてわかったのですが、英語って、とても数学に似ています。文法を説明するために、文字をきちんと順番に書いて、それを入れ替えて説明していると、まるで方程式のようで、げんちゃんが苦手とするのがよくわかります。お友達で、でこぼこが逆の発達君は、数学と英語が得意らしいです。

英語は言葉、と思っていたけれど、数学的な知覚がいるのではないかと思いました。
英語を攻略させていくことで、もしかしたら、数学的な感覚も養われるのかも知れない・・・だといいな~・・

英語。なかなか手強いですよ。


by glow-gen | 2018-11-16 14:19 | Comments(7)

発達障害といっても、タイプはまちまち。げんちゃんへの今回の指導

  試験勉強も宴たけなわになってきたのに、げんちゃんの落ち方はひどかったです。

週末から、げんちゃんは、言うことをまったく聞かなくなり、それどころか、自分の好きかってしたいモードに入ってしまいました。これまでも、良かったり悪かったりと、安定していなかったので、この週末こそは、試験勉強に打ち込みたかったのに、・・・


どうも、力関係が上になったような口の利き方で、そういうとき特有の蝋人形ばりの、不感冷徹な態度になっています。私はとうとうあきれて

「あ、そうなの。じゃあ、自分だけで勉強するといいよ。もう試験勉強は手伝わない!」
げんちゃんが寝付いてから始めるテスト準備は、時に、朝5時までかかったりして、もう私もくたくたです。そこを押して、勉強見てやろうと思っていた気持ちはすっかり萎えました。

寝る前に、どうせげんちゃんの共感なんて得られないのはわかりつつ、
「お母さん、あなたの準備で、全然寝てないのよ。そういうのどう思うの?ママ死にそう・・・」

「はあ?別にそういうことは何も思わない。」
冷徹な蝋人形モードのげんちゃん。やれやれです。このモードに入ると、めんどくさいことは、いつにもまして感じないことにする、という特技を、目いっぱい働かせます。もともと感情は動きにくく、それをうごかすために、いつもへとへとになる私とK先生・・・これは、心が動きやすい繊細なお子さんを持つママにはわからないだろうな~と思う、げんちゃんの手ごわさです。

S先生によると、それというのも、げんちゃんは、ほんとに意識が、奥深くに眠っていた子で、やっとそれが、なんとか外に出るようになったものの、意識の中の、浅い部分にあたる感情と、深い部分の理性的な意識がぶつかりあっている状況にあるのだそうです。さらに、空間認知がだめなげんちゃんは、相手の立場になることも、もし、というシュミレーションにたった発想も、なかなかできないと言います。
(以前から私は、ママが死んでもこの子は泣かないだろうな、と感じてしまうのもしかりだそうで、実際ママが死んでみないと、シュミレーションは無理なんだとか・・・ため息)

それに、今までは自分の感情さえ、自分で捉えられなかったのが、多少とらえられるようになって、それが楽しくて、暴走するのだとか。正しい方へ行かねばならない、というのも、少しはつかんでいるけれど、感情が低い方に引っ張っていくのを止められない。感じようとすれば、少しは感じられることでも、めんどくさいことは、感じないことにする。感じたいことだけを感じてにぎっていく行動パターンが暴走していきそうになっています。

意識を目覚めさせたばかりのげんちゃんは、方向性が決まるまでの不安定なステージにいて、どっちにも転がる、危険な状況なのだそうです。

S先生は、私に言いました。
「今が一番大変な時期。ママのつらさわかるよ。この時期に正しい方向に導かないと、感情を優先させる行動パターンを確立していまう。げんちゃんに甘い身内、げんちゃんのそのままを肯定して、寄り添ってしまうような指導者は、今は、さけてほしい。」

 なるほど、私が旅行中に、姑に諫言してくれたのも、そういうことだったようです。

まあ、K先生も私も、げんちゃんのしたたかさ、ずるさは、熟知しているので、肯定感むんむんなんて、できるはずもないので大丈夫ですが、時々ヤツは、人を見て、上手に態度を変えてくるので、相手がつい、げんちゃんを図に乗らせてしまうこともありうるのです。


