げんちゃんの発達障害プロジェクト

<   2017年 10月 ( 7 )   > この月の画像一覧

発達障害の改善のさせかた、その原則がわかった。・・・・と感じた今日この頃

 わずかですが、げんちゃんの意識の覚醒は始まってきたようです。フィンランド式カルタ・・・マインドマップを描きながら、げんちゃんの意識のほこ先を、自由に広げるようになって、日に日に、なんとなく、手触りがかわってきているような・・・まあ、わずかですけど・・・

 じゃあ、だからといって、もっと早くに、こういうトライをするべきだった、とは思いません。だって、フィンランド式マインドマップのノウハウを学んだ時、私は、素晴らしい! と思ったけれど、げんちゃんには、ほとんど響かず、時期尚早、とお蔵入りさせたのですものね。やっとできる時期がきたという話なのだと思います。

 じゃあ、なぜ、その時響かなかったのか。・・・・

意識を発動させるためには、認知能力がいる、という話だと思います。つまり、こういうたとえをしてみましょう。

その子が、寒い屋外にいたとして、体は寒いと反応はしているけれど、だから、服を着たいとか、家に入りたいとか、普通なら自然におこる心の働き-意識につながっていかない。意識を動かそうにも、外からの刺激に対し、途中の伝達系が誤作動している。そういうことなのだと思います。
 
 体感覚、ボディーイメージが付きにくいこの子たちは、正確に感じ取る能力が低く、感じていても、しっかり認識できない状態があります。自分が、どうしたいのか、どうすべきなのか、という、次の段階にいくためには、しっかり正しく感じる必要があります。現状から正しく感じ取れるから、段取りなり次の段階に行ける、という言い方をしてもいいかもです。感覚統合なんていうトレーニングは、そもそも、そういうことの改善のためにあるようで、正しく外の刺激が伝わってこそ、意識が発動してくるのだと思います。

 だから、昔マインドマップなんて、げんちゃんに見せても、ま~ったくその頃、豚に真珠だったんでしょ。もちろん、言葉の意味もあやふやだったでしょうし、こっちの言うことも理解できてなかったし。

 その折々で、できる限りのことをやってきて、や~っと、意識が大事、なんてことを、今具体的にトライすることができ始めた。そういうことなのだと理解しているげんままです。

 ですから、”まずは、体”、と、私があくせくしていたのも、あとから考えれば、理にかなっていたのだと思います。そして、こういう体の機能アップは、げんちゃん本人にしてみたら、自分がどう感じるか、どうすべきか、なんていう意識の足場になるためのステップだったのでしょう。現実が正しく認知されてはじめて、意識は動くのであって、正しい実感のない現実からは、意識を動かすすべがないというわけなんでしょうね。

 そう考えると、発達障害とは、「意識障害」 なんだよ。と、にべもなく言ってのけるセラピストの彼の意見は、あたらずとも遠からずと言えるかもしれません。


 発達育児というのは、まずは、体を作り、5感が正しく機能し、(5感だけではなく、固有覚や、平衡感覚など、多岐にわたると思いますが)、それによって現実への実感をつけることが、最優先課題なのかもしれません。その土台の上に、意識開発が可能となるのでしょう。げんちゃんは、今やっとそこに来たというわけです。

ちょっと抽象的でわかりにくい文章になってしまいましたが、ayuminさんのコメントが、私の書いたことを具体的に説明してくれているように思います。ayuminさん、すみません貼り付けます。


ayuminさんのコメントから抜粋 (全部は 意識がひろがっていかない、という二つ前の記事のコメント欄にお書きになってます。)

 意識にリアリティー(実感)が必要というのもわかります。前にも書きましたが、高校時代は勉強は頑張りましたが(といっても偏差値の低い女子高で普通だっただけです)、自分にはリアリティーのようなものがたりない、と思いました。それで大学は自分を変えるためにワンダーフォーゲル部に入ることにしました。そこで私はやっと、暑いときには服を脱ぐとか、雨が降りそうなら雨具を着る、もしくはリュックサックの一番とりやすいところに雨具を移動しておくとかそういう段取りがわかるようになりました。そして、自分が20㎏以上の荷物を背負って、8時間くらいは山道を歩ける人間になったとき、初めて自分に自信が持てました。登山はおすすめです。ちなみにうちの息子は今日は雨ですが、「傘をさしなさい」というまで雨の中でぬぼーっとしています。やっぱり問題山積みです。

ayuminさんの自信が持てた、というのが、すなわち、しっかり自分の意識を手にした、ということではないでしょうか。

また、意識トレーニングは、発達の初期の頃はぜんぜんできないか、というと、そうでもなくて、声掛けを工夫すると、思考を広げるのに役立つようです。それは、ロボママさんのこの記事が役に立ちますよ~。

理性に働きかける・・・とは、意識に働かきかける、と言い換えていいと思います。質問形式の声掛けは、意識を広げるための後押しです。


by glow-gen | 2017-10-28 23:39 | 発達障害改善プログラム | Trackback | Comments(19)

格闘! 自分から逃げるな、と言いたい!

 

a0184225_01083767.jpg
 げんちゃんと対峙していると、どうしようもなく、腹が立つときがしょっちゅうです。土曜日は、仕事で勉強を教える暇がないので、今日は、お姉ちゃんの親友がげんちゃんの家庭教師をしてくれました。

 大学生なので、そうたいしたことはできないだろうな、と思っていたけれど、K先生が 
「比例反比例、けっこうわかっていますよ。消しゴム使って、必死で教えました。何度も・・・」
とおっしゃるので、今日は、彼女に、反比例を教えていただくように、教材を揃えました。

 来週反比例のテストがあるので、なんとか、良い点がとれて、げんちゃんの自信につながるといいな、と思ったげんママです。

ところが、案の定、終わって彼女に聞いてみると、「ぜんぜんわからない、」と、ぼ~っとしていたそうでした。

 ほんとに、うんざりです。げんちゃんの態度が目に見えるようです。5年の秋ごろでも、約数、倍数、など、教えることに躊躇するほど、難儀していたげんちゃんだったのに、彼は、そこから飛躍的に算数がわかるようになってます。もちろん、人並みとは、言えませんが、20までの加減だけで、何年もかかってきて、どんな教え方をしても、不毛な砂漠のような算数地獄が、多少は、湿り気を帯びてきた程度にはなっています。