まあ、そういうわけで、土曜日は、げんちゃんをほっといて寝ました。疲れて爆睡です。

さて、朝になると、げんちゃんは、勝ち誇ったような態度で言い放ちました。

「僕、ちゃんと勉強したよ!」
私が寝た後、しばらく、一人でテスト勉強した様子でした。  ほう・・・・それは今までにはないことかも・・・

でも、チェックすると、なんと、範囲も確認せずに、まったく関係ないとこをやっていたことがわかりました。
にもかかわらず、げんちゃんの顔には、おまえがいなくても、これだけできるんだ・・・という高慢さがあふれています。私は、冷ややかに言いました。

「あのさ~。テスト範囲見たの? 付箋のとこをやったんだろうけど、付箋は、1学期のテスト範囲だよ。あなたは、ぜんぜん違うとこやってますけど。」

とたんに、げんちゃんは、びっくりした表情になりました。すかさず私はつっこみます。

「げんちゃん、自分一人で勉強しても、ぜんぜんまともなことできてないじゃん。普通の子なら、テスト範囲も把握してなくて、やみくもに勉強することなんてないけどね。」

「あー・・・」

その瞬間、先日からの力関係が逆転しました。
「一人で勉強できたって言うけれど、げんちゃんは、今のところ、ぜんぜん一人でできてないわけだよね!」
私は、げんちゃんを横目でにらみつつ、ここぞとばかりに一撃を加えます。

「それなのに、私に偉そうな態度とって、あなた、それで、まともになれるなんて思ってるの? ずれてるよね~。普通と、ぜんぜんずれていることがわかるでしょ・・・」

とうとうげんちゃんは、ここんとこ続く、暴走した態度を収束させました。
私は、ゆっくり間をとりつつ、静かに紙を出して、マインドマップをしてみます。

「テスト。・・・これって、いつ? ・・・じゃあ、今何考えないといけないのかしら?」

「時間・・」
「それで・・・・?」
しばらくして、範囲、という言葉が出てきました。それから、試験前の状況ではどういう風に過ごすべきなのか、また、ママの力あってのテストということをたんたんと教えてやりました。げんちゃんは、平気で、自分はできてる、と勘違いする。またメンタルも強く、暴走すれば止められない・・・しっかり、立ち位置の確認と、歯止めというくぎを打った次第です。

さらに、教会でこういう出来事が重なったのもタイムリーでした。
「うちの家は、狭くてぼろだけど、げんちゃん今度ママとおいで。」
と言ってくれた友人に
「あ、そうだね。犬小屋みたいだよね。」
と言って、みんなに矯められました。実は、教会のみんなに、げんちゃんに、絶対甘くしないでくれ、と頼んだばかりでした。よかったよかった。
 げんちゃんは、言っていいこと悪いこと、まだぜんぜんとらえきれてません。普通の子が甘えからやることとわけが違う。目こぼしして、ジョークの部類に笑ってしまえば、それを、そのまま誤認識してとってしまう。みんなしっかり、細かく指導してほしい・・・と。

この二つの事件がエポックになって、げんちゃんは、なんか、一つ階段を上ったようです。まだ不安定ですが、下に落ちていくのが止まった…そんな感じ。私への態度が、ぐっと改善したのです。
試験前ぎりぎりで、底を打って上昇・・・・時間切れ感はありますが、なんとか、試験スタイルをとって試験に突入することができました。







 

by glow-gen | 2018-11-15 00:37 | Comments(8)

メタ認知に通じる一歩かな? 普通クラスでのバスケット

  げんちゃんは、1学期でも、自分の考えていることを、きちんと言えない。ちょっとしたことを報告するのでさえ、なかなか難しい。そんな子でした。
もちろん普通にしゃべっているようですが、どこかふわふわしていてとらえどころがありません。

ところが、昨日、変化していると感じるできごとがありました。

 げんちゃんの学校で、体育の時間に、バスケットボールをしたようです。げんちゃんは、その時、どうも、ルールもわからない、自分がどう動けばいいかもわからない状態だったようです。小学校時代はサッカーをさせていたけれど、ルールのことなんて、たいして意識にひっかけたこともないような子だし、つながりを見いだすことはまだまだ苦手ですから、バスケに応用することもできません。
事前に、教科書で、ルールを学んでいたようですが、もちろん、理論的なことを把握することは無理だったようです。

そんな状態で参加していると、ついには、周りの子からバッシングを受ける状況になったようです。

どの程度のバッシングなのかはわかりませんが、げんちゃんの心に圧力をかけるに十分だったようです。

 げんちゃんは、困ってしまって、次の行動に移りました。合間の時間に、先生にルールを聞く。(明確にルールを意識して聞いたのかは不明ですが、先生に対して、何らかのアクションをおこしたのでしょう。)それでも、彼に言わせると、あまりよく教えてくれなかった。
 とにかく、少々のことがおこっても、ただ、ぼ~っとして、聞かれても、ただ「はい」かたどたどしく、ぽつりぽつりと、単語を発するにすぎないげんちゃん。そういう姿しかイメージできない私。先生に、聞いた場面なんて、言われても、想像すらできません。

 さらに驚くのは、げんちゃんが体育のあと、そのことを捨て去ってしまわずに、なんとかルールがわからないかと、教室で体育の教科書を開いたということです。結果はわからなかったにしても、私はイメージできません。

 おまけに、げんちゃんは、このあと、支援クラスの先生に、ことの顛末を自分の言葉で、長々と説明したらしいです。


 支援の先生は、げんちゃんの訴えを聞き、ちゃんと状況が把握できたようです。先生は、げんちゃんが、自分の困ったことを、伝わる言い方で、先生に伝えてくれたことを、連絡帳で感動をこめて報告してくださいました。体育の先生に伝えておきます、とも。

そして、その日の放課後、K先生のところで、また、そのことを長い時間をかけて聞いてもらったようです。

「勉強より、今日は、こっちが大事と思って、1時間くらい話していました。」

げんちゃんの伝えたことの中には、以下のようなことが盛り込まれていたそうです。

「ボールをどの方向に投げたらいいのかわからなかった。」
「周りの子に怒られた。」
「僕は、どうやったらいいか、わかろうとして、体育の教科書を一生懸命見たんだけど、わからなかった。」
「みんなは、親切じゃない! 先生も、教えてくれなかった。」(状況はわかりませんが、げんちゃんが納得するほどはつきあってくれなかったのでしょう。)
K先生は、これは、色んなことを教えるチャンス、と思ったようで、その話を広げていったようです。

今まで、野球も、サッカーも、ルールのことをまったく考えず、ぼ~っと取り組んでいたこと。ルールを読み取る意識の働かせ方をしていたら、きっと、今回は、ある程度読み取れたんじゃないかな。ということ。

また、もし、げんちゃんが、普通クラスの子の立場なら、クラスにいる支援クラスの子に、自分から親切に教えてあげるだろうか。
すると、げんちゃんは、いや、そうはしてないだろう。と答えたようです。

ならば、周りの子が、小学校の時みたいに、いつも親切に教えてくれるなんて、、決して当たり前のことではなくて、特別にしてくれていたんだ。ということも気付かせたみたいです。普通の世界というのは、そうそういつも、皆が親切に自分のためにやってくれるものではない。

わからないことをそのままにしないで、教科書を見たこと、先生に聞いたこと、それは、げんちゃんにとってはすごい進歩で、良いことだと励ましたようです。

そして、最終的に、普通の世界とは、自分で何でもやっていかないといけない世界であり、そこで生きていきたいのなら、ちゃんと、自分のことは自分でちゃんとできなくてはならない。

そうなると、げんちゃんは、今から何をすべきなのか。げんちゃんの、未来のイメージまでつながっていったようです。

 時間はかかったけれど、今、やっている学習、指導されるちゃんとした日常生活、そういうめんどくさいことすべて、すなわち、自分が目指そうとする自分につながっている、そういう風に漠然とでも、とらえられたんじゃないでしょうか。と先生はおっしゃっていました。

そのあとの学習は、来たときは、だらけていたげんちゃんが、一瞬だけV字回復したのだとか・・・

 確かにげんちゃんの意識は今までより外のことをとらえようとしています。また、自分がどう感じている、というのを、以前より、つかめてきているようです。
バスケットボールはこれからもあるので、どう自分で開拓していくのか、見守りたいと思います。

 しかし、げんちゃんに冷たかった(と本人は思った)学友も、支援の先生ほど関わって下さらない(当たり前だけど)先生も、良いきっかけになっています。そろそろ、少しはクラスで、痛い目にあって、本人が自分をフィードバックするチャンスがあればいいのにな~、と思っていたところだったので、よかったです。