 
でも、げんちゃんは、大学生の先生を前に、フリーズして、心を動かさない。それは、手に取るようにわかります。

家に帰って、もう一度その問題をやらせてみました。

” 170センチの輪になったヒモがあります。正x角形を作ると、一辺がyセンチになります。xとyの関係を式に書きなさい”、という問題でした。

げんちゃんは、いつものように、ぱっと読むと、何も考えず、xとyを適当な意味不明の式に当てはめて終わりました。彼は、図を描くわけでも、問題に線を引くわけでもなく、なんか下に書いてあるヒントになる表のあいたところに、好きなように処理した数字も書きました。もちろん、全部バツ・・・・

 「絵を描いてごらんって言ったでしょ。・・・それに、問題文に線もひいてないよね。」

げんちゃんは、ふてぶてしく、
「別にいい!」
と言って、私の言うことを無視します。
「うるさい! あーもういいから。静かにして!」

あくまでも、算数に対して、どんなに私が、いろんな方法を研究して教えようが、どんなにこっちが努力しようが、上司が、部下の血肉をそそいで作った書類を、まるで一蹴するかのように、げんちゃんは、偉そうに踏みつぶしてくるのです。

どこがわからないのか質問するわけでもなく、とにかく、わからん、と言ってしまえば、それ以上考えなくてすむ、という思考です。ほんとに卑怯です。

K先生もこの部分に手をやいています。わからない、と言っている方のげんちゃんが、常に偉そうで、教えている私やK先生は、まるで、部下のようなありさまです。

何様のつもりなんじゃ! 私が、絵を描くように言って、さらに、説明しだすと、
「あ~。もうぜんぜんわからん!」

と、ふてぶてしく、切り捨てます。げんちゃんは、問題をやってやってる・・・もしくは、お母さんがうるさいから、とりあえず取り組んでる・・・そういう気持ちなんでしょう。

さすがに、切れました。

「甘ったれんな! 。いつも誰かがやってくれる、自分は、いつも、自分から逃げて、いつも誰かのせいにして、そんなことしてるから、何もかわらないでしょ。(げんちゃんは、最後は、何かのせいにする。)
あんたは、いつも支援クラスで、普通クラスの子にはついていけないでしょ。
現実をちゃんと見なさいよ。目をそらすな! 自分の現実に向き合いなさい! ずっと自分のやりかたを変えなければ、出てくる結果は同じだよ。どんなにチャンスを与えても、自分がそれをつかまないんだったら、あんたは今のまんまだよ。」

ほんとに、自分のやり方、自分の考え方、げんちゃんは、絶対に手放さず、ポーズだけがんばっているつもりでいます。でもそれは、何も結果には反映されない。私は、それがほんとに口惜しい。しばらくすると、げんちゃんはまた、布団に逃げ込もうとします。うまいこと、寝る時間になった・・・脳は、そういうことだけは、狡猾に動く。

「僕は、今日疲れているんだ。」
とかぬかす。
「あんたが疲れてるだって! あたしは、仕事して、あんたを教えて、それから、あんたが寝たら、1時2時まで仕事するんだよ。馬鹿言うな。やれよ。自分が変わりたいんだったら、やれ!」

私は、げんちゃんをひきずりだしてきて、有無を言わさずさせました。
こうやって、逃げることだけ、覚えていくなんてありえない!

げんちゃんは、あきらめて、問題を読み、言われるように図におこしました。サポートはしたけど、ちゃんとできる。そして、げんちゃんは、すっと何かつきものが落ちたみたいに、そこから先は、やってのけました。そう、彼は、できるところに来ているのです。でも、やろうとしないし、自分と向き合うこともさけます。逃げて、逃げて、人のせいにして、現実から目を背ける。

現実は、ここにしたためたものの数倍激しい戦いです。私は、げんちゃんの狡猾な手法に負けるわけにはいきません。どんなこと言ったって、ちゃんと向きあわせます。
私は、それほど、本気なんだ!

終わってから、げんちゃんといっしょにカルタを作りました。
真ん中に算数と書きました。

私も、いっしょに、書きました。私だって、傷ついているんだ!

げんちゃんは、数字の砂漠、とか、面白くなさそう・・・とか、限りなく負の感情をぶつけます。私は、図を描かない、とか、甘え、とか、思い込み、とか、げんちゃんの算数に対して感じることを書きます。

ありったけ書くと、

「で、げんちゃん。ちゃんと図を描いたら書けたわけだよね! できたわけだよね。じゃあ、それからのことを、今度は赤で、この図に入れてみて。」

そういうと、赤で、いくつかの負の感情をバツで消しました。図を描いたらわかった、と、納得したようです。そのあと、ふてぶてしく寝たものの、私もげんちゃんも、どっかすっきりしてました。

カルタ、使えます。

いい加減大人になれよ、と思います。

 
 


by glow-gen | 2017-10-22 01:16 | 算数の学習障害 | Trackback | Comments(28)

思考を広げていくための、フィンランド式カルタ

 
a0184225_15580952.jpg
  朝起きれないので、時計、というお題で、カルタにしてみました。ぞう、とか12ある・・・とか、汚くて読めませんが、それなりに、出てくることは出てくるげんちゃんです。

発達障害とは、脳と意識の乖離じゃないか・・・と気づいて、私はずいぶん納得がいきました。今までのげんちゃんの行動も、ほとんどそのことで説明がつくような気がします。

 時間のこと。
 土曜日は、朝仕事に行く途中げんちゃんを英語に送ります。ばたばたしているのでいつもぎりぎりです。げんちゃんは、睡眠が浅いのか、なかなか起きれません。今日は、のんびりはできないけど、遅刻ペースでもないような時間の進み方で朝が始まりました。