私がかけようとしてもかけられなかった、成長のための圧が、これから、いい感じで、普通クラスでかかっていくといいです。やはり、家庭学習も、学校生活も、何もかも、げんちゃんには、はずすことができないものばかりなんだな、と思います。

少し、はらはらするかもしれませんが、ここで、ぐっと成長してほしいです。

by glow-gen | 2018-11-01 19:33 | Comments(10)

発達障害、好きなことだけをさせる。溝ではなく峰を伸ばす・・・・という誤解。

 げんちゃんのたどった様子を見ていて、私は、昔から疑問に思っていたことに、私なりのちょっとした回答を得ました。

それは、げんちゃんが、発達障害とわかった時、まわりからもよく言われたことです。

「へ~・・・でも、そういう子は、何かしら天才的な物を持っていて、何か一つのことに秀でていたりするんだよね。」

たぶん、発達ママたちは、一度くらいはそう言われたことがあるのではないでしょうか。

私は、まわりからの慰めとも思われるそういう言葉かけにちょっと戸惑いました。
だって、げんちゃんには、何一つ特徴的なすぐれた兆候は、なかったからです。

「絵が上手だったりするんでしょ。」

と言われたこともありましたが、残念ながら、げんちゃんは三角さえ描けませんでした。絵が下手なのではなく、描けないのです。もちろん、リズムも、音もとれませんから、手拍子さえできません。
音楽の才どころか、正常な聴覚さえあるのか疑わしいようなありさまでした。良いところといえば、おとなしく、にこにこしていたことでしょうか。それも、今となっては異常の現れだったようですが。おばあちゃんによると、絵本の読み聞かせも興味を示さなかったらしいですし。

さかな君が発達障害かどうかは知りませんが、彼は、小さなころから、際立って、他の子とは偏った興味を示し、お母さんは、それを、良しとして、どんどん応援して、すぐれた魚研究者になりました。ほかにも、そういう例はたくさんあって、溝を持ち上げるより、峰を伸ばすんだ、ということが示唆されていました。


 しかし、わが子を見ると、峰さえよくわからないし、たとえ低い峰があったとしても、それだけやらせていたら、何かとんでもないことになりそうな恐ろしさを感じました。

 結局私は、ひたすら、溝になっている能力を上げ、峰とはいえ低い能力も、おこたらず伸ばす。・・・・伸ばそうにも、つかめもしない項目も数限りなかったので、とりあえず、なんとかつまめるところを、必死でつまみあげてきた。その繰り返しを、毎日毎日あきもせず、あきらめもせず、積み重ねてきただけの育児でした。

 げんちゃんと、さかな君のような、それだけをさせてあげても、なんとかなる、という、尖った峰をもつお子さんと、どこが違うのかな、と、ずっと思っていました。峰ばかりどんどんやらせていくことで、大きなアドバンテージが生まれる子と、わが子のように、それだけやらせていたら、恐ろしいことになりそうな子の違い。

げんちゃんも、ある時期から、たとえば、電車に興味を持ったり、工作で、箱の一部を少し切っただけの同じデザインの、単純な駐車場とやらを、ずっと作り続けていた時期がありました。それなりに、彼の興味の偏りに従って、そればかり熱中するものがありました。しかし、そういう現象が出現しても、これだけやらせていてはだめ・・・と、私は直感的に感じていました。


 さかな君のようなはまり方とげんちゃんの違いはどこなのか。私は、かつて、ずっと疑問に思っていたのです。

げんちゃんが、何かにはまっているとき、それは、意識が抜けた自分の世界観に浸っていたのです。くるくるとらせんを書いて、らせん階段を上っていくのではなく、同じところをくるくる堂々巡りしているのです。彼が駐車場作りにはまっているときは、ひたすら、箱の同じ場所を数カ所カットして、線を同じ場所に引いて終わりです。どんなに誘導しても、それしかしません。同じループから出ることはないのです。

 しかし、さかな君たちに代表される行動はというと、最初は、タコにはじまりましたが、それを極めると、今度は、ほかの魚、やがて、現物を見てみたい、という興味にうつって、それはもう、次から次にらせん階段を上るように、進化していきました。彼の中には、明確な興味のターゲットがあり、行動も、そのターゲットに向けて、しっかりとした根拠があります。