「げんちゃん、今何時?」
「え~っと、7時50分」
「何時に出かけたらいいのかな?」
「え~っと、8時15分」
「これは、時間がたっぷりあるの? それとも、時間がないの?」
「え~~っと・・・急がなければならない。」(いまいちわかっていない、考えたこともないのだろう。あと何分ある、とかいうことは、彼には、決して当たり前のことではない様子。時計読むことから、難しかったので、仕方ないと言えば仕方ない・・・)
げんちゃんは、チャレンジタッチに無意識に向かって、ゲームを始めていました。
「時間がないって、いうことは?」
と私、
「あ~あ~・・・急ぐ。」
と言いながら、げんちゃんは、段取りがすぱっと組めないようで、とりあえず、チャレンジはやめたけど、ぼ~っとしています。
「裸足だけど、・・」
「あ~・・・靴下・・・」

毎回、いらいらします。でも、こうやって投げかけてみると、彼は、「急ぎなさい!」という声掛けでは、いまいち動けないのがわかります。今、何時で、あと何分あって、それは、用意をするにはちょっと足りないかもしれない。だから、急いて、水筒を満たし、靴下をはき、お稽古バックを持ってきて、中を確認する。

こういう、当然の流れが、時間と対比しながらこなせないのです。やれやれ、6年にもなって・・・・
彼の意識は、時計というものと、行動というもの、それらをつなげたことがない。
何時からおけいこごとがある、というのはわかります。でも、それは、何時という一時点での把握で、きわめてぶつ切りな広がりのないものです。

朝の忙しい現場では、そうそうゆっくり声掛けはできないので、関係のないときに、こういうトレーニングをする必要があるのです。

真ん中に丸を書いて、「土曜日の朝」 と書き込みます。そこから、いくつもの線をひいて、そこから関連するものを書き出させます。
何時に行く、とか、どれだけの時間がかかる、とか、そこから広げられるものを、考えつく限り丸で囲んで伸ばしていきます。

フィンランドではこれを カルタ と言うらしい。

そして、あらゆる思いつくものを書き出したら、

「げんちゃん、今日、朝、どうだった? 」
「だめだった・・・」
「なんで?」
「〇✖▽・・・・・・・(なんかまとまりのないことを言ってます。)」
「そうだね、出かけるまで上手に段取りできなかったよね。じゃあ、来週は、どういう風にやればいいかな?」

まあ、こういうやり取りをしながら、広がったカルタの中から、最もコアになるものを抽出させ、5W1H を意識させた簡潔な文章におこさせます。


なんせ、げんちゃんは、朝、ばたばたして、なんか遅れそう、というので、ママに叱られる・・・そういう思考の広がりしかないわけで、時計、あとどれくらい、自分は何をし残しているのか、自分のやりたいことは何か、やりたいことをやる時間はあるのか、今日の道中での天気はどうか、車の込み具合はどうか・・・

広げようと思えばどれだけでも広がる思考の、ほんの最初の部分でさえ足を踏み込んでいない状態なのです。
 広げれば、すべて、できるはずだ、と、私は、確信します。このことに気づいたおかげで、漠然とした戦いではなく、発達障害はクリアできる、と確信するにいたりました。

昨日は、こんなこともありました。K先生のとこに行かず、テレビを見たい、と思ったげんちゃんは、めずらしくK先生のところに大幅遅刻、行っても、まったくやる気なしの一日でした。

家に帰ってきて、私は、紙の真ん中に「遅刻」と書きました。

「げんちゃん、また、ここからひらめくこと書いてみて。」

そう言うと、げんちゃんは、
「テレビ、塾、宿題・・・・・」けっこうたくさんのことを書きました。しかし、K先生のことがありませんでした。

「ねえ、げんちゃん、自分のことばかりだね。」

と言うと、げんちゃんははっとしたように
「迷惑」
と書きました。広げてやれば、広がる思考なのだ、と思います。

この樹形図、マインドマップ、とか、カルタ、とか言われる図は、発達障害の子にとってもいいです。

こういう手法は、フィンランドで繰り広げられている教育に見られるもので、ノートだって、箇条書きではなく、こういう形態で書くそうです。

早くから、こういう訓練をすることで、発達障害の子供たちの意識が、広がるようになる、と私は信じます。

発達の子に限らず、男の子は、女の子より、情報処理が広がりにくい面があります。こういう学習法、指導法は、応用できるシーンは、多岐にわたるんだろうな、と思います。職場で、トラブルに面した時に、とんでもない方向に対処するスタッフとかも、結局、発想の広がりがないんだと思います。職場訓練にだって応用できると思いました。

ただね~・・・・・ヤツの私に対する横柄な態度は、私に、冷静にカルタづくりをさせない面があって、ノウハウはあっても、なかなか、上手にはできにくい、という問題があるんですけどね~・・・親って、ほんとにむつかしいと思う。

しかたないので、手法を、K先生にも伝授してやってもらうようにしました。カルタ的声かけ、図に書くこと・・・げんちゃんにも、なぜそういうことをするのか、ということを、しっかり伝えて、訓練をするときでさえ、意識をもってやってもらうことで、早く、新しい境地を開いてもらいたい、と思うげんママです。発達育児、佳境に入ってきた気分です。

ファイト!

興味のある方は、フィンランド式教育関係の本をちょっと見るといいかもしれません。

フィンランド式、ですべてやる、ということではないけれど、昔学んでいたことが、今、ここで、私の発達育児にぴたっとフィットしました。
 げんちゃんは、もう、以前とは、まったく違うステージにいるのだと思います。



 

by glow-gen | 2017-10-21 16:15 | 時間 | Trackback | Comments(2)

言葉が広がっていかない。発達障害とは、意識と脳の、乖離じゃなかろうか・・・

  意識について、セラピストの彼に、色々教えていただいて、色んな気づきをしているこの頃です。彼の言うことは、すごいな~と思うけど、なかなか消化しきれないで、言葉におこすにいたらないのですが、時間がたって、以前言われていたことが、そういうことなのか~、となんとなくつかめてきます。

こういうたとえはどうでしょう。 
職場で、新人スタッフが、先輩の業務を何十回も見てたとします。でも、ある日、先輩とかわって、その仕事をやらせると、まったくできません。