そう、げんちゃんと彼の違い。
さかな君のような興味行動は、成長していって、より高いところ、または、広がったところにつながっていっていますが、げんちゃんの興味の先は、一点にとどまっていて、彼をある意味、安定した空虚な世界に閉じ込めているものだったのです。


私は、そのころ言葉では説明できませんでしたが、さかな君のママのようなことを、この子にしていたら、きっと恐ろしいことになる、と直感していたので、いつも、その世界から、引っ張り出して、他の物を見せようと躍起になりました。

でも、それは正しかったのです。その時彼は、自分の世界観の中にだけ存在していて、つながりを何にも持っていなかったのですから。そこで、とどまらせれば、彼の意識は、封じ込められていたでしょう。


 今回、げんちゃんはクラッシックに興味を示しました。でも、今回は少し違った。前々回のブログにしたためたように、彼のクラッシックへの働きかけは、風変わりだったけれど、それなりにパターンを変えてきました。目的意識が時々的外れになってしまったけれど、少し修正してやると、また、次の広がりにつながっていく感がありました。今でも、ほっとくと、同じループに陥りそうになりますが、言葉かけや、こちらの操作で、なんとか、らせんを上りそうな気配を感じます。

さかな君ほどのパンチはないものの、まあぼんやりと、多少は、自分の興味を自分で追及し、広げて高めていく、芽のようなものがかすかに見えた。


つまり、げんちゃんには、まったく峰がなかったわけではなく、その峰が出てくるまで、基本的な能力が、あまりにどれもこれも低かった、ということなのではないか、と思いました。もちろんIQだって、最初は、とても低かったし、聞く、見る、感じる、・・・人間の基本的な要素が、すべて胎児のように未熟だった。彼には、正しい入力も不可能だったし、ましてや、出力など、遠い夢。

 そんな闇の世界では、彼が神様にもらった、宝の箱の場所さえ、あるのかさえもわからないのは当然なんでしょう。

しかし、ある程度、すべての能力が満ちてきて、意識が解放されていくと、闇は照らされ、どの発達障害のお子さんにも与えられている、宝の箱の存在が、少し月明かりに照らされるように見え隠れした。そんな感じなのかもしれません。

 さかな君的な子は、ある程度、他の能力も初めからそなわり、一つのことを通して、苦手なことさえ、少しずつ押し上げる力がある。しかし、げんちゃんは、すべての能力が低すぎて、自力では、そういう行動はできなかった。でも、ある程度のとこまで持って行ってやると、さかな君のような、光った部分が開き出す。そういうことなのかもしれません。

げんちゃんに音楽の才能があるとか、そういうことはよくわからないし、世間で通用するような何かがあるのか、それは不明ですが、発達障害だからこその、宝の箱をやはりもっているような気がします。

私とげんちゃんは、そこに向かって旅をしているのかな。もっともっと探し、求め、努力を重ね、神に問い続け、絶対に神の箱を開けてみたいな~、と願います。

 

by glow-gen | 2018-10-06 17:25 | Comments(11)

意識が飛んでしまった時・・・中間テストが終わった

  テストが終わりました。

1学期を思わせるようなシナリオで、初日まではなんとか持ちました。
一日目聞いてみると、

「ぼく、社会は全部やったよ。」

と言います。内容も、少しは覚えています。1学期より進歩している手応え。
がしかし、初日を終えて帰ってきたら、幽霊モード(最近、意識がオフになった時の状態をこう呼んでる私)になっていて、昨日までやっていたことが、まったく入っていないようなありさまで、態度も悪く、やる気もない。
夜になって、まったく間に合わないから、直前追い込みをかけようと思ったけれど、

「え~、まだやるの~?」

とふてぶてしい・・・昨日までのげんちゃんはどこ?いう感じです。まさにジギルとハイド・・・彼の中間テストは、すでにここで終わってしまったのでしょうね。でも、いろいろあがってきてるだけに、私もやりきれなくて、切れてしまいます。翌朝も、その延長。
英語の単語を質問してみれば、すでにできるので、ノーマークだった単語さえ出てきません。