「今まで、あなたは、何を見てたの?」

と、先輩に叱られます。さて、次に、彼女は、また先輩の業務を見学します。さて、どうだったでしょう。今度は、まったく違った意識で、その仕事を見るでしょう。
そして、何十回も補助についていたのに、私は、今まで何を見ていたのかしら? と彼女は思うほど、そこからたくさんの情報をものにすることができます。

 げんちゃんの日常は、まさに、新人スタッフの最初の見学と同様、見ていても、まったくそこから情報をとれていないのと同じなのだと思います。
そこで繰り広げられていることから、何の広がりも生まれず、自分の頭の中に、しっかりと整理されることもありません。ただぼんやりと、わずかな印象が残っているだけです。

 、また、こういうたとえもありかもしれません。私は、鍵を無意識にいつもの所におきます。いつもの所なので、何の感慨もなく行動してます。ある日、私は、鍵をおく前にトイレに入ってしまい、ついそこの棚のところにおいてしまいました。さあ、出かける時になって、鍵がない、と大騒動です。

 同じ行動をしても、そこに意識が入っていないと、結果はさんざんなことになるのです。

 今日は、そのことをはっきり目の当たりにする事件が起きました。

 げんちゃんは、昼からまた、K先生の所に勉強を教えてもらいに行きましたが、その後、すぐに、もどってきました。先生から電話がかかり、
「げんちゃん、午前中に、寒いと言ってたので、長袖の服に着替えてくるように、一度帰しました。」

ということでした。

 今日は、K先生のところが終わると、おばあちゃんの所に行って、ご飯を食べます。
私は、げんちゃんに、
「今寒いの?」
と聞きました。げんちゃんは、走ってきたようで、
「ぜんぜん寒くない。今は暑いよ。」

と言うので、
「じゃあ、長袖持っていって、寒くなったら着替えたら? ついでに、もう一枚、おばあちゃんのとこに行くときに、持っていって。」

と、2枚のTシャツをわたしました。

さて、この後、彼は、どんな行動をしたと思いますか?


 そうです! 驚くことに、K先生のとこより、ずっと遠くにあるおばあちゃんのとこに、直行したのです。そして、そこで、長袖に着替えてK先生の所に行きました。

もちろん、私は、K先生のところが終わってからの段取りを言ってます。
「持って行って。」

というところだけが、彼の頭に入り、そこから何の検証もされることなく、広がることもなく行動したのです。K先生と二人で唖然としました。

 確かに、昔はそうでした。いちいち、すべての段階を言葉にして伝えないと、とんでもないことがしょっちゅうおこりました。だから、ばかばかしいくらい、行間を徹底して言い添えていました。最初からいちいち何度もシュミレーションしたりね・・・

しかし、未だに、こんなことがおこるなんて・・・

 そうです。彼は、「ちょっと考えれば」・・・という意識の働きが作動しないのです。広がらないのです。持っていって、と言えば、単に”持って行って” なのでしょう。
  やれやれ。ヤツといると、ほんとストレスフルな毎日です!

以前、テレビで、大人の発達障害の方が、
「植木に水を適当にやっていて。」
って言われたら、床にあふれても、やっていた。”適当”・・・がわからなかった。これも、広がらない思考なんだと思います。

 普通は、水を・・・と言われたら、鉢の大きさを考えるだろうし、土の乾き具合、気の利いた人なら、かつて、雑誌で見た観葉植物の記事を思い出すかもしれません。そして、ついでに少し窓際によせとこ、なんて気を利かせる人もいるかもしれません。

これが、植木じゃなくて、お客様への営業ならば、ある人は、お客様がご満悦になるくらい、気の利いた配慮につなげるかもしれません。

これが、広がり、というものです。

さっきの新人見学なら、体験したあとの見学は、自分の体験とどんどんつながって、広がっていく。


 さて、私のげんちゃんは、と言うと、広げられない!
 広げるための意識の働きが弱く、つなげて、広げるためには、どの引き出しを開けるのか、ぜんぜんわからないのでしょう。
 でも、「すでに、ちょっと考えればわかる・・・」、というところにげんちゃんは来ていると思いたいげんママです。その意識を働かせるだけで、ぐんと広がるはずではないのか。

話しもどって、げんちゃんに、問い詰めます。(つい問い詰めるんだよね~・・・いらいらするんで。ここが私の課題・・・)

「ねえ、げんちゃん、おばあちゃんの所に、今先に行く必要はあったの?」
「え~っと。・・・なかっ・・た・・・?  でも、行けって言われたから。」
「ほう・・・行けって言われて、変だと思わなかった?」
「・・・・」
「今からげんちゃんは、何をする予定だったのかしら?」
「K先生の所・・・」
「だよね。」
「K先生のところが終わったらどこに行くんだったの?」
「おばあちゃんのところ・・・・・あ、そうか~。」

げんちゃんの意識に、限りなく働きかけて、ゆりおこす。絶対に、最初から模範回答は言わない・・

「どうするんだっけ。」「何をしようとしてたの?」「何か忘れてないかな?」「次は、何をするのかな?」

「じゃあさあ、今日の反省を言ってみてくれない。」
「うん。今日は~・・・えっと~、K先生の所が終わって、おばあちゃんの所に行ったらよかった。」
「ねえ、もうちょっとふくらませて言ってみて。いつどこで、誰が、何を・・・?」
「今日は~。TシャツをK先生の所に、・・・」

てな感じで、めちゃくちゃ時間取るけど、思考を広げるための諮問を続けます・・・根気勝負ですね。


 げんちゃんは、確かに、意識の働きが動き出しているけど、ほんとに、まだまださまよっています。私が鍵を紛失してしまうときの、脳の動かし方と同じ脳の動かし方に慣れてしまって、新たな脳の使い方へ移行するには、すごいエネルギーなんでしょうね~。

 もしかしたら、発達障害とは、脳と意識の乖離状態なのかもな~・・・と、思い始めました。
今、げんまま、壮絶とも言える、広げる訓練へ踏み出しています。これこそが、核となるものじゃないか!


ps
ayuminさんが、植木鉢に水をやる話について、すごくわかりやすい解説をしてくださったので、貼り付けさせていただきました。ayuminさんありがとう。

 私は医療関係職ですが、植木に水をあげるエピソードから、自分の新人時代を思い出しました。
高熱のある患者さんに、「水まくらをください」と言われて本当に氷枕に水しかいれない状態で持っていってしまったのです。言葉に通りに捉えて、自分が求められていることがわかっていませんでした。
 新人時代はこんな感じで叱られてばかりでした。

 注意されたことや、教えてもらって何か気づきがあればその場で走り書きでメモをして、家に帰ってから清書して、自分独自のマニュアルを作って見返すようにしていました。マニュアルも塵も積もれば山となり、仕事にも少しづつ慣れていきました。先程の植木のエピソードならば、Aの植木ならばコップ一杯と教えてもらってマニュアルに書いた。今度はBの植木を頼まれたので、先輩に「Aの植木はコップ一杯ですが、Bのコップはどれくらい水をあげたらいいですか?」と聞けるようになる。

 Bはコップ2杯と教えてもらいマニュアルに記入。次にCの植木がAとBの中間くらいの大きさなら、やっと1・5杯くらいかな?と想像できるようになる。こうやって成長していく感じです。最初にAの植木はコップ一杯と教えてもらわないと悲惨なことになります。でも仕事をコツコツ続けて経験を積んでいけば、植木の状態をみて必要な量を日々考えられるようになります。
 すみません、なにが言いたいのか、わからない文章になってしまいました。今では自分の中には言葉もあり、思考もしていると思うのですが、人に伝えようとすると言葉や文章にするのにものすごく時間がかかります。外国語を辞書で引きながら翻訳している感じです。

 ayuminさん、すごいです! げんちゃんは、私が、指導してやってみます。広げる訓練・・・





by glow-gen | 2017-10-19 20:14 | 意識のこと | Trackback | Comments(15)

抽象的なことに言葉を与える。言葉の真空地帯!

げんちゃんに対して、けっこういろいろできてきた、なんて感じているので、逆に、あまりにひどい、現実を目の当たりにすると、すごい衝撃が走ります。げんちゃんは、ほんとにだめです。

何がだめかって、当然わかっているはず、と思うこと、できるはず、と思うことが、まったくできません。ここまでひどいとは・・・・

とにかく、彼は、すこぶる単純なことしかすぐに理解できません。

言葉が理解できないのです。
「今日、ご飯食べに行く?」とか
「お風呂入ったら髪洗いなさいよ・・」とか、
単純な暮らしに関すること、感情だって、快不快、に関する、単純なこと・・・
そういうことは、言葉に乗せて考えられるようですが、ちょっとでも、抽象的になったり、論理的になったりすると、彼は、まったく適当にスルーしたり、好きなように判断したりして、その場をやりすごしているだけだ、ということがわかります。

本も、けっこうすらすら読めます。だから、わかっているのか、といえば、まったくわかってなくて、自分の興味のあることだけ、まだらに切り取って、理解しているようなところがあります。それに気づいて、時々いっしょに本を読んでいくようにしました。

それも、さらっと読むのではなく、半ページくらい読むと、彼が、理解できているか、これって、どういうこと? とか、こそあど言葉がさすのは、どんなこと? などと、チェックを入れていきます。そうすると、え~~!っという、すさまじいことがおこります。
今日はこうでした。

ある本で、Aさんの可愛がっている猫が行方不明になった、という状況がありました。主人公が推理します。”恋人のBが猫をどこかに連れて行ったかもしれない。Bは、猫がいなくなれば、Aが自分にもっとやさしくなるのではないか、と考えたのではないか・・・” と

げんちゃんに質問をします。
「なぜ、犯人は、Bだと思ったわけ? Bが猫を誘拐すれば、どうなると思ったの?」

げんちゃんは、わかりません。何度か読ませると、わかったように、該当する箇所を読みました。でも、ただ読むだけで、自分の言葉は一切入らないので、本を閉じ、自分の言葉で、好きなように説明してごらん・・・と言いました。

すると、げんちゃんは、まったくだまりこんでしまいます。
ヒントを出していきますが、挙句の果てに、全く違うことを言い出してしまいます。
 

結論から言うと、彼は、たかがそれくらいの文章からも、人の気持ちの流れや、理論的な段階を読み取ることはできません。最後に、私が、お姉ちゃんを持ち出し、

「お母さんが、げんちゃんとおねえちゃんがいるのに、お姉ちゃんばかりかわいがったらどういう気持ちになるの?」

なんて、実例に落として、何度も説明する羽目になります。


彼が、いつも、自分の言葉で、物事を言い換えたり、自分の気持ちを言葉で適切に解説したり、また、学習したことを、理解したままに、説明したり、
そういうことが、ほとんどできないのが、深いため息をもって、理解できます。

また、こんなこともありました。理科の地層のところを読んでいて、”火山灰でできた地層は、つぶが角ばっていて、川の流れでできた地層は、つぶが丸い”、という解説がありましたが、

「じゃあ、地層のつぶが、角ばっていたら、どういうことなの?」

反対のことを聞いても、「その地層は、火山灰でできているということだ。」

なんて回答は期待するべくもなく、長い沈黙が流れるだけです。

やれやれ・・・この子の頭は、どれほど悪いのかしら・・・情けない。中学支援クラス以外ありえんわな! よくこんなんで、普通クラスに入っているもんだわ! そりゃあ、ぼけ~っとしててもしかたないぞ。

最近、げんちゃんが、どれほど、頭が悪いのか、思い知ってます。この言葉の力のないことが、私が考えていた以上に根深く、くらくらします。

そういえば、軽い知的障害がある、と言っていた、知り合いのお子さんも、どの食べ物が好き、とか、いつ、どこに行く?とか、そういう、生活に密着した話のみ、饒舌です。
抽象的な場面、理論的な世界の言葉は、真空状態なのだとわかります。

これには、ほんとうに、ショックをうけてしまうけれど、考えようによっては、やっと、そこにアプローチすることができ始めた、と、好意的に考える方がいいのかもしれません。なんたって、今までは、
「それって、どういうこと?」

と問うよりも、単純に、こっちからのベクトルのみ、ひたすら入力・・・の世界だったのかもしれませんから。

私は、先日コメントいただいた ayumin0309さんのコメントに、希望を見出して、落ち込みそうになるのを、ふるいたたせて、言葉の学習を続けています。毎回、いらいらし、あぜんとし、この子の、言葉のない世界に忍耐して、つきあっています。

ayuminnさん、勝手にコピーしてすみません。でも、ほんとに、参考になりました。ありがとう!