それに、もう一つ、私は、頭にきたことがありました。
 なんと、彼は、2週間日課を書き写してきてないことが発覚したのです。支援の先生のノートを見ながら、彼は日課をそろえていたようです。なぜ、書き写さなかったか。連絡ノートを、ある時から、バックのサイドポケットに入れたのを忘れ、ノートを探せなかったようです。

普通なら、ほかの紙に書くとか、家に帰って、代わりのノートを作るとか、対処法というものがある。しかし、彼は、そこで終わります。
「あ、ノートがない。書けない。」終わり

こんな感じです。S先生によると

「げんちゃんが、もっとも困難としている、接点を見出せない、ということだよね。一つの点が、次につながらないんだよ。彼の障害だよ。しかし、一つの点を、しっかりこなせるようになると、それが広がり始めるから、怒らず、接点を導いてあげて。」

こっちとしては、まだそんなとこに君はいるのかい? と嘆きたくなりますが、それは、私が、彼を高く評価しすぎているだけで、真のげんちゃんは、このステージにしかいないのでしょう。

「怒りたくなるだろうけど、怒っても何の効果もなくて、ママとの間に壁を作るから、ますます指導しにくくなる。それに幽霊モードの時は、周りとの間、さらには自分との間にも壁ができていて、周りのこともとらえられていないし、自分が何者か、自分が何を感じてるか、そういうこともわからない。」

「確かに。そうかもしれませんね。幽霊の時は、学習だって、どれだけレベルダウンして質問しても、どんどんひどい方へ行くだけで、やればやるほど修羅場になります。」

「そういうときは、壁をとってやらなければいけないよ。ママとの壁なら、いつかとっていけるかもしれないけれど、自分との間にできた壁が強固になると、いわゆる精神疾患に陥りますよ。

 おちついて考えてごらん。と、落ち着かせて、いろんな方向から意識にはたらきかけてあげないといけない。たとえを使った会話がいいね。

 母親のたまらない気持ちもわかるけれど、このモードに入ってしまったら、この子は障害児だからしかたない・・・くらいの期待しないスタンスでかかわってあげるしかない。」

Sさんの言葉は、いつも、的確で納得します。

「げんちゃんは、前のテストより、テストの意味をわかってきて、それなりに、緊張してがんばっていたんだよ。でも、台風来てたから、これも影響して、どかんと落ちた。台風の低気圧は、精神疾患の人もそうだけど、この子たちには、マイナスの波動を相当与えるからね。普通の人だって与えているんだけど、あまり気づいてないだけなんだよ。台風来てたから、影響してくるだろうな・・・と思ってたら、やはりね。」

「この子たちは、普通というのは無理なんだよ。大きなマイナスかプラスしかない。げんちゃんは、大きなマイナススタートだから、それを克服できれば、反対側の大きなプラスに行く、そういうものなんだよね。意識が出てない子が、そうそう出てくるものじゃない。でも、出てきたんだから、大きな可能性があるってことだよ。あまり先走らないで、じっくり、忍耐強く成長させなければならない。それは、ほんとに大変だよ。わかりますよ。
でも、だから、親も成長するんだよね。」

この子たちを成長させるには、高い意識レベルを持たせることをせねばならず、成功すれば、普通の子のレベルにはとどまらない、ということなんでしょうね。発達育児って、壮大なスケールですよね。

う~ん。テストが終わって、ぼろぼろになっている私に、S先生の言葉がしみいるようです。


by glow-gen | 2018-09-29 16:32 | Comments(9)

ひどいテスト、落ちこぼれとさえ呼ばれない。

 このたびもどってきた夏休み明けのテストは、あぜんとするひどい結果でした。社会6点、数学8点、英語22点、理科30点、国語40点 
もちろん、度数分布は、一番下・・・

社会も英語も、夏休みにしっかりやっていた内容だったし、少なくとも、最低30点くらいはとれる内容です。しかし、げんちゃんは、問題を見たら、すぐにフリーズしたのでしょう。普通の子とまったく違うところは、問題用紙に、まったくペンが入ってないところです。普通の子なら、読みながら、大事な語句にしるしをつけたりしないと、問題を解けないので、否が応でもペン入れしていくでしょう。