げんママ様、コメント2のayumin0309です。
 
 私の子ども時代は、とにかくなにも取り柄のない変な子どもでした。普通級でしたが、ひらがなも書けない状態で入学したので、授業なんて全くわかりませんでした。授業中に離席はないものの、いつも自分がお姫様になったような都合の良いありえない空想をして過ごしていました。

 学校でも家でも「そういう子」として認識されていて、怒られた記憶もないので、困ってさえいませんでした。自分がクラスメイトよりも劣っているのは知っていましたが、なにか、自分とクラスメイトは違うものだと思っていました。(みんなは先生の言うことを聞かないといけないけれど、自分はきかなくてもいいぐらいに思っていました。自分の傲慢さにびっくりします!)

 高学年になると、クラスメイトとの関係を欲するようになりましたが、勉強も、運動もできない上にコミュニケーションもとれませんでした。それからは、劣等感で卑屈になる日々でした。友達がいないので本と漫画ばかり読んでいました。げんママ様も仰っていましたが、おそらく私も自分の中に「言葉がない」ので、本や漫画から言葉を探していたのだと思います。会話も本や漫画のセリフをそのまま喋っていることもありました。

 本はたくさん読みましたが、理解も思考もできないので、「面白かった」「かわいそう」「いじめは良くない」「戦争はしてはいけない」等、単純な事しかわかりませんでした。

 中学生になって、短歌を作る授業があり、「良かったもの」としてクラスの数人が呼ばれたのですが、その中に私のものも入っていました。

それが学生時代に先生に誉めてもらった唯一の思い出ですが、そのことは自分の意識が目覚める最初のきっかけになったと思います。その後は塾に入れてもらい、個別でわかるまで教えてもらえて勉強の進捗を気にされるようなると、理数系以外は理解できるようになりました。

 中3でいろいろなことが繋がるようになりました。高校時代は勉強は普通になったけれど、コミュニケーション能力と運動能力のなさに泣きました。長くなりましたが、私の子ども時代はこんな感じです。


 ayuminさんが、げんちゃんと、自分の子供時代は似ている、と言われていましたが、確かに、抽象的なことに内部言語をもたず、本を読んでも、理解も思考も、できない、と、お書きになっている状況が、まさに、今のげんちゃんのような気がします。

 それでも、根気よく、言葉をつないであげると、結びついて、いろんなところがつながってくる、という、実例は、発達ママのはげみです。

 セラピストの先生も、

「中学卒業するあたりからじゃない、しっかりつながるのは・・・あせらないで・・・そこからだよ。」

と言います。忍耐勝負だと思います。  算数も、ひどいのに、・・・と思うけれど、言葉が突破できれば、なんとかなる・・・そう思ってやるっきゃないですね!

by glow-gen | 2017-10-15 23:43 | お絵描き工作 | Trackback | Comments(34)

時間の実体感と、時計の把握 

夏休みからこっち、考えてみれば、やっぱり、ぜんぜん違っているげんちゃんでした。

じわ~っと変わってます。よくなった~。ハッピー!ハッピー! なんてことは、絶対ないのだけれど、ありゃ・・・よ~く考えてみれば違ってる。
意識に焦点を当てて、引っ張って来ようとしてきたけど、イルカの直後は、今とは全然違っていたよね。

今では、ランドセルの中をきちんと整理して入れる、とかは普通だし、学校の引き出しの中も、昔より、意識できてました。
「明日の予定は?」
なんてことを、たまに聞いてみたり。・・・ぽつりぽつりと出てくる、ちょっとした兆しは、少しずつ多くなってきてます。でも、だめなものも多すぎて、ストレスフルな毎日は変わりません・・・とほほ・・・
ドラム缶を満たすのに、コップでせっせと水を入れているような感覚で、増えてない?と言われれば、増えてるけど、だから何? みたいな感じが抜けません。

多くの改善しにくいところの中で、時間の感覚は、なかなか普通の子のようになっていきません。時間とは、脳のどの部分を使って把握する、というものではないそうです。未だに、どうやって人間が時間を把握するのか、不明なのだそうです。確かに、多くの動物は時間を人間のように把握しません。
げんちゃんに
「ねえ、今日は、くもんは、何時間行ってたの?」

なんて、聞いても、しどろもどろです。私たち大人は、時間を追いながら暮らしています。起床時間も、就寝時間も意識してるし、覚えています。しかし、げんちゃんは、
「昨日何時に寝た?」
と聞いても、???

彼の意識が、いつもふわふわして、自分の行動さえ、なんとなく、把握できていない状態なのは、この時間への認識の困難さが根底にあると思います。
夏休み頃から、アナログ腕時計をさせて、時間を意識させるようにがんばってますが、なんせ、そもそも、時計というものを、ぜんぜん手中におさめていないげんちゃんは、”遅刻しても、何分遅刻してるからやばい”、とか、”あと、時間までどれだけあるから、余裕ある、とか”、測る物差しをもたないような状態なのです。

 おけいこごとも、遅刻はしょっちゅう、かと思えば、時間より、極端に早く行ったり・・・

とにかく、時計を手中に納めることから、と、やむをえず、2年生の、時計ドリルなどを、合間合間にやっています。なんせ、膨大に学ばねばならないことが多くて、時計だけに、時間をとることもできませんが・・・

 そもそも、多動のお子さんが、すぐにそわそわするのは、時間の感覚が狂っているから・・・という説もあり納得します。たった5分が1時間に感じられれば、そりゃあ、そわそわもするでしょう・・・

 「ねえ、10時30分からだったよね。今50分だよ・・・何分おくれてしまってる?」

こういう問いに、すらすら答えられるようになれば、げんちゃんは、色んなことが同時に進むのではないか、と思いますが、この時間把握は、けっこう大変です。げんちゃんの知的なトラブルは、ほんとに、当初私が考えていたより、相当ひどいものだな、と感じるこの頃です。