でも、げんちゃんは、心のあさ~いところで、字面を追い、あさ~いところで、答えを思い出そうとするだけなので、何も出てこないし、関連付けることもせず、う~ん、と考えるポーズだけをして、心の中に沈んでいる、たくさんの学習した内容を探しに行くことはしません。
たとえて言うなら、ぼ~っと心を空にして、表面だけの意識で、上から答えが降ってくるのを待つだけ・・・・そんな感じです。
普通の子なら、ただ、上から降ってくるのを待つということはしません。昨日これと似た問題をしたよな~。あれって、なんだったっけ、とか、○○は、××ってことだから、これもそうかな?
とか、自分の中に沈んでいる知識の沼を、あれこれほりおこすことをします。

げんちゃんの障害が、意識障害というのはよくわかります。

普段の学習でも、一人で問題をさせていると、同じようなことがおこるので、常に、横について、声掛けしたり、ちょっとした解説をしたり、「どの図を見るの?」なんて、注意喚起をしたりしなければ、学習時間は、ほとんど無駄な時間になります。

S先生いわく、
「げんちゃんは、危機意識がないんだよ。まだまだ自分はこの状態でなんとかなる、って思っているからね。」
と言います。S先生がどんなに心をゆさぶっていても、自分がこれでいいんだ、と、げんちゃんが思っている限り、進歩しません。”心の動かし方をかえなくては”、という強い思いを働かせないことには、ここから先は、なかなか進んでいかないようです。すでに、意識は出てきているのだし、それをしっかり働かせよう、そうせねば・・・と思う必要があるのです。

「学校の先生に、あまりほめないでほしい、と伝えないとね。」
とS先生が言います。

げんちゃんが、普通に社会に出て自立していくステージは、今のとこからほど遠いです。人より時間をかけて勉強して、すでにわかっている問題で、8点しか取れない、というげんちゃんは、はっきり言って、知的障害の何物でもない。心を働かせて、取り出していこう、という負荷をかけなければ、いつまでも、何も出力してきません。

何も行動を起こさず静かにしていれば、一見、普通に見えるから、周りからも、最初は普通の扱いをうけるでしょう。でも、世間に出れば、普通に見えるのに、中身はひどい、ということになれば、大きな圧力がかかってきます。・・・

私も、S先生も、みんな、ものすごい危機感を感じているのに、当の本人は、学校で適当に抜いて、なんとかやれると、勘違いしています。
宿泊研修でも、なんやかんや言いながら、誰かが、手を貸しているわけで、障害児としてのげんちゃんの立ち位置でサポートされている生活にすぎません。

本人は、それを勘違いしています。

学校の先生も、支援クラスの子にしてはがんばっているし、えらいね!という扱いになる。

でも、そうではないのです。ちゃんと自立した人間になるんだ、という視点があれば、”あれだけ、がんばっているのに、なんで、頑張っていない子より、ぜんぜんできないの? それは、もう一つ何かが足りないよね”・・・・私たちは、げんちゃんにそこを伝えているのです。

彼に足りないのは、自分への危機感です。ずっとずっと、そこをS先生もつついているのですが、学校で、なんとなく、ほめられたりするし、普通クラスの子にまぎれて生活しているし、これからも、そういう風に、適当にごまかして、普通でやっていける、と勘違いしています。

そのため
「ぼく、ばかでいいもん。」
とふんぞりかえるような口答えが出てきます。

いやいや、バカでいいもん、ってのは、まわりがサポートしてやっているからでしょ。このサポートは、やがてはずされるんだよ。ということをわかっていない。

「宿泊研修も、なんやかんや言って、まわりはやさしいですよね。もっと、シビアな目にあってくればよかったんだけど・・・」

K先生も、げんちゃんの甘えに対して愚痴ります。

テストの結果を前に、
「げんちゃん、あなた、周りの子より、だれより勉強しているよね。でも、学校でどんべだよ。この社会の問題見て、3大洋で一番大きいのは何? わかるよね」
「うん・・・太平洋」
「バカみたいな問題だよね。それが空欄。ほかもそんなとこばかりだよ。」
「だって、時間なかったんだよ。」
「は?一番最初の問題だよ。何言ってんの? 」
「・・・・・・・」
「いつも、ぼけ~っとして、気持ちを入れず、やったふりだけする勉強のしかたをかえないと、何回勉強したってどべだよ。テストの時間の問題じゃないよ。テストの時間に、合わせる気もなく、自分のやりかたをかえようとしないげんちゃんの問題だよ!」

中間テストの準備も、だんだんあほらしくなってきます。どうせ、やってやったって、意識をとばして、上から降ってくるのをぼ~っと待つだけのテストなら、何の結果も出せるはずがない!