つまり、6年生くらいになると、他の子ども達は、こういう基本的なスキルは、当たり前のようにものにしているので、げんちゃんのようなトラブルを持つ子供達と、どんどん差があいて、はるかかなたに行ってしまうように見えるのは、当然のことなのかもしれません。

 それを考えれば、同じ距離をおいて、ついていっているようでもあるげんちゃんは、やはり、かなり進歩していると認識してもいいのかもしれません。まあ、そういうことにしておきましょう。モチベーション維持のために・・・・笑

 さて、ちなみに、今更のような時計の学習ですが、問題集を見ると、50分引く30分・・・20分・・・みたいな発想で教えるものが多いのですが、図形で教えた方がいいと感じてます。
30分は半円形・・・つまり何かい? これは、円のどれだけ? そう、半分だよね。じゃあ、3分の1は?  そう20分・・・扇型だね・・・たまたま扇子が近くにあったから、
「扇子は、20分だぜ、・・・・」

そうそう、扇子いいかも・・・ばっと広げて、これは何分? なんて直感ゲームをします。

 指でもできます、10分の大きさは? 15分は? とか聞きながら、形を再現してもらう。1時間に対して、どれくらいの大きさなのか、を感じ取れれば、20分遅れるってことはどれくらいの遅刻なのか、量感を持って感じ取ることができると思います。
(まあ、これだって、今だからできることで、つい先日まで、”半分”の感覚さえなかったのですから・・・)

 そういう量感のなさ。それが、げんちゃんの根底にいつも流れている、宇宙人的生活を作っているのだ、と、思うこの頃です。

生活の中で、しょっちゅう時間に意識が行くように、声かけも頻繁にしています。ほんとに、げんちゃんに対応するエネルギーは、普通の子の何倍ものものです。

どんどん月日は流れているけれど、老け込んでいる暇もない!

追記
コメント欄で、haruking7さんに、タイムタイマーというのを教えていただきました。
発達障害の子たちのような子のためのタイマーだそうです。
ありがとうございました。






by glow-gen | 2017-10-14 11:01 | 時間 | Trackback | Comments(16)

意識を入れれば、ずいぶんできはじめているのに・・・

げんちゃんの意識の発動は、夏休み前より静かにおこってきていますが、一気に、というわけにもいかないようで、日々、あいかわらず格闘の日々です。

 昨日は、学校がお休みで、朝は先生のところに行って、夕方頃くもんに行く予定になっていました。げんちゃんは、おばあちゃんのところで過ごすというのが、こういう日の暗黙の了解でした。
が、げんちゃんは、くもんから、家に帰って、レンジでチンした昼ご飯を適当に食べて、それから、ず~~っと一人で、快適に家で過ごしていたようです。大好きな、テレビのアニメ録画を何度も見て、ナーフというおもちゃの銃なんかで遊び、何時間もすごし、とうとう、くもんの時間になっても、気付くことができなかったようです。

9時までの教室に、8時になって、ようやくはっとして、あわてて行ったようです。

一日、ただの一度も顔を見せない孫に気をもんで、おばあちゃんはいらいらして待っていた模様。夕ご飯も、何か、適当に出して食べたげんちゃんは、目の前の ”好き勝手する”、ということだけに焦点をあてていたようで、それ以外は、くもんも、おばあちゃんに連絡することもすっこぬけていたようです。

 9時過ぎに私が家に帰る頃まで、それについて、誰も文句を言う人もおらず、本人も、何の罪悪感もなくすごしていたので、私は激怒しました。

8時になるまで、くもんのことを考えなかったなんて、何を考えてるんじゃ! 時間の感覚は、少しはついたと思っていたのに、彼には、時間など何の意味もないことなのでしょうか。

普通の子なら、8時になるまで、遊ぶことしか意識がない、なんてことありえない! 時計を気にしながら生活するものではないのか!

 あいかわらず、目の前のことだけをつなげて生きているげんちゃんにうんざりします。 けっこう意識を入れることができはじめていると思った矢先、こういうことがどかんとおこります。

 先日くもんの先生がおもしろいことを言っていました。

「げんちゃんの算数の計算は、だ~っと正解が続くと、次は、だ~っと間違いが続きます。そして、あるところからだ~っと、また正解になるんです。
げんちゃんの算数は、できない、とかじゃない、別の問題がありますよね。」(できない、とかいう問題も、別にしっかりあるんだけどね。)

 私は、笑ってしまいました。まさに、今のげんちゃんそのものです。意識を入れれば、昔のげんちゃんからすれば、ずいぶん進化を遂げた行動が出てくるのに、入れないと、な~んも考えてない行動になります。

 それから、げんちゃんに、アルファベットを書くという課題をやらせました。5年以上も、ただ行くだけかもしれないけど、英語教室に行っているのに、未だに、アルファベットの大文字小文字ごちゃまぜだし、ぜんぜん書けない。練習させてみると、案の定、ただ手本を見て、頭を空っぽにして写すだけ・・・こんなことしてても、何も頭に入るはずもありません。


意識を入れず、何のためにやるかも考えず、学習というより、ただ言いつけられた作業として、頭を空っぽにしてこなす。人から与えられて、しかたがないからこなす。そこから何も広がらない世界!  しかも、それを指摘すると、ただ反抗するだけ。

お~!いつもの頭真っ白、脳休止状態げんちゃん。おまえはあほか!