ほんと、こういう子を持った親の、口惜しい気持ちったらありゃしない。言ったってせんないけど、一生懸命伴走してやった、こっちの身にもなってよ、という感じ。ほんと、げんちゃんって、何もかもできない子! あなたに、何かできることがあったっけ・・・子供のころのぼけ~っとして、目もあわないげんちゃんがよみがえります。・・・ぶぜんとしていると、げんちゃんがぽつり・

「・・・・だから・・ぼくは、やりかたを少しかえようと思っているんだよ・・・」
「勉強の仕方をかえるの? どうかえるかイメージできるわけ?」
「うん。まあ・・・」

少しは、自分の今までの状態と、新しく踏み出さなければならない状態の違いを把握できてきたのでしょうか。私たちが言う意味が、昔よりは多少理解できてきているのでしょうか。このテスト結果は、1学期よりも、彼の心を動かしているのでしょうか。

「自分がこれではいけない、自分を変えるんだ、という内部からの思いがなければ、ここから先は、なかなかいかないよ。」
とS先生が言います。私も、ほんとにそれがよくわかります。恵まれた環境にいすぎるげんちゃん、すぐに逃げる、というずるい気持ちが出てきて、楽な方楽な方に逃げていきます。勉強をするポーズを作ったり、がんばっている、と自分を納得させる演出はしますが、彼のコアな部分は、ほんとに頑固で動きません。

いろいろかわってきた変化を感じますが、それが、学校生活や実生活に反映されるのは、まだまだのようですね~。疲れます。

by glow-gen | 2018-09-25 22:47 | Comments(7)



中学2年生の息子。5歳の時に、発達障害とわかり、ママの格闘と改善の記録。
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げんちゃんママの紹介
中学2年になる息子げんちゃん。5歳の秋に、発達障害が発覚。最初はショックだったけれど、脳はまだまだ未知数。ママがなんとか素敵な子供に育ててみせるぞ~。最初はIQ60、・・コミュニケーションも微妙。身体もふらふら、はさみもにぎれず・・・もちろん絵もまったく描けず、5歳なのに、ほとんど2歳児みたいでした。いや、それ以下の機能もたくさんありました。
 「子供の脳に良いこと」を書かれた鈴木昭平先生が主催する、エジソンアインシュタインメソッドに出会って、ママが改善をさせることを学びました。そこを皮切りに、日々研究を積み重ね色々取り組み、相当改善してきました。、たまたま支援クラスができなくて、普通クラスの1年生に入学しました。2年の2学期から、支援クラスができて入ってます。算数の学習障害は、ひどく、相当苦労してますが、毎月毎月、必ず進化しています。日々はらはらどきどき。 天才ぼうやに育てるべく、奮闘中。パパと一人暮らしをしている大学2年生の娘と、医療関係に働くワーキングママ。
 近くに住む、お姑さんに手伝ってもらいつつ、がんばっています。
1年生の2学期から週に1.5日学校を休ませて、ママがおうちでホームスクールをやりました。4年からは週二日になりました。さらに、5年の9月からは、2.5日に増え、3学期からまた、週2日にもどし、6年の後半からは、週に1日に減らしました。
近くに住む、主婦のK先生のおうちで、ママが仕事でできない日は、ホーム学習のお手伝いをしてもらっています。
 5年生からは、算数以外、試験的に普通クラスにシフトという快挙です。6年生は、すべて、普通クラスですごすようになりました。発達の改善に取り組みはじめて8年の歳月は、子どもをどんどん改善していきました。
 6年になって、不思議なセラピストのS先生に出会い、発達障害は意識の障害だ、ということを認識しました。意識が抜けたような状態のげんちゃん。その部分が改善されれば、発達障害のコアな改善につながると、がんばっています。中学は、地元の公立中学へ入学。国語と算数だけ、支援クラスで、マンツー指導を受けています。ホームスクールは中学からは中止しています。
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