私は、情けないやら、あほらしいやらで、思わず手が出ます。

「あんた、そのままでいいの? いつまでたっても、誰かにサポートしてもらって。ぼ~っと口を開けていたら、誰かが、口の中に運んでくれる。頭空っぽ・・・!」

意識を入れてやるだけで、結果が変わる、それがわかっているだけに、口惜しくてたまりません。修羅場が終わって
「あんた、さっきお母さんに言われたことで、自分が思ったこと言って。 反省したことあったら言ってみて。」

とママ。

「・・・・・ちゃんとやる。」
やれやれ、これですよ。具体的にまったく考えることができない。何か指摘されても、それの真意がとれず、ちゃんとやる、とか、ごめんなさい、とか、ただ口先だけでくりかえす。

「あのね、ちゃんとやる、ってどういうことなの? それがわかってないからできないんじゃない? 具体的に言って。実際どうするの?」

「見ないで書く。」

ほんと、頭悪い。
「じゃあ何のために、そうするの? 何を見ないで書くわけ。意味わからんし・・・」

「覚えるため。」
「あ、そう・・・あんた、覚えたいの? 」
「覚えたい。」
「あ、そう、じゃあ聞くけど、どういう自分になりたいの?」

「覚える自分。」

はあ・・・こういうレベルのやりとりをやってます。すらすら、何でも言葉にできる子がうらやましい。
「英語の綴りを、写すだけなら、ぜんぜん覚えないから、お手本を見ないで書くようにする。」

たかが、こういう台詞も、なかなか出てこないげんちゃんです。ママの忍耐・・・普通の子をもっただけのママには、なかなかわからないところだろうな~。広がりをもった思考をするのは、まだまだ経験が少なく、すべてがたどたどしく、今わずかに始まったばかり。そんな感じです。


でも、そういう修羅場で疲れていると、次の日、なんか、ちょっといい感じのげんちゃんも出てきて・・

「今から、ほんとは明日の用意を先にするのがいいんだけど・・・ちょっと、これをやってからしよう!」

なんて、台詞が聞こえてきたりします。確かに、かわってきているのは確かのようです。くもんの計算のように、○、×、○、××・・・そして○○・・・

意識がすべてに入ってきたら、ずいぶん進歩するように思いますが、なかなか、手強い日々です。



by glow-gen | 2017-10-07 18:22 | 意識のこと | Trackback | Comments(47)



小学校6年生の息子。5歳の時に、発達障害とわかり、ママの格闘の記録。
ピックアップ 
 エジソンアインシュタイン協会詳細HP
ブレインジム 
灰谷先生リンク
安曇野式算数 矢ヶ崎先生詳細リンク
こども整体 頭蓋仙骨療法
げんちゃんママの紹介
小学校6年になる息子げんちゃん。5歳の秋に、発達障害が発覚。最初はショックだったけれど、脳はまだまだ未知数。ママがなんとか素敵な子供に育ててみせるぞ~。最初はIQ60、・・コミュニケーションも微妙。身体もふらふら、はさみもにぎれず・・・もちろん絵もまったく描けず、5歳なのに、ほとんど2歳児みたいでした。いや、それ以下の機能もたくさんありました。
 「子供の脳に良いこと」を書かれた鈴木昭平先生が主催する、エジソンアインシュタインメソッドに出会って、ママが改善をさせることを学びました。そこを皮切りに、日々研究を積み重ね色々取り組み、相当改善してきました。、たまたま支援クラスができなくて、普通クラスの1年生に入学しました。2年の2学期から、支援クラスができて入ってます。算数の学習障害は、ひどく、相当苦労してますが、毎月毎月、必ず進化しています。日々はらはらどきどき。 天才ぼうやに育てるべく、奮闘中。パパと浪人生の娘と、医療関係に働くワーキングママ。
 近くに住む、お姑さんに手伝ってもらいつつ、がんばっています。
1年生の2学期から週に1.5日学校を休ませて、ママがおうちでホームスクールをやってます。4年からは週二日になりました。さらに、5年の9月からは、2.5日に増え、3学期からまた、週2日にもどし、今にいたってます。
近くに住む、主婦のK先生のおうちで、ママが仕事でできない日は、ホーム学習のお手伝いをしてもらっています。
 昨年5年生からは、算数以外、試験的に普通クラスにシフトという快挙です。発達の改善に取り組みはじめて6年の歳月は、子どもをどんどん改善していきました。
  リンク
聖書と福音
エジソンアインシュタイン協会
MANAの成長記録
御陽女様のいえ
飯田医院
道草日記2
チンジンさんjinjinのブログ
無くて七癖のブログ
LD?ディスクレシア?
かいすみママのブログ
プチトマトの発達障害克服するためのブログ
鹿児島のまゆたんのブログ
こども整体
ぷりんときっず
ぼくの感覚過敏について

人気ブログランキングへ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村
フォロー中のブログ
カテゴリ
全体
ライター紹介
ゆうゆうさんの手記
ゆうゆうさんyou tube
発達障害治療プログラム
お手玉トレーニング
視覚機能障害
無認可保育園、幼稚園
ビジョントレーニング
ギフテッド天才の育て方
障害児の親
おもちゃ
くもん(公文教室)
自治体の発達支援部署
体遊び
ワーキングママ
トレーニングの効果
本の紹介
鈴木昭平先生
ママ考案トレーニング
ピアノレッスン
ハンディキャップの子供たち
トレーニング法
ママのホームスクール
コウ君とカナちゃん
エジソンアインシュタイン
コーヒーブレーク
気功
特別支援学級
脳への考察
幼稚園でのできごと
教材
合気道
ブレインジム
ソーシャルスキル
発達障害改善プログラム
抑肝散
げんちゃんの体の機能
小学校生活
発達障害をとりまく社会
遅発性アレルギー
ラフマ アルファーGPC
たいそう教室

1年生夏休み
登山
サッカー
算数の学習障害
このブログのサマリー
ホームスクール
算数の学習障害
モンテッソーリ
お漏らし尿漏れ
天候と発達障害児
2年の夏休み
知能検査
体幹を鍛える
頭蓋骨と筋肉 頭蓋仙骨療法
発達障害改善の段階
プリント学習
3年生1学期
ママ会
運動会
夏休み
まわりを読む
ワーキングメモリー
会話力
高圧酸素療法
普通クラスでの様子
教室見学
指示通りに動くことができない
安曇野方式算数
身体能力、原始反射
マッサージ
連絡帳
学習用ソフトを使って
発音障害、言葉が出ない
思秋期自主性
聞く力
お絵描き工作
指先能力
段取り力
ゲームとの付き合い方
国語の授業
イルカによる介在療法
知能検査
意識のこと
時間
抽象的な思考を作る
英語
未分類
以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
最新の記事
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